2013/02/14(木)16:38
AIDでうまれた人からのコメントを頂いて、改めて感じたことがあります。
こんにちは。
「理学気功」のヒエトル萱沼です!
今年2回目の更新です。
今朝は芯まで冷えるような陽気で、
やっぱり2月は一番寒いな、と思いました。
さて、少し前に、以下のコメントを頂きましたので、
それについて、改めて書きたいと思います。
「今日までここのブログを知りませんでした。よくぞ意見を書いてくださいました。私はAIDで生まれました大人ですが、知ったのはつい10年ほど前です。子どもが生まれるということは「こうのとり」にまかせるのが自然でよいと思っています。いろんな理由で子どもをもてない方には、心のケアをしてさしあげるのが本当の医療だと考えています。第三者の関わる生殖技術はいらないです。私は心の整理が少しずつできてきたので毎日幸せに過ごしていますが、それはこの医療や親や社会を許したわけではありません。問題は解決していませんが、心の中を幸せな気持ちに保つことができるようになっただけです。生まれてきてよかったとも思っていません。ただ人として自分に恥じない毎日を送りよき社会人として生きていこうと決めています。生殖技術はなくならないでしょうし、利用する人も減らないでしょうが、AIDは間違っていると思っています。」
AIDとは非配偶者間人工授精(Artificial Insemination of Donor)
を意味するもので、血縁のない精子提供者(非配偶者)の精子を
利用する方法を意味します。
《またまた、仙台の患者さんから宮城の純米酒「伯楽星」を頂きました!美味かったです!ご馳走さまでした。》
私は最近特に、母子や子供の治療に力を注いでいますが、
当然のように「不妊」に関しての悩みにも対応せざるを得ないので、
当然、人工授精という問題は避けて通れません。
ここで、一番の問題はコメントして下さった方の言っているように、
父親がいったい誰か?分からないまま生きていかなくてはならないことです。
自分の機嫌が分からない、ということは、
「自分が一体何者なのか?」
その答えが永遠に分からないことと等しいのかも知れません。
これは、察して余りある事態です。
私が思うに、
「不妊」問題がエスカレートしていくと、
最悪の場合はこういう子供を不幸にしてまう事態に気づかず、
こういう選択肢を選んでしまうことがある。
このことを、一人ひとりが深く受け止める必要がある気がしました。
最近、体外受精を選択して、ご苦労されている患者さんが
心中を赤裸々にお話してくれました。
「どうしても、子供が欲しい」という感情の根底にあるのは、
実は「女性としての劣性を受け入れたくない」という気持ちで
あることに続いたそうです。
つまり、
「どうして、あの人が妊娠して、私には出来ないのか?」
ということです。
その患者さんは、自分は果して本当に心底子供が欲しいと
思っているのだろうか?
そう考えるうちに、はっきりと確信が持てる気がしなくなって、
次回の不妊治療で結果が出なければ、もう不自然な治療は
一切止めることに決めたそうです。
私自身も妊娠出産が出来れば、それが一番だとは思って、
日頃から、患者さんのお手伝いをしていますが、
AID の方も言うように、赤ちゃんの授からない人たちにこそ、
十分なこころのケアが必要が必要だと考えて来ました。
優れているから、授かるわけではなく、
劣っているから、授からなわけではないという事実。
頭では理解していても、こころのどこかに自分を責める気持ちが
巣食っている場合は、とても辛いものです。
子供が居ても、居なくても、確実に幸せ。
本来はそういう世の中でなければいけない、と思います。