2.退院後退院してからが地獄だった。まず心労でご飯が食べられなくなった。 搾乳する時と面会以外は寝てた。現実逃避だ。寝てる間は忘れられる。 食事が喉に通らなくなったので、母が野菜ジュースを作ってくれた。 しばらく私の食事はそれだけだった。 そして、産休取得後すぐに職場復帰する予定だったが、子供の置かれてる状況から、仕事を辞めようと思った。その時点では、子供は12月(生後3ヶ月)に退院する予定だったので、仕事をやってる場合ではないと思ったのだ。 でも色々と考えた結果、結局辞めなかった。今から思うと辞めなくて正解。 子供の名前をつけなくてはいけない。 出産前から色々考えてたが、「力斗」という名前が一番しっくりくるということで、力斗に決定。 生後10日後、力斗の容態が急変し、人工呼吸器がつけられる。 そして、腎臓・肝臓機能の低下。命が危なくなった。 「心臓から出ている動脈管が悪さをしています。非常に危険な状態です・・・。肺高血圧を起こしています。動脈管を縛る手術をします」 ということで、当初生後1ヶ月に予定していた手術を急遽することになった。 私は「手術をすれば、力斗が少しは楽になる」と思うと同時に、「このまま手術中に亡くなってしまった方が、いいのではないか・・・?」ととんでもないことも考えた。 力斗は一生懸命頑張って生きてるのに、なんてひどい母親だろう・・・・。 顔面マヒで、将来いじめられるかもしれない。辛い思いをするだろう。 今だって、死にそうで辛い思いをしてる。痛い思いをしてる。 何もわからないうちに天使になってしまったほうがいいのではないか・・・。 と思った。でもこんなこと誰にもいえなかった。 外科の先生と小児科の先生からは、簡単な手術ではあるが、機能が低下している力斗が耐えられるかわからない、と、最悪のケースもあることを説明された。 涙が出てきた。 しかし、手術は無事成功。 パパはその時フランスに出張中。 国際電話で手術の成功を聞き、また次の日仕事がひと段落すると、気が抜けたのか異国の地で高熱を出してしまった。 ついでに言うと、帰国して2週間後、肺炎で倒れてしまった。 りきとのこと、ノイローゼ気味の私のこと、仕事のことで、疲れが溜まってたのだと思う。 それでも一言も弱音を吐かなかったパパ。いや、一回だけ吐いた。結婚してから初めて聞いたなあ、パパの弱音。 出産した次の日、車の運転が上手いパパが、停まってる車に軽く当ててしまったというから、かなり精神的にきてたのだろう。 でも気丈に振舞ってたパパは偉いなあ・・。 ジャンル別一覧
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