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今、社宅の中庭で威張り散らして、 小さい子を泣かせたりしている小学生の子供数人の母は、 自分の子供が外でそんな振る舞いをしている、 ということがわかっていない、 ということが最近わかった。 この子達の母は、 子供達が就園前も、 就園後も、 いつも子供達が中庭で遊んでいる時は必ずと言っていいほど、 そばについていた母達だった。
私の長男の壱男は年少さんで、 まだまだお友達とのコミュニケーションがうまく出来ないから、 自転車やおもちゃの取り合いは日常茶飯事で、 時には手も出る。 そういう壱男に「今は遊びを通してコミュニケーションを学ぶ時期なんだよ。」、 と教えるのが今の私の役目だと最近の私は心得ている。
壱男はおしゃべりが得意で、 いろいろパッパッと思いつく方だから、 一緒に遊んでいるお友達に「こうしょう!。」「ああししょう!。」、 って提案するんだけど、 それが時には押し付けになっている。 そういう時に「○ちゃんはそれがやりたいのかな。 お話してみようね。○ちゃんは自分で決められるんだよ。」、 などと軌道修正するのも私の役目。
先の小学生の子供達にも幼い時期があって、 きっと今のような横柄な口を利く下地があったんだと思う。 そしてお友達に対して威張るような下地があったんだと思う。 母達は子供の遊びに付き合いながら、 (私の記憶の中ではかなり子供の遊びに付き合っていた) この時期に子供を軌道修正しなかったのだろうか?。 それともそういう下地を持つ子供には無理なんだろうか?。
この小学生をとりまく母達はいつもグループで行動していて、 それは生後間もない頃から始まっていた。 この小学生に舎弟にされている子供の親達は、 この小学生を赤ちゃんの頃から知っている。 母達は見た目にはとても仲良さそうに見える。 しかしこの一部の小学生に我が子を舎弟にされている母は、 この小学生の横暴な振る舞い、 横柄な口の利き方に対して我慢の限界に来ているにもかかわらず、 当の小学生の母達に現状を伝えることはしていない。 だからこの小学生の母達は我が子の現状を知らない。
壱男が今年幼稚園に入って間もない頃は、 壱男がよその子に手を出したらいけない、 そういうことばかりに気を揉んでいた。 春が過ぎて夏も終わって秋が来て、 壱男は手が出ることは目に見えて減った。 私の言う「お声掛け」「お話し合い」「御挨拶」、 (前回、前々回辺り読んでください。) を少しづつだけどやり始めていて、 コミュニケーションをほんの少しだけど学びつつある。 今は自分の要求、気持ち、をお友達に伝える、 そしてお友達のお話にも耳を傾ける、 そういうことに着目して、 子供の外遊びに付き合っている。 同級生のリー君、ケー君の母は相変わらず出てこず、 子供が安全に遊べればそれでよしという姿勢を崩さない。
あるときうちの上の階に今年になって入居してきた、 障害児を持つ母がこう言った。 「小学生になる前に、 上手に遊べるようになっておかないと後がきついよ。」と。 この母には小学1年生の健常児もいる。 障害児を持つ母としていろいろな経験を踏まえていらっしゃるようだ。
この言葉が当時ピンとこなかったけど、 今は「その通り」だと思う。 なぜなら小学生になったら、 自分でお友達とお約束をしてどんどん家から母から離れてしまう。 そうなると自分の子供が外でどんな振る舞いをしているかなんて、 わからない。 とんでもないことをしていても、 それを注意してくれたり、 教えてくれたりするような親切な人もそういなそうだ。 ここの社宅ですら、 妊娠中からの付き合いのある親しそうな人達の間でも、 本当のことは伝えられていなかった。 ちょっとコワイ。
先の小学生達のどう見ても常識を外れた振る舞いを見て、 私は何度か注意をしたことがある。 それを受けて、 この小学生の親が飛んできて、 我が子をガミガミ注意するという場面を何度か見た。 そしてそのガミガミの効用がほとんどない、 要は母の説教がこの小学生たちの心に全く響いていない場面も見た。
この小学生の母達は口をそろえて言う。 「幼い頃から○○はいけない、 △はいけないってキツク言ってきてはいるんですけどねぇ。」と。 確かに母達は小学生に怒鳴って叱ってはいる。 確かに叱っている。 でも残念ながら効果がない。 これが現実。
で、こうなっちゃった小学生、 3年生と5年生につける薬はないものかと、 畑違いと知りながら壱男の幼稚園の先生に相談した。 「3年生までに、 いけないこと、 してはならないこと、 はきちんと教えなければいけませんね。 もうそれ以上になるとギャングエイジといって難しいです。 でも手がないと言うワケでもありません。 その子達と仲良くなって、 その人間関係の中でお話していけばいいんです。」と。
最近私のなかでこの小学生達は見るのも嫌な、 嫌いな子になっていた。 この小学生に対して、 こういう気持ちを持つ母は多いようだ。 こういう環境でこの子達に素直になれと言っても確かに限界がある。 仲良くなるというのは、 この子達への嫌な子、嫌いな子、 というメガネを一度外して付き合ってみる、 ということなのかもしれない。 私にとってはチャレンジではあるけど試してみる価値はありそうだ。
先の障害児を持つ母の働きかけで、 少しづつだけど子供達に声掛けをして、 子供が育つ環境をよくして行こうという動きが出てきた。 まだまだごく一部ではあるけど。 前向きでいいと思う。
こんなよーなことを日々考えながら、 半年前のことを思い出した。 それは幼稚園の父母会。 といってもクラスに母が集まって先生とお話するだけなんだけど、 この時99%の母が我が子の心配ネタを披露した。 残りの1%は私のことで、 この時私だけが壱男に対して心配がない、 などと内心自負していた。
今になって思うと、 私は壱男を2歳、3歳と保育園に預けていたから、 壱男がどうお友達に対して振舞っていたのか、 どういう態度で接していたのか、 私は先生からのお便り帳を通してしか知らなかったのだ。 要は私は壱男のことを知らなかっただけなのだ。 ということが今になってわかった。 早く気がつけてありがたかった。
壱男を取り巻く子育てを、 今の私は難しいと感じている。 しかしやりがいも同時に感じている。 ありがたいことだとも感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月22日 00時06分52秒
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