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里山暮らし、ときどきヨーロッパ・ロングステイ

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2010年10月24日
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秦野木綿.jpg
『沃土』和田傳 昭和12年11月10日発行 定価1円50銭 丸背秦野木綿装上製本

定価1円50銭に時代を感じますね。
今では幻となった「秦野木綿」を本の装丁に使っています。
かつては普段着や夜具に使われた武骨な木綿ですが、
このシンプルさが、今見るとなかなかお洒落です。

それに最近は、あまり見かけなくなったけれど、
こんな風に布貼りでケースに入った本がありましたね。
子供の頃、本棚に並んでいた本はたいていそうだったような気がします。

昔、秦野の町の辻々からは一日中カタン、コトンと機織りの
音が聞こえていたそうです。
「秦野木綿」は綿糸を、天然藍草を発酵させた瓶の中で
染める先染織物でした。

製織に細かな手法を要するため機械化は難しく、
量産もできず家内工業の手仕事だったといいます。

この木綿の他にも葉たばこの産地で有名な秦野でしたが、
煙草の他にも落花生や米穀などを東海道方面に運んでいました。
これら輸送に活躍したのが秦野―二宮間を結んでいた
今は無き「軽便鉄道」です。


秦野駅.jpg
湘南軌道の貨物ホーム(大正時代の絵はがき)

ちなみに初代の「秦野駅」は今から約100年前(明治39)年に、
現在の秦野市本町2丁目に誕生したそうです。
当時は一頭の馬が牽引する馬車で「湘南馬車鉄道」と呼ばれていたのです。

その後、農業の生産力も増えてきて
急増する物流に対応するため、馬車から蒸気機関に転換したのが大正2年。
秦野の近代的動力への大きな変換の時代です。
名前も「湘南馬車鉄道」から「湘南軽便鉄道」にと変わります。


秦野駅二代目.jpg
二代目「秦野駅」(大正時代の絵はがき)

たばこ葉の輸送に便利なようにと、
専売公社秦野支局のあった(現ジャスコ)前の場所に
二代目「秦野駅」が造られました。
今は「NTTドコモ」になっています。


軽便みち.jpg

初代「秦野駅」も「台町駅」と名前が変わり通過駅になって‥

軽便みち3.jpg

今では煙草農家もなくなり「秦野たばこ祭り」にその名を残すくらいに。
「秦野木綿」も地元で記憶に留めている人は僅かになっています。

昭和12年、軽便鉄道はその役目を終え、
ついに姿を消しました。

昭和62年、五十年ぶりに秦野駅の名が復活。
新宿―小田原間を結ぶ小田急線の「大秦野駅」(オオハタノエキ)が
「秦野駅」となり現在に至っています。
今の秦野駅って三代目だったんですね。

軽便みち2.jpg

写真は「台町駅」と改称された初代「秦野駅」の夢の跡地。
明治から昭和を駆け抜けた軽便鉄道は、煙草や木綿と一緒に
人々の新しい時代への夢や希望も運んだのでしょうか‥。





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最終更新日  2013年05月02日 10時07分32秒
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