カテゴリ:カテゴリ未分類
18日(木) より仕事に復帰しました 診断書には 完全に回復するには1か月かかるので 「六月中の重労働を避けるよう」と書かれているけれど 小学校なんてところは 出てしまえば 軽減も何もなく 初日から 家庭訪問あり 溜まったテストの採点 プリントの山の整理 音楽と言えば 大きな声で歌うし 外に出れば炎天下で 走り回ることになる それが小学校の教師の仕事 でも 大丈夫です お陰様で 「 先生に会いたかった! 」 「 やっぱり先生がいいよ 」 の子どもの言葉に 出てよかった!! と思えたのでした 【卵巣出血の続きです・・】 退院が決まると いろいろなお医者さんが病室を訪ねてきてくれました 「大変だったよね」「痛かったでしょう」「こんなに早く回復できてよかったね」 と 声をかけてくれました その中で “命が危険な状態であった”ことを知りました 牛乳ビン1本の出血で 1か月の病休を取った人の話 痛みはそんなに感じなく卵巣出血を起こし 自宅で安静にした人の話 私の場合 “卵巣出血” そのものよりも 1200ccの出血があったこと が もっと重要なことでした ショック状態で命が危険な状態であったこと 止血できなければ すぐに手術をして開腹する予定だったこと 外科だったので 婦人科へ(違う病院へ)送ることも視野にあったこと できるだけ頑張って欲しかった できるだけ開腹はしたくなかった できるだけ輸血もしたくなかった でも 出血多量で死んではいけないんです もう限界! 手術!! という タイミングって すごく大事なポイントなんですね そんなことを聞かされて お医者さんの 本物のプロ意識 っていうのかな 感じました すぐに切るのは簡単だけど すぐに輸血も簡単だけど 他に送ることも簡単だけど それを回避するように すごく良心的に 診てくれたことを知って とてもうれしかったです 私は 最初に診断を受けたときに 「 私死ぬの? 」 と聞いたんですね 「 ばか!このくらいで死んでどうするんだ 」 と 主治医は言いました 「 リンパ節の病気で頸部を手術した時は もっとしんどかっただろう それも耐えたんだろう このくらい 大丈夫 」 と なんだかね お医者さんってすごいな って 私はあのときに 大事が起きたとは 思わなかったんです 安心したんですね 1200ccの 出血があったことも 後から聞いたんです 病気を治療する医師 って 患者の気持ちを 安心させて 自然治癒力を上げること を 第一に勤める すごいな・・と思った そして 頸部のリンパ節の手術の時に こんなことを言ったのを思い出しました 「 首に 手術の痕が残る事は 個人的に とても忍びないことです 」 目立たないように と “埋没法” と言う美容整形で使われる縫合をしてくれました 手術痕とは言え 今回は腹部とは言え 切ることが医師の名誉ではないと 思ってくれてるみたいでした ありがたかったです!! そうか ひょっとして あのまま出血多量のショックで 死んでいたら・・ 今頃 お葬式を終えて 子ども達は呆然としていたかもしれない 私は 祭壇に お骨になっていたかもしれない その可能性もあったんだ・・ 考えると 泣けて 泣けて 今こうやって 生きていることが 本当にうれしくて ありがたさを しみじみと感じてました 「 これは 一度失って “頂いたいのち” なんだ 」 そう 思いました これからの 人生の後半 私はどうやって 生きていくのか 思いました すぐに 答えはみつからないかもしれない だけど ひとつ言えることは 後悔しないように 今を一生懸命 生きること それから 「 ぼちぼちいこう 」 そして 退院をした日 真ん中っちは こんな日記を書いていました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|