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2018/02/17(土)21:15

終焉を前に

旅(509)

​​ JR西日本のホームページを見ると「三江線運行取りやめ」の文字があります。全線ではありませんが一部が大雪で運行取りやめになっているそうです。後は木次線。例年、この時期はお決まりのことなので、驚きはしません。ただ今冬の三江線については事情が違います。3月で廃線となるからです。廃線が発表されてから、週末などはものすごい人が乗っていると、先日新聞で読みましたが、最後に三江線を味わいたいと予定を立てている方にとって、気が気でないのではないでしょうか  2016年7~8月の日記で三江線訪問記を書きましたが、途中で更新されないまま今日に至っています。1年半も前のことです。当時は早めに更新しなければ、と思いもしたのですが、その後廃線が正式に発表されるに至って廃線直前に伝え直そうと考え直しました。訪問は同年5月でとても気候の良い季節でした    2016年8月16日の日記  ​​中断前の日記は↑を参考にしてください。この前後に記されています  簡単に振り返ると三江線っておそろしく本数が少ないので、魅力的な駅があっても降りると大変なことになってしまいます。上りにしろ下りにしろ何時間もやってきません。ですから三次のホテルに宿泊することにして2日間を確保。初日はレンタカーを借りてイチオシの宇都井駅を中心に、まずは駅訪問をすることにしました。とんでもない狭隘区間をいくつも抜けて宇都井駅へとたどり付き、三次へ戻ります  口羽駅訪問までが前回(といっても2016年8月のことだけど)の日記です。宇都井駅と並んでどうしても訪問したかった駅はあるのですが、偶然通りかかった    船佐駅で車を停めることに。宇津井近辺の新線区間を除いて忠実に江の川沿いを走る三江線の駅は、おそらく土地がなかったのでしょう。集落から川をはさんだ場所に線路が走っていることが多い。となると当然、周囲に民家が少ないことが多いです    以前はすれ違いができるように作られたと推察されますが、今は1面1線。そんな中、私の目を引いたのはこの案内板でした    戦争末期の1945年5月に、この地に米軍のB29が爆弾を投下し、うち一発がここに住む一家の命を奪ったと書かれています。全然知りませんでした。空襲や爆撃というのは基本的に港や都市で、このような山あいの村を襲うことってほとんどないのですが、戦争末期には完全に制空権を握った米軍が気まぐれというか弱い者いじめをするように、目についた民家や汽車に爆弾を落としたり機銃掃射をした事実も残っています。駅がなくなってしまうと、この案内板を見る人の数も減ってしまうのって悲しいですね  車をさらに三次方面へと走らせます。このあたりも川沿いの狭隘区間。やがて    長谷駅に到着です。宇都井駅と並ぶ本日のハイライト。なぜかというと盛り土の上に設置された駅舎(ホームは左手のさらに高いところにあります)に入ると時刻表が貼ってあります    停車するのは三次方面が2本、江津方面が3本だけ。三次行きは午前9時が「終電」という凄さです。本数が少ない三江線の中でも、普通列車の通過がある駅で、この駅に列車で降り立つのはほぼ不可能です。三次方面が通学用、江津方面が帰宅用と思われますが、既に周囲に人の姿はほとんどなく、現実として1日の利用者は堂々の「0人」のようです    ホームはいわゆる棒状(三江線の駅はほとんどこの形)ですが、ホームから      望む江の川は実に雄大です。1日に2本、3本しか停まらない駅といって喜ぶのはいいけど廃線になれば、それもなくなると思うと川を眺めながら悲しい気持ちになりました      

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