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里山暮らし、ときどきヨーロッパ・ロングステイ

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2008年08月02日
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グラムシ・トップ.jpg
お暑うございます。
皆さま、お元気ですか。
写真はサルデーニャ島のアーレス村です。

以前にもお話しましたが、
この村はアントニオ・グラムシが生まれた故郷です。

グラムシは知る人ぞ知るイタリアの革命的思想家。
世界中で最も翻訳され、研究されている著述家の一人です。

もう三年ほど前になりますが、
日本のグラムシ研究者・小原先生が翻訳なさった
この本↓を「グラムシ・ミュージアム」に寄贈しようと、
私達はサルデーニャを訪れたのでした。
グラムシ8.jpg

日本からはるばると本を抱きしめ機上の人へ‥
少しおおげさですが、そんな感じの慌しい旅立ちでした。

なにしろ、私が知っているのは、
サルデーニャがグラムシの故郷ということだけで、
生家はアーレス村にあり、子供時代を過ごしたのは、
近くのギラルツァという町らしい‥。

そんな程度の情報だけで、サルデーニャ島まで
飛んでしまったのですから。

クラムシ1.jpg

アーレス村‥イタリアのどこにでもありそうな
教会を中心に静かに暮らしている小さな村でした。

幸いなことに滞在予約したのがオリスターノ県の
ボナルカド村だったため、目指す生家はすぐ近く、
この辺りじゃ有名のようです。

地元の人たちはグラムシのことを「作家先生」と
親しみを込めて呼んでいる様子が印象的でした。

右側、一番手前の黄色の建物が、その生家です。
このプレートを↓目にしたときは、
『とうとう 見つけた!』と感動しました。
グラムシ2.jpg

生家は中に入れないので、外から写真を撮るだけにして、
グラムシが小学校の頃住んでいたというギラルツァの町に移動。

孤独で多感な少年時代を過ごした当時の家は建て替えられて
今では、図書室も併設する「グラムシ・ミュージアム」として
開放され、世界中の研究者たちが訪れる場所になっています。

グラムシ3.jpg
ミュージアムの図書室に、無事に本を納めて、
スタッフの皆さんにも喜んでもらえました。

私たちもイタリアと日本の交流に、ほんの少し
お手伝いできたようで嬉しかったです。

グラムシ4.jpg
ギラルツァ時代のグラムシの寝室。
窓の外がグラムシが愛した小さな庭です。

グラムシ5.jpg
窓から見ていた「彼の庭

十年に渡る苦しい獄中生活の中で、
この庭で遊んだ少年時代の時間が、
夢のように脳裏に浮かんだのではないかと思います。

46年間の生涯の中で、光に溢れる懐かしい庭は、
グラムシの心の原風景ではなかったか‥と、
「彼の庭」が今でも私の心に残っています。
グラムシ6.jpg

追伸
某新聞社のイタリア特派員で、ヨーロッパに造詣が深い小原先生に、「スローフード秦野支部」の顧問になってもらいました。
心強い限りです!
いよいよ始動間近! 乞うご期待! です☆





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最終更新日  2008年08月04日 20時59分40秒
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