障害者の望む介護
今日の夜7時から3時間、NHK教育で障害者と介護についての討論会をやっていました。障害者側と介護職の現役やその卵の人々が参加して、障害者の望む介護というものについて論じていました。まもなく成立するであろう障害者自立支援法については、やはり在宅障害者の自己負担が定率(10%)で行われるであろうこと、そうなると24時間介護が必要な重度障害者や進行性の病気を患っている障害者などは、かなりの経済的負担を余儀なくされ、障害基礎年金(1級障害で年間993,100円)では在宅生活を維持できないよう追い込まれていく状況が語られていました。また、逆にこの法律を支持し、障害者も相応分自己負担をすべきという障害者もいました。この人の持論では、この法律にはちゃんと終日介護が必要な人にはその介護が与えられる内容が盛り込まれるはずということでした。本当にそうなのでしょうか。障害者を取り巻く状況もさまざまです。労災認定を受けて労災年金を受けられる人、家が裕福な人、また職場で社会保険が無く自分で国民年金をかけていて障害基礎年金(1級障害で年間993,100円)だけもらえる人(うちはこれです)受傷時に大学生などで、20歳を超えていて国民年金に加入していなかったために1級障害であっても全く無年金の人もいます。この法律はこれらのさまざまな人々の暮らしにあわせて作られているのでしょうか。はなはだ疑問です。そして、話題は障害者が望む介護について語られ、きゅうりの浅漬けをヘルパーさんに作ってもらうのに、必ず7ミリずつに切ってもらうよう自分でチェックしている利用者がいました。ダーリンも私もそういう細かいことには全く頓着しないたちですが、洗濯物のたたみ方、掃除の仕方などに細かく注文をつける利用者がいることは知っていました。この人もそういう人なのかなと思っていると、彼女は「自分で生活をプロデュースしていきたいから」といっていました。私はそれまでそういう要望をする人々のことを少しあきれてみていたのですが、はっと気づいたのです。彼女は身体が動けばきっと自分で立って台所に行き、7ミリずつきゅうりを切るに違いないということに。「意志があっても、身体がその通りに動かない」からそう要望するのだということに。細かかろうがなんだろうが、それがその人のポリシーであり生き方で、身体が不自由だからといってその意志を押さえ込む必要はないということに気がついたのです。そしてそこまでのきめ細かい介護を望むとすれば、当然介護時間は長くなり、やはり障害者の自己負担増はその人の生き方までも強制的に変えさせてしまうことだということです。番組の最後の方で「青い芝の会」という30年以上前の障害者の運動が紹介され、当時の運動の中心人物だった方がスタジオにこられていました。当時は障害者(なかでも脳性まひの人)の子供の将来を悲観して親が子を殺してしまうという事件が数多くあり、社会も殺した親に同情的で、親は減刑されるという事例が多かったようです。これに対し、この会は「障害者は殺されてもよい存在なのか?」と問いかけて、ビラ配りや座り込みなどの運動をすすめていきました。現在の障害者の人権擁護運動の草分け的存在かもしれません。その方が言われていた言葉で、「可愛がっていたわが子が障害のある親を殺しても減刑される、そんなひどいことはない」といっておられたのが印象的でした。当時は介護保険もなく、在宅介護はすべて家族に任せられていました。それが悲劇を生んだのかもしれません。我が家も家事援助他をヘルパーさんにお願いしており、その間私はフルタイムで働く事が可能になっています。それは私にとってもダーリンにとっても、とてもよい状態です。自立支援法は障害者をどこへ連れていくのでしょうか。小泉さんに聞いてみたいです。