2009/07/27(月)16:27
トヨタの来た道(第1話)
”人間のやったことは、
人間がまだやれることの
100分の1にすぎない。”
トヨタ自動車の源流。
豊田佐吉は、静岡県の農家の長男として生まれた。
しかし、佐吉の家は貧しく農業だけでは食べていくことは出来なかった。
父は農業のほかに大工をし、母は機織り(はたおり)をして飢えをしのいでいた。
おさない佐吉少年は、母親が朝から晩まで機織りを続けている姿を見て、
”なんとか母を楽にしてあげたい。”と思った。
佐吉少年は、手織機の改良を考えたのだった。
彼は、知識を得るため、博覧会に行き、外国製のはた織機を見に行く。
それをヒントに”豊田式木製人力はた織機”を考案する。
佐吉の作った、はた織機は、木材が多用されていたために、
金属でできた外国製はた織機と比較すると、
価格は10分の1だった。
その安さが評判になり、佐吉のはた織機は爆発的に売れた。
佐吉は、得た利益を開発資金にまわし、数年後に”自動はた織り機”を作り上げ
特許を取得する。
こうして、佐吉の開発した機械のおかげもあり、日本は繊維大国として
海外へ輸出できる国となった。
そして貴重な外貨獲得の道を開いたのだった。
豊田佐吉が40年間に取得した特許の数は、
国内で100以上。
海外でも50以上。
江戸時代から、たいして時間がたっていない頃、
海外で特許を取得した男。
それが、トヨタ自動車の源流、豊田佐吉である。