2005/09/05(月)10:56
Wedding レポート 4
15、披露宴の山場?、新婦から両親への手紙になりました。
照明が落ちて、音楽が流れ、スタンドマイクが用意されると、
式場内がシーン・・・やっぱりこの場面って静かになるんですねぇ。
私にスポットライトがあたり手紙を読み始めましたが、意外にも緊張せず。
一度だけウルッときて涙声になりかけたけど、とまる事なく全部読みました。
自分では、大泣きして読めないんじゃないかと思っていたのに。
手紙にはこんな事を書きました。
”就職活動中「父親の背中をどう思うか」聞かれた事があります。
私の記憶に鮮明に残っているお父さんの背中は、
仕事に出かける時に見えなくなるまで見送ったお父さんの背中です。
私達家族の為に一生懸命に働いてくれたお父さんの大きな背中は、
私にとって尊敬であり、憧れであり、その気持ちは今も変わりません。
これからもお父さんの背中を目標に頑張っていきます。”
”小さい頃からお父さんは仕事で家をあける事が多かったけれど、
そういう時のお母さんの口癖は、
「お父さんは私達の為に働いてくれているのだから、
お父さんが帰ってきたらありがとうって言うのよ」という言葉でした。
その言葉があったからこそ、私達家族は仲良しでいられたと思います。
お母さんは母親としてだけではなく、一女性として尊敬する存在です。
これからもお母さんの様な女性になれる様頑張っていきます。”
他にも、小さい時病気になった私を励ましたくれた時の事とか、
受験の時には願掛けで父親が髭を伸ばしてくれた事とか、
恋愛でも仕事でも母親は常に励まし続けてくれた事とか・・・
エピソードをまじえた感謝の手紙を書きました。
最後には、たった一人の妹への感謝の言葉も付け加えました。
親への手紙って・・・難しいですよねぇ・・・
16、そして両親へのプレゼントは、旦那さんとの手作りのシルクフラワーアレンジメント。
私から私の母へ、旦那さんか旦那さんの母へ渡しました。
また、私の父は3日前が誕生日だったので、誕生日プレゼントにCDもあげました。
父はもらったCDを嬉しそうに掲げて、あげてよかったなーって心底思いました。
旦那さんはお義母さんに手紙を書いていたので、それも渡していました。
17、両家を代表して私の父からの挨拶がありました。
新郎側はお義母さんだけなので、新婦父が挨拶をする事になりました。
この挨拶ですが・・・私の記憶と旦那さんの記憶が一部違うんです!
”・・・まだまだ若輩者(ジャクハイモノ)の二人ですが・・・”
と私には聞こえたのですが、
”・・・まだまだジャガイモの二人ですが・・・”
と旦那さんには聞こえたのだそう。
そうかなぁ~、ジャガイモとは聞こえなかったけど。
18、シメが旦那さんからの御礼の挨拶。
これまた前日まで緊張して頑張って考えていたんですが~、
どうも酔っ払っていた様で、本人も話した事をよく覚えていない様子。
紙を見ながら何とか挨拶していましたが、若干変だったかな???
挨拶の途中から、エンディングロールを流しました。
私達の御礼の言葉と、出席頂いた方全員の名前が映画のエンディングの様に流れます。
これ、友達の結婚式でやっていたのを見て、
「私の名前が流れた~」ってとっても感動した事があったので、やる事にしました。
19、お見送り時のギフトは”笹かま”です。
私が幼稚園から高校まで仙台で過ごしたので、笹かま+サンキューカードにしました。
引出物もお菓子ではなくハムの詰め合わせ、見送り時のギフトが笹かまで、
甘い物が苦手な男性にも、家庭もちの方にも、とっても好評でした。
これで披露宴は終わりです。
そのまま同じホテルの14階にあるレストランで二次会をしました。
二次会でも、マツケンサンバを踊ったメンバーが大活躍してくれました(笑)
あー楽しかったなぁ、アッという間でした。
たーくさん写真を撮ったので、笑顔を作りすぎて顔が痛かったなぁ。
高砂(新郎新婦席)から自分達のカメラでも写真を撮りたかったなぁ。
(新郎のスーツのポケットにでもカメラを忍ばせておけばよかった・・・)
もっとみんなのテーブルをまわって、みんなと話がしたかったなぁ。
後悔はないかな・・・全力を出し切ったという感じ!?
旦那さんは、「もう一回結婚式ができるならガーデンウェディングをしてみたい」
と言っていたけれど、私は一回限りの結婚式で十分に満足したのでもう一回はないです。
もしもう一回でも、また同じ様な結婚式がしたい、みんなに来てもらいたい。
それに、披露宴の後には沢山の友達や親族から、
「いい式だったよ~」「今まで出た中で一番よかった」
などと言ってもらえたのがとってもとっても嬉しかったです☆
本当に思い出深い一日でした!!!