2008/06/13(金)09:03
助六寿司の意味をしっていますか?
どこにでもある、助六寿司。
のり巻きといなり寿司のセットです。
江戸時代に一番の色男がいました。
その人の名前が、花川戸助六(はなかわどすけろく)といいました。
といっても、これは歌舞伎の話です。
”助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)という話の登場人物です。
江戸一番の伊達男の恋人は、吉原随一のおいらんであった揚巻(あげまき)と言いました。
助六はケンカっぱやい男で、毎晩のように吉原で喧嘩を繰り広げていました。
しかし、喧嘩をするには理由があったのです。
助六は、江戸の町人に身をやつしていたが、実は親の仇討ちを心に秘めた武士だったのです。
本名を、曽我五郎といいました。あだ討ちに必要な家宝の刀、友切丸を見つけ出そうと
相手に刀を抜かせるために、毎晩、吉原で喧嘩を繰り返していたのです。
やがて、おいらんの揚巻にぞっこんの髭の意休(ひげのいきゅう)という人物が
その刀を持っていることを突き止めます。
揚巻と助六は協力して家宝の刀を奪い返し、いざ親のあだ討ちへと向かうという話です。
おいらん、揚巻の”あげ”からとって、いなり寿司。
揚巻の”まき”からとって、のり巻き。
この二つをセットに見立てて、生まれた寿司が”助六寿司”だったのです。
本来なら、”揚巻寿司”と名前をつけるところを、あえて”助六寿司”としたところに
江戸っ子の粋と洒落が息づいております。
助六寿司には、江戸一番の色男と江戸一番の美女の恋物語が隠れていたのです。
その後、のり巻きは、関西に渡り、京都の花街や大阪の船場で商売繁盛を祈って食べる
恵方まき、としてブレイクし、再び東日本に戻ってきました。
結果、うちの会社の年間トップピークは、2月3日となりました。