2011/10/11(火)15:02
衝撃の「百合子・ダスヴィダーニヤ (さようなら)」を観て
昨日この映画の[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32949054.html 監督プロフィール動画と上映映画館]の写真載せました。アメリカ映画では同性愛の映画をよく観ますが日本でも出来たのですね。しかも女性同士の恋愛。浜野佐知監督は300本の映画を撮った大ベテラン、パンフにサインしてもらいました。10数年前から{{{沢部ひとみの「百合子・ダスヴィダーニヤ 」}}} の映画化を熱望していた
監督。
[[attached(2,center)]]映画は美しい{{{猪苗代湖}}} から始まりました。勿論、原発事故前です。今どうなっているのでしょうか。胸が痛い。実は私たちも風前のともし火かも。除染、何年までに完了などといってますが、信じられません。又作業される方がろくな防御も無く心配です。{{{みみさんの記事}}}
[http://blogs.yahoo.co.jp/sayuri2525maria/27625296.html 資産売却による2兆5000億円は賠償には当てられず東電の存続のために使われる][http://blogs.yahoo.co.jp/sayuri2525maria/27590943.html 線量計外して]拒める雰囲気なく、指示何度も全員が従う・・・◆ 地震と原発事故情報{{{福島の子供に血液検査も受けさせないとは!}}} 甲状腺はまず血液検査です、これもからくり。[[attached(3,center)]]私は宮本百合子の本も読んだことが無く(恥)宮本顕治の妻で、宮本と共に投獄され、執筆禁止などを繰り返しながら活動したことぐらいしか知りませんでした。{{{ 17歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に登場、天才少女として注目を集め、その後もプロレタリア文学の作家、民主主義文学のリーダーとして活躍した人。}}} 百合子がこんなにお嬢様とは知りませんでした。[[attached(4,center)]]この映画、風景や主人公たちが着ている洋服、着物、建物、インテリアがとても素敵なのでそれを観るだけでも楽しい。二人の着物の違い、芳子({{{ 菜葉菜}}} )はきりりとした縞が多い。二人揃ってロシアに向かう列車の中ではめがねと洋服がそっくり。ロケ地は監督が過ごされた静岡。掛川にまたしても私が心惹かれる洋館や堂々たる庄屋の邸宅があるのですね。{{{吉行和子}}} が演じている百合子の母霞江(吉行和子は家事をしないのでキッチンはピカピカ、うらやましい(^0^))は猛母ですが、その死後夫中條精一郎に、 「可愛い妻であった」
と語られたような女性だったそうです。
百合子の母は霞江{{{津田梅子からじかに英語教育受けた華族女学校の校長の娘、父は工学博士、の建築家。本人はアメリカに遊学、早くに最初の結婚をしていた。}}} 映画の中で霞江のダイヤ指輪を観忘れてしまった!百合子の最初の夫荒木繁役の{{{大杉漣}}} がサービスです。アメリカで古代ペルシャ語の研究していた荒木は、百合子と結婚できたので帰国し学習院にも就職できた。
百合子を愛し、したい放題?させてあげますが百合子は飽き足らなくなってしまうのですね。「ベイビー」と連発し、料理作ったり、怒っていてもセックスの後はわかりやすくご機嫌に、この場面は男性も笑うそうです。別居するとか、もっと大きな家に引っ越してやり直そうと二人で騒ぐ割にすぐは離婚しない(笑)荒井繁はその後再婚し子供も得たが48才で病没。[[attached(5,center)]] 湯浅芳子(1896年12月7日 - 1990年10月24日)は、ロシア文学者。子供の時に読み、後に舞台も観た{{{森は生きている}}} サムイル・マルシャーク)を翻訳されていました。
{{{チェホフ、ゴーリキイ、 ツルゲーネフなどを翻訳。}}} {{{スカートをはいた侍と呼ばれ「女を愛する女」であることを隠さず生きた湯浅芳子}}}
初めは理屈っぽい二人の女性の対話や百合子役の一十三十一(ひとみとい・シンガーソングライター、世界各国を旅した。)の慣れないであろう演技が気になるのですが。監督が知られた女優さんでは色がついているから使いたくないと。男性監督が多いから男性から見た女性ではということです。百合子は{{{野上弥生子}}}
邸(又このお屋敷と庭園!メイドがお茶を入れる、野上弥生子もこんなに優雅な生活だったのでしょうか。)で芳子に引き合わされて一目惚れ。{{{洞口依子}}} 演じる野上弥生子も、二人を見守りつつも軽く嫉妬?
二人は手紙を交わしてやがて同居({{{黒澤亞里子編往復書簡宮本百合子と湯浅芳子)}}} 机を並べて仕事。{{{「私はあなたを愛し、あなたの仕事を愛する」}}} 芳子が一番愛したのは百合子だったが百合子は後に芳子を否定する小説を書く。それでも芳子は弁解もせず百合子の死後40年も思い続けた。無くなる前も同じ病室にいた女性が寂しいよぉと言うのを聞いても{{{「孤独だけれど寂しくは無い‥同じ魂の人間もいるし。」孤独は自由}}} 芳子が二番目に愛していたのが父親の借金のカタに芸妓になったセイ。演じるのは{{{麻生花帆}}} 、東京芸大大学院博士課程終了。邦楽囃子専攻{{{「私は幼い時から金で体を自由にされる因縁です。だけど綺麗な心のあなた様と出会って、情けない子持ちをやめました。」}}} それでも最後には芳子が愛した女性は男のもとへ。原作の沢部さんも{{{「孤高の人の」を書いた瀬戸内寂聴}}} さんも湯浅芳子がわがままでケチで、気分屋だったけどチャーミングな人だったと。{{{エンディングテーマ「さよなら、わが愛」吉岡しげ美作曲知らないことがわかってきて繋がることってとてもうれしいです。今日も{{{五木寛之が韓国のお寺を訪れた番組}}}を見ながら鍛冶屋などしていたのですが。その{{{華厳の教え}}}、みんな繋がっているから、殺人するのは自分も殺すことなどの教えが響きました。 京都府京都市出身。東京へ行き婦人雑誌の編集に従事する中で、ロシア文学の翻訳・紹介を志す。野上弥生子の紹介で中条百合子と知り合い、1924年から、当時の夫と離婚した百合子と共同生活を送る。1927年から1930年にかけて、百合子とともに当時のソ連に滞在する。帰国後は、ロシア・ソビエト文学の翻訳紹介を行い、21世紀までよみつがれる翻訳を発表した。この時期のことは百合子の『二つの庭』に詳しい。百合子とは、彼女の再婚を期に共同生活を断ち、その後は深い関係にはいたらなかった。晩年の1978年になって、自分宛の百合子書簡を編集、発表し、百合子の全集が刊行される前の時期の研究の深化に寄与した。同性愛者であり、宮本をはじめとして何人かの女性と同棲生活を送ったが、異性と恋愛関係になることは最期まで無かった(瀬戸内寂聴「孤高の人」によれば処女のまま生涯を終えたという)。生涯独身を貫いたこと(ただし、茶人で尾崎一雄夫人の異母姉である山原鶴が事実上の本妻的立場にいた)で、フェミニズムの立場からの注目も集まっている。死後、彼女の功績を記念し、外国戯曲の優れた翻訳・脚色・上演を行った者に贈られる湯浅芳子賞が作られた。生前の湯浅芳子と交流があった瀬戸内寂聴による回想評伝『孤高の人』(筑摩書房、ちくま文庫で再刊、2007年)がある。百合子との関係については、沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』(学陽書房「女性文庫」、1996年)に詳しい。2008年には、宮本百合子との往復書簡が刊行された。2010年には、浜野佐知監督作品『百合子、ダスヴィダーニヤ』の制作が開始。