2006/03/26(日)17:58
江原さん、胸に響かないのはなぜだろか?。
昨日買った江原啓之の対談を少し読んだ。
私と江原さんは同級生にあたるし、
江原さんも私も人生の早いうちに親を失くしているから、
いろいろと共感出来るところがある。
何冊も江原さんの著作を読んだことはないけど、
今回は読みきれないなあって言う感じがした。
対談相手の丸山さんが欲丸出しで、
かぶりつきって感じで、
江原さんに食い下がっているのに。
理由は江原さんの言っている事が、
正論なんだけど、
今の私には厳しすぎるから。
それと胸に響いてこないから。
江原さんはやっぱり小我をものすごく戒めているの。
小我っていわゆるエゴのことで、
よく私が言う「自己満なだけの人生」のこと。
これがなんか厳しいなあって思う。
江原さんは自分の為だけに使うお金は、
戻ってこないという。
そして人のために使ったお金は戻ってくるという。
こういうのを聞いちゃうと、
「ヴィトンが欲しい」だの、
「マンションが欲しい」だの、
って思っている人はなんだか心がぞわぞわしちゃう。
そこで対談相手の丸山さんが突っ込む。
江原さん自体ブランド服だったり、
ブランド時計だったりじゃないの!、
って。
それに江原さんは、
「私は文化にお金を払っているんです。
ブランドだから買っているんじゃないんです。」、
と答える。
そして「お金を使う動機が大切なんです。」とも言う。
まあ確かにそうなんでしょう。
でもなんか江原さんおリコウさんなんだよね。
まあお立場からすると、
スピリチュアルカウンセラーなんて怪しい職業だから、
だからこそキチンとわきまえていらっしゃるんだろうけど、
なんか厳しい気がする。
正しすぎる。
どーも共感できない。
つまりアタマにしか入らない。
胸に入ってこないんだ。
江原さんは早くに親を失くして、
霊感のせいでいろいろご苦労もされて、
実際随分とお金にも苦労されたのは、
佐藤愛子との対談「あの世の話」で知っている。
ど貧乏を経験したから、
お金のないことで何度悔しい思いをしたことか、
お金があればって何度思ったことか、
親がそろっていてくれたらって何度思ったことか、
っていう辺りをもっと出してくれてのいいと思うの。
今はお金があってうれしいとかね。
私はそこに同情したいワケじゃなくて、
きっと共感を覚えるから。
「アンタも随分と苦労したけど、
それを乗り越えてここまできたんだね。」ってね。
同志のような物を感じるから。
それを「文化に金払っている」なんて、
ちょっとおリコウ過ぎ。
私もそういうところあるから理解できるけどね。
きっと江原さんなりのお考えがあるんでしょうけどさ。
でもなんか胸に来ないよ。
俺も実はブランド好きなんだよね、
くらいぶっちゃけて欲しい。
「別れた相手に感謝なさい。」、
なんて辺りもあるんだけど、
これもおリコウ過ぎ。
何年もたってから出来る日もくるだろうけど、
お金の貸し借りがあったり、
そこに暴力があったり、
別のオンナが絡んできたり、
なんて別れ方したオンナには、
早々簡単に「別れた相手に感謝」なんて無理。
やっぱり恨みつらみに埋没する日があって、
そこから立ち直っていくには、
かなりな時間が普通は必要。
それを小我といってしまうのは厳しい気がするし、
やっぱりなんか胸に響かない。
もし仮にそういわれてそれを受け入れられるオンナがいたら、
逆に「いい人するのはやめなさい。」、
と私は言いたい。
前に石倉三郎とコンビ組んでいた、
レオナルド熊っていうオトコがいた。
よくビートたけしが熊をして、
「悪い事し過ぎて、
熊さんはいい人になちゃった。」って言った。
これは20年前に聞いて当時は笑って済ませたんだけど、
今はそうかもしれんって思い出している。
断っておくけど,
決して江原批判をここでしたいワケじゃないんだ。
江原さんは霊的見地から見た正しい導きを、
私達にしてくれていると思うんだ。
でもその正しさゆえに、
それと江原さん自身が自分に対する厳しさゆえに、
その導きには厳しさが伴い、
そしてどこか胸に響くというより、
アタマで理解するような感じのものになっていると思うんだ。
だから対談相手の丸山さんが非常に下卑た質問、
でも、でもと食い下がるような、
欲望丸出しの質問に駆られてしまうんだと思うんだ。
決して丸山さん自身の品性だけの問題じゃないよ。
アタマで理論として入っても、
胸に響かなければ気持ちにおつりがきちゃう。
そこで熊さんの話なんだけど、
熊さんは前に書いた「本来の自分」がきっと「悪」、
なんだと思う。
その悪をやりつくして、
人に迷惑をかけ、
自己嫌悪にさいなまれ、
悪の振り子が振り切れて、
いい人になるしかないところまできて、
いつしかいい人って呼ばれる様になったんではないかと、
推測するんだ。
「悪」がまずいこと、
いけないこと、
なんてみんなアタマにしっかり入っているさ。
でも出来ないのはアタマだけじゃ駄目ってことじゃないのかな。
自分自身が「悪」だけじゃやっていけない、
このやり方じゃあ生きていけない、
って所まで来て、
そこで初めて方向転換出来るってもんじゃないかと思うんだ。
だから今だらしのない人(かつての私)、
今意地悪な人(今の私)、
今物欲まみれな人(今の私)、
自分のことしか考えられない人(かつての私)、
これはこれでいいじゃないの。
これでずっと心地よく快適には生きていけそうにないのは、
なんとなく感じていることでしょう!。
折り返し地点まで行かないと、
きっと折り返せないんだよ。
だとしたら無理していい人になる必要はないよ。
確かに江原さんのような正論は存在する。
それはあくまで指針だよ。
胸に響いて自分が変われるならいいけど、
そうじゃないならアタマにしか入ってないってことだよ。
でもそいつを覚えておいて、
自分自身をやりつくす。
「本来の自分」をやりつくす。
そしてある日涙を自分の為に流す日がやってくると思うんだ。
っていうか私にはそういう経験がある。
だらしないのもやりつくせば、
今の私のように「几帳面な人」になれるよ。
だから金に執着して金を欲しがって、
金で豊かさの尺度を計る私をやりつくす。
そしてそこで初めて「金だけじゃない」って、
胸のそこから湧いてくると思うんだ。
そこまでやってみるよ。