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2017年03月12日
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カテゴリ:葦牙ジャーナル
  浅田真央 NHK杯スペシャルEX「ジュピター~未来への光~」より

六年前の大晦日、私は、突然、脳出血で倒れた。
その年は正月どころではなかった。気が付くとベッドの上。大手術だったそうだ。

 そして‥救急の大学病院からリハビリセンターに移ったばかりの2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源とするマグニチュードMw9の地震が起こった。
ちょうど病院に夫が来ていて、私は車イスで地下の食堂にいたのだが、あまりの揺れにお茶を飲んでいることも出来ず、食堂にいた数人と共に外に避難した。
東北から関東にかけての大地震はその後、大津波を引き起し同時に福島第一原子力発電所事故という人災をも引き起こすことになった。

揺れも治まって部屋に戻りテレビを付けると目を覆うような光景が映し出されていた。
リハビリセンターでの食事は食堂でみんな一緒に食べるのだがここにも大きなテレビがある。入院中の人達は東北の悲惨なニュースを見るのを心なしか嫌がった。
みんな自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で、将来を考えると不安でいっぱいだったからだろう。
正直いって私も、ところどころ記憶がぼんやりとして悪夢でも見ているような気がした。 

 しかし、私にとって仙台は第二の故郷のようなものだ。嫌でもニュースから目が離せない。
私は十代の頃、仙台の国立西多賀療養所(現・仙台西多賀病院)で大きな手術を受けて命拾いをした。
当時、ここは不治の病と言われた結核や筋ジストロフィ、脊椎カリエスといった難病を受け入れる療養所だった。
多くの友人がまだまだ生きたいと願いながら旅立っていった。
私のように奇跡的に社会復帰できた人間はそんなに多くはないだろう。
だから、命の恩人のドクターとは今でもお付き合い頂いている。

 仲が良かった同級生の実家は宮城県七ヶ浜町で、かつて泊りに行ったら家族総出で歓待してくれたこともある。
あの家族はみんな無事だろうか。
また日本とスペインと往復した「慶長遣欧使節団」を乗せた「サン・ファン・バウティスタ号」を見るために石巻市まで足を伸ばしたこともあった。
雄勝湾は古くから「月の浦」と呼ばれており、夕暮れ時の入り江を見つめながら、月に照らされ夜の海に浮かぶ帆船のシルエットを想像したことを昨日のことのように思い出す。

 牡鹿半島の北に位置する険しい谷間と深い入り江。
あの海が‥ あの町が‥ 屈託のない笑顔で迎えてくれたあの人達は‥
ベッドの上で、繰り返し襲う余震に怯えながら、病室でなんにも出来ない自分が歯痒かった。

 テレビが映し出す地元の人達は、なぜか「あっはは、何にも無くなっちゃって、あっはは」と笑っている場面が多かった。どうしてこんなとき笑えるのだろうと不思議に思っていたが、先日、よしだみどりさんのエッセイで『人は、どうしようもない程の悲しみや、極度の恐怖を感じると、笑う?らしい』とあるのを読みハタと腑に落ちた。と同時に、これからの「社会の豊かさ」はみんなが幸福になるための条件を持っているかどうかという、新しいモノサシが必要になるだろうとも思った。

 法政大学総長で江戸文化研究者の田中優子さんは著書の中で『江戸文化の本質は「循環」と「因果」の価値観であった。今のように勝ち負けを基準にすると常にそれを壊し続けるしかない。
日本の各地を歩いてみると、そこには、地に足のついた知恵者や知性がいて、彼らは山を知り川を知り自然を知っているからこそ、祭りや芸能の存在理由も理解し、実践できている。だから江戸学を未来学としてとらえ、人々のかかわりかたを見つめ直せば、私たちは、まだ、間に合う』(未来のための江戸学・この国のカタチをどう作るのか) と提言している。

 もちろん、たとえ望んだとしても私たちは後戻りするのは不可能だ。
それでも、いい空気と水、豊かな生態系が周りにあれば、家族そろってご飯を食べるという人間らしい幸せを手にすることは出来ると思う。 
命は自分のものだけではなくて、過去と未来をつなぐもの。「ああ、生まれて来てよかった」という希望の光を、未来を繋ぐ子供たちに残してあげたい。
この子たちがこれからを背負って行くのだから‥。
そして、未来は、人間も含めた自然との調和の中にしかありえないとも思うから。

 被災された方の中には、苦しい避難生活の中ででもヒマワリを育てたり、地元の祭りや音楽祭を開催したり、手作りの小物を作ってバザーをしたりなど、楽しい企画を考える頼もしい人たちがたくさんいて、病気でなかったら私も参加したかったくらい逆に励まされている。
いつか、自分の目で見て、記憶にとどめて、忘れないようにするくらいしか出来ないだろうけれども、ささやかな感謝の気持ちを届けたい。
そして、日常が突然断ち切られた「あの日」は、いま、東日本大震災と呼ばれている‥。






最終更新日  2017年03月12日 14時02分48秒
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2017年03月07日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
団地の梅1.jpg
(団地の梅も満開で、春よ来い来いと待っている)

【いっそ、マイ・ケアプラン】
介護保険★手づくりの幸せレシピ パート2
 昨年、ひょんなことから始まった私の挑戦(ケアプランの自己作成)は、ちょうど十月で奇しくも私の誕生月だった。挑戦というには少々大げさだが、如何せん、私の住んでいる市では初めてのケースだというし、ためしに県庁に聞いてみたところ、ケアプランの自己作成者は県でも数人しかいないそうだ。昔から「新しモノ好き」なのは父親譲りのせいかもしれない。
 「新しモノ好き」といえば最近、テレビのCMで見たロボット掃除機を買ってみた。半信半疑で使ってみたところその威力に驚いた。さすが無人で戦争をするため武器や戦略を考えるアメリカが作った商品だと、ある種の感動を覚えるほどだ。サイズさえ合えばどこにでも入ってゴミを見つけ出し、仕事が終わればとっとと自分で寝床(充電器)に帰って行く。今では我が家の一員になりつつある。

 現実の掃除やお風呂介助は専門のヘルパーさんに来てもらう。そのためには毎月ケアプランを作らなくてはならない。通常その業務はケアマネージャー(有資格者)が行なっているが、本人や家族がケアプランを作成しても良い事を知った私は、自己作成を始めようと挑戦したのが昨年の出来事だ。(あしかびジャーナルナル126を参照)  
 その自己作成ケアプランのため、我が家で第一回目の担当者会議を開くことになった。
いよいよケアマネージャーを通さないで、自分の人生のデザインは自分でするのだと気負っていなかったといえば噓になる。関係者の皆さんに私の気持ちを説明し、協力してもらわなくてはならない。
 当日、集まったのは、看護士さん、介護事業所の皆さん、理学療法士、介護ショップの社長、私と夫、それに市・高齢福祉課の担当者にもオブザーバー参加して頂いて、総勢十一名が団地の一室に集まった。
案の定、そもそも『なぜ自己作成をしようと思ったのか?』というのが開口一番のテーマであった。やはり、みんなの疑問はそこにあったらしい。
 
 私は管理される側だけでなく、『自分の人生の設計は自分で組み立てたい』と、ずーっとそう思ってきた。
介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識も生まれるかもしれないと思う。 
何かあったらケアマネージャーの代わりに自己作成者(私)が連絡を受ける。ときどき担当者会議を開いて問題があればそこで解決する。今の世の中はインターネット社会になっていることだし事務処理はできるだけ簡素化したい旨もお願いした。
市役所の担当者からは、我が街・独自の「介護保険・自己作成マニュアル」を検討中だとの話があった。
私は大賛成だ!自分で出来る人はやってみた方が絶対良い。生活に張りが出てくるし、何より頭の体操になって楽しい。
 ついでに、私の今年の抱負は、東京から市に講師を招き、「みんなで考える幸せレシピ♪」というイベントの開催を考えている。新しい人との出会いや企画を考えるのは楽しいものだ。
これも私の「幸せレシピ」の一つである。

 ところで、私のFacebook仲間である森田洋之さんが昨年、藤沢市で小規模多機能型居宅介護を実践する加藤忠相さんと共著で本を出版した。「あおいけあ流介護の世界」
これがなんと、目からウロコの「次世代介護スタイル」だ!といっていい。手書きハート
なにしろ、爺ちゃん婆ちゃんが輝いている!
職員がほとんど辞めない。施設で職員同士の結婚式もやってしまう。最期は家族のようにお看取りまで…というから私も藤沢市に引越したくなってしまう。 
辛い・暗いの介護のイメージをくつがえす「あおいけあ流介護の世界」は、私から見れば夢のような介護の世界だ。この取組みは、2012年「第一回かながわ福祉サービス大賞」で大賞を受賞。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された。  
私も毎日一番身近にいるヘルパーさんと、血が通った人間どうしの付き合いをしたいと望んでいるが、規則に縛られてこれがまたなかなか難しい。
ヘルパーさんと一緒に温泉にまで行ってしまう「あおいけあ流介護」が正直うらやましい。
 最後に、「地域を巻き込め!」と著者は提案する。
しかし、お正月の餅つきはノロウィルスのため中止になり、除夜の鐘がうるさいという声や「火の用心」の拍子木の音までもクレームが付くというご時世だ。
「地域」を巻き込むことが日本中の介護の現場で出来るのだろうか‥。






最終更新日  2017年03月07日 21時25分43秒
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2016年12月27日
里山秋2.jpg

首都圏で行ったことのある地域のうち「住みたい街」はどこか?を
評論家の三浦展さんが、1都3県の1500人を対象に調べ、新著にまとめたそうだ。
107地域のなかで、女性は年齢にかかわらず「横浜みなとみらい」が首位。
男性は20代は「渋谷」30代「秋葉原」40代「鎌倉」と世代で異なった。
「年収や学歴、雇用形態、交際相手の有無なども聞いているところが従来の調査と違う」と三浦さん。

う~ん、分かってないな~皆さん!と私はついつい独り言。
そりゃあ、横浜みなとみらいも鎌倉も遊びに行ったらイイとこ沢山あるよ。
でも、生活となったら、私が住んでる「秦野」だって負けてないよと思います。
まず、東京から電車で一時間、神奈川県で車のプレートだって「湘南ナンバー」
街の中にはきれいな川が流れ、丹沢の山が近いから伏流水が豊富(名水百選30周年記念の第一位は秦野のおいしい水。なんたって環境庁の「全国名水百選」にも選ばれているんだもん)
鶴巻温泉はある、富士山だって窓から見える、物価は安い(ウチは秦野値段と言ってます)
気候は温暖‥東京や横浜に台風が来ても、大雪が降っても、秦野に降ることは稀と言っていいくらい。
それに私が住んでいる団地は地震でもほとんど揺れないの‥これは団地が岩盤の高台に建っていて、一番端っこには秦野で唯一の前方後円墳があるんです(高台そのものが七世紀ごろ造られた横穴式古墳群)昔の人は安全な場所をよく知っていたのね。
だから地震には強いです。いざとなったら近くの井戸から貰い水しようかな~。
そして介護が必要となったら、訪問ドクター、ナースさん、ヘルパーさん、リハビリの専門家、マッサージスタッフさん、みんな自宅に来てくれるし、毎日、秦野のお母ちゃんたちが美味しいご飯を作ってくれるし、これでウチの彼がずっと元気でいてくれたらもういうことない人生です。手書きハート
写真は、毎日、スーパーの買い物に出掛けるときに見る景色。
こんなきれいな里山の風景を日常的に眺めるだけでも、秦野に引っ越して良かったなと思います。
それに、湘南の海は近いし、車で40分も走れば箱根です。
だから芦ノ湖周辺は一番身近なドライブコース。
日帰り温泉もたくさんあるし、我が家の奥座敷といったところでしょうか。
ねっ、秦野には欲しいものはみんなある!ってホントでしょ。

ちなみに、ベスト20は次の通りです。
1 横浜みなとみらい(神奈川)
2 鎌倉(神奈川)
3 吉祥寺
4 恵比寿、代官山、中目黒
5 表参道、青山、原宿
6 池袋
7 新宿、千葉、幕張、稲毛(千葉)
9 秋葉原、水道橋、飯田橋、春日、白山
10 二子玉川
11 渋谷
12 浅草
13 品川
14 大宮(埼玉)
15 下北沢、武蔵小杉、川崎(神奈川)
18 御茶ノ水、神保町
19 上野、御徒町
20 自由が丘、大船、藤沢、辻堂、江ノ島、茅ケ崎、平塚(神奈川)






最終更新日  2017年01月23日 10時58分16秒
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2016年10月28日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
秋.jpg

介護保険手作りの幸せレシピ手書きハート
それは、ひょんなことから始まった。    
何気なく私が暮らしている市役所のホームページを眺めていたら、介護保険のことについて自分が今まで考えてもみなかった「あるコト」を発見した。 
介護保険が使えるようになったのは今から十五年前、私のように突然、介護が必要になった場合には有り難い制度だ。利用するためには、まず国に介護度を認定して貰わなければならないが、認定後、受けられるサービス(在宅・通所など)は、ケアマネジャーに頼んでケアプランを作ってもらうことになる。‥と、私も家族もずっーとそう思っていた。 
ところが、市役所のホームページには、『ケアプランは自分で作ることもできますが、作成の手間や事業者との連絡・調整などを考えると、やはりケアマネジャーに作ってもらう方が良いでしょう。(自分でケアプランを作成する場合は市の窓口にご相談ください)』とあった。
なんと、自分のケアプランを自分で作る?そんなことが出来るのか!目から鱗だった。
もちろん、行政のチェックが入るから何でも好き勝手に出来る訳ではない。
それでも自分の人生の設計を自分で組み立てられるというのと、他人であるケアマネジャーを必ず通さなければ何も出来ないというのでは明らかに違う。
セルフケアプランで自分の人生をデザインする。介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識からなる新しい生き方になりえるかもしれない。
そうだ、私もケアプランなるものを自分で作ってみよう!新たな生きるモチベーションが生まれた瞬間だ。
星
手始めに市役所に電話をかけてみる。
「ちょっと教えてください。介護保険を使うにあたって必要なケアプランのことですが。これはケアマネジャーに一任するのじゃなくて、自分で作成したものでも良いとホームページで見たんですけど‥そのことについて分かる方はいらっしゃいますか?」
長い間待たされて、何人かの人が変わって、その度に同じこと言わなければならなかったが、やっと「はい、ケアプランの自己作成の件ですね」と分かっているらしい男の人が出てくれた。
私「その自己作成ですが、前もって市役所に届けを出すのでしょうか?ぜひ自分でやってみたいと思います。その場合の必要書類や申込書はそちらにいけばありますか?」
 担当者「それが‥当市では今まで自己作成の方は一人もいらっしゃらないのです。従って申込書やマニュアルのようなものは用意されていないのが現状でして‥僕も少し調べてみたいので、少しお時間を頂けますか?こちらからお電話差し上げます」
二、三日後、電話を貰い、その後、メールが届いた。
 『先日、お電話でお問い合わせをいただきました件について、ご対応が遅くなってしまい申し訳ございません。
現在、必要書類の準備および自己作成手順を示させて頂く為の資料を作成しております。お急ぎの中、大変申し訳ございませんが、お待ちいただきますようお願いいたします。介護保険担当 T・Y』

 こうして、私は「マイ・ケアプラン」作成の第一歩を踏み出すことになった。
それにしても、インターネットが一般に普及していなかったら、私のケアプラン構想もここまで急には前進しなかっただろう。あちこち、ネットで情報を集めるうちに、「介護保険のケアプランを自分で作ろう」というネットワークも見つけた。
これは利用する人が快適な生活を送るために、生活の根幹に関わる大切なことは当事者が自分で考えよう!という利用者と家族、および賛同者のネットワークだ。 
早速、私も仲間に入れてもらって会員になった。
『全国マイケアプラン・ネットワーク』代表である島村八重子さんとも電話でお話しさせて頂いた。
「2000年3月までは、高齢者福祉のすべてのサービスが税金で賄われていて、受けるサービスの内容も量も行政に決めてもらっていました。今は保険料も利用料も一部利用者が負担するという契約制度という仕組みで回っています。自己負担がある代わりに、自分でサービスを選ぶ自由と責任も私たちのものになったのです。ですから、多少の知識と気力さえあればケアプランは自分で作っていいのです」
 島村さんのホームページからプランを作るためのアプリをダウンロードさせて貰い、いよいよ新しい挑戦が始まるのかとワクワクする。
このアプリはエクセルの表計算機能を使うものだが、最近は何でもワードを使って作っていたので、エクセルやマクロを忘れてしまっている。しょうがなくマッサージや福祉用具の若い人にも教えを乞うて、なんとか出来そうなところまで辿り着いたところだ。年内にはスタートしたい。
 あしかびジャーナルの読者の中にも、介護保険を自分や家族のために利用したり、今後、利用したいと思われている方がいるかもしれない。私の挑戦は、ときどき独占密着?ドキュメントとしてお届けいたしますのでどうぞ宜しく。ウィンク






最終更新日  2016年10月29日 01時02分18秒
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2016年10月12日


1番目の星にいた自分の体面を保つことに汲々とする王様

2番目の星にいた賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋

3番目の星にいた酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助

4番目の星にいた夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家

5番目の星にいた1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫

6番目の星にいた自分の机を離れたこともないという地理学者

そして6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子さまは7番目の星、地球へと向かう。
地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。


王子「ぼく、何という星に落ちてきたのかな」
ヘビ「地球だよ。アフリカだよ」 
王子「人間たち、どこにいるの? 砂漠って少しさびしいね」
ヘビ「人間たちのところにいったって、やっぱりさびしいさ」

子供の頃に読み、学生時代にも読み、社会人になってからも読み、
何回も読んでるはずなのに‥砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだいう言葉に絶句する。
この場合、井戸とは言っても現実の井戸でもなければ水でもない。疑いもなく精神的な水だった。
「目では何にも見えないよ。心で探さないとね」と、作者は王子に言わせている。
隠れた井戸を探そうとする人間たちを想いながら、私は夜中に号泣する‥。

作者のサン・テグジュペリは、フランス軍のパイロットだった。
空から見た地球・砂漠や人間の暮らしはどんな風に見えたのだろう。
彼は1944年、サルデーニャ島のアルゲーロからコルシカ島に移動し、グルノーブル地方偵察の目的で離陸したまま行方不明になっている。
そして、2003年、マルセイユ湾にて搭乗機の製造番号を確認された。
詳細はいまだに分かっていない。

余談ですが、この本は日本の美智子妃殿下の愛読書としても広く知られています。

かつて、美智子妃殿下に、この物語の中で一番お好きな人は誰ですか?と伺ってみたところ、

『それは5番目の星にいた点燈夫です。彼だけがみんなのために働いています』と

お答えになられたそうです。

ちなみに、伺ったのは、「星の王子さま」でおなじみの翻訳者・内藤濯さんです。

60年代末のパリやプラハの学生たちは、キューバ革命のチェ・ゲバラの肖像を旗印として闘った。ゲバラとカストロが掲げた「富と資源の分配」「貧困や人種差別の根絶」勇気凛々とした二人のリーダーの言葉は世界中に反響して「ドン・キ・ホーテ」と「星の王子さま」が住む世界に思い焦がれる私たち若者を夢中にさせた。(NHK新・映像の世紀より) 






最終更新日  2016年10月13日 14時32分51秒
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2016年08月27日

スパゲティ・アマトリチャーナはイタリアのマンマの味 (撮影:璃々 ウンブリアのアグリにて)

今日の夕刊を見ていたら、さすがイタリアと思う記事を見つけた。

誰かの役に立って、しかも粋でおいしい話。       

パスタを食べて被災地支援 イタリアから世界に広がる

イタリア中部で起きた大地震からの復興に向けて、「スパゲティ・アマトリチャーナを食べて被災地を支援しよう」という運動がイタリア内外で広がっている。

これは、被災した町の一つ「アマトリーチェ」がパスタの名前の由来とされているからだ。

支援の輪は日本にも広がる。

アマトリチャーナはトマト味のソースで、正式にはグアンチャーレ(豚ほお肉の塩漬け)とペコリーノ・ロマーノ(羊のチーズ)を使う。

牧畜が盛んなイタリア中部の町アマトリーチェが発祥とされる。

今では約100キロ離れた首都ローマでも名物料理だ。

今回の支援はローマ在住のグラフィックデザイナーがフェイスブックで呼びかけたことから始まった。

一皿注文があるごとに、店と客が1ユーロ(約113円)ずつを赤十字などを通して被災地支援に寄付するというものだ。

共鳴したイタリアのスローフード運動の創始者カルロ・ペトリーニ氏が、世界中のレストランに賛同を求めた。会長のペトリーニ氏は「アマトリーチェの食の歴史を象徴する一皿によって、連帯を広げ、農業文化の価値を共有したい」と訴えた。各レストランに少なくとも1年は「スパゲティ・アマトリチャーナ」を提供し続けるよう求めている。
スローフード協会にはイタリア国内のレストラン約150店舗、国外の10店舗から趣旨に賛同する連絡があった。  
                    
スローフード協会のイベント「サローネ・デル・グスト」手打ちパスタの講習会(トリノにて)







最終更新日  2016年09月01日 20時44分27秒
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2016年07月18日
手拭い.jpg
「写真は神田・藪でお配りした手拭い。粋ですね〜」

ちょっと面白い話を新聞で見つけたので、軽くご紹介。
『とがった言葉でなくても』
今回の参議院選挙前、ツイッター画面には護憲派の熱い言葉が並んだ。
安倍政権にこれ以上、議席を与えると大変なことになる、だから投票にいこう、と。
微力でも声をあげなければというせっぱ詰まった気配がどの言葉にも宿っていた。
しかし結果はご存じの通り。

今回の選挙を戦う中、ツイッターで多くの人が引用した歌詞がある。
モーニング娘の2001年のヒット曲「ザ☆ピ~ス!」の中で
「選挙の日ってウチじゃなぜか投票行って外食するんだ」という一節。

サビでもないのに、今も生きている言葉だといえる。十年以上前の歌なのに、この一節が大勢の口をついて出たのは、そういう口調で選挙というものを取り扱いたいという気持ちが誰しもあったということだ。

投票日を「選挙の日」と呼ぶ感覚や「外食」と結びつけてカジュアルな営みに
真面目さのスパイスを利かせているところがまずは印象的だ。
重く考えず『レジャーのついでくらいの気楽さで投票しようよ!』がすごくカッコいい。
ウチの家族が仲が良い(外食する)ことと、
社会にコミットしている(投票する)ことの両立が描かれ、
主人公はそれに対し「いい」「悪い」ではなくて「不思議」と感じている。
棒の先をとがらせるのではない、吸盤で吸い付く矢のような楽しさで我々の心に何かを残した。
そうだ、とがった言葉でなくても、まだできる言葉の工夫はある☆

「朝日新聞・夕刊(末端時評)より抜粋&編集しました」

で、ここからが本題。
そういえば、私が若いころから、ずっーと、選挙の日は一族郎党?打ち揃い、
投票が済んだら近所のお蕎麦屋さんで「ざるそば」なの。
ざるそばだけじゃ、ご馳走感がないせいか、なぜか、みんなで「天ざる」を頼んで、もちろん、お酒が飲める人は お銚子付きで。飲めない人は蕎麦湯を楽しみにして。だし巻玉子や板わさがある店もあったりして。
だから投票は、ちょっと早めの夕方にして、大人たちは出口調査の話やらで盛り上がる。

池波正太郎が愛した蕎麦屋の風情‥ 
『初冬の、鴨なんばんが出始めるころの、平日の午後の浅草に行き、ちょっと客足が途絶えた時間の並木の「藪」の入れ込みにすわって、ゆっくりと酒を飲む気分はたまらなくよい』とあって、
憧れの蕎麦屋の風情とは、ちょっと違うが、母が生きていた頃の「選挙の日」は、あれはあれで楽しかった。

そして、池波正太郎をまねして、蕎麦屋の帰りは必ずお饅頭を買って家に戻った。
神田「竹むらの揚げまんじゅう」とはいかなかったが、私が引っ越し先でまずやることは、旨い蕎麦屋とお土産にしたいと思う和菓子を探すことになっていた‥。

今月ラストの日曜日、東京都の知事選があるようだ。
私は神奈川県民だから、投票&お蕎麦屋さんの愉しみはないけれど、
都民の皆さんは、投票&何か美味しいモノの企画が楽しめるんだ~、いいな~手書きハート






最終更新日  2016年07月19日 01時33分38秒
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2016年04月03日
秦野駅近くの湧き水.jpg
秦野は、駅の近くの住宅街を歩くだけでも「水汲み場」に出会えます

.。.:*名水百選30周年記念「名水百選」選抜総選挙 結果発表 *:.。.
環境省では、昭和60年3月の「名水百選」の選定から30周年を記念して、先月、国民参加型の人気投票を行ったそうです。
そうしたら、「おいしさがすばらしい名水」部門で、なんと、我が町・秦野市が選ばれました!
第1位「おいしい秦野の水~丹沢の雫~ /秦野盆地湧水群」神奈川県秦野市
以下、
第2位 「わかさ瓜割の水/瓜割の滝」福井県若狭町   
第3位 「大雪旭岳源水/大雪旭岳源水」北海道東川町    
第4位 「月山自然水/月山山麓湧水群」山形県西川町    
第5位 「清流 長良川の雫/長良川(中流域)」岐阜県岐阜市

ちなみに、「おいしさがすばらしい名水」の他には「観光地としてすばらしい名水」、「景観がすばらしい名水」、「秘境地としてすばらしい名水」と四つの部門で選んだそうです。
でも、口に入る水だからね〜
やっぱり普段使いが出来る、安全で旨いが一番だと思います。
おまけに秦野は水道代が安い、ウチの場合、ひと月千円もかからないのよ。
ね、秦野には「欲しいものはみんなある」ってホントでしょ?手書きハート







最終更新日  2016年04月04日 11時06分40秒
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2016年03月10日
3.11.jpg
奇跡の一本松‥‥リベラが歌うジュピター〜未来への光〜 浅田真央と子供たち 
♪命のかぎり 希望を胸に 未来への光を 輝かせよう 輝かせよう♪


また、日常が突然断ち切られた「あの日」がやって来る。 
五年前、突然、脳出血で倒れた私は病院で手術をしたばかりだった。

ベットの中で余震におびえながらも、これからの「社会の豊かさ」は人々が幸福になるための条件を持っているかどうかという、新しいモノサシが必要になるだろうとも思った。
みんなで全力疾走するうちに、効率性を最優先して、限りある資源やエネルギーを消費し続けてきたツケを支払わなくてはならない‥       
回りをみても罪悪感のようなものがあちこちで生まれ始めていた。
もちろん、たとえ望んだとしても私たちは、後戻りは出来ない。
それでも、いい空気と水、豊かな生態系が周りにあれば、家族そろってご飯を食べるという本当の人間らしい暮らしは出来ると思う。
私たちの未来は、人間も含めた自然との調和の中にしかありえないと思うから。
命は自分のものだけではなくて、過去と未来をつなぐもの。
「ああ、生まれて来てよかった」という想いを未来を繋ぐ子供たちに残してあげたい。
というものの、いまの私には、ささやかな募金と記憶にとどめて、せめて忘れないようにしようとすることぐらいしか出来ないのだけれども‥
浅田真央選手は、私に「諦めない」という希望の光を与えてくれる。






最終更新日  2016年03月12日 10時53分34秒
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2016年02月28日
バール31.jpg
ウンブリア州・アメリアのバール (撮影:勝山稔)
新聞を読んでいたら、ちょっと心温まる記事を見つけた。
●イタリア発祥、見知らぬ人に善意の一杯‥カフェで客が1杯のコーヒーを買う時、お金のない誰かのためにもう1杯分の料金を払うささやかな善意のリレー制度。
店は、お金に余裕のない人から申し出があった場合、この資金を使ってコーヒーを無料で提供する。
申し出に証明は不要で、客との信頼関係で成り立つ。イタリアのカフェで数年前に始まり、ほかの国々にも広がったというもの。


バール21.jpg
(ピノッキオと遊ぶ村コッローディのバールです。撮影:中川璃々)
イタリアはカフェじゃなくバールっていうんだけど、もちろんコーヒーも飲めるし
軽食もあってお酒も飲める。アイス、お菓子や子供の玩具まで売っている。
場所によってはバスの切符もここで買える。要するに昔のよろずやさんみたいなものね。
そういえばイタリアのバールにはこんな制度があるって聞いたことあるよな〜と、新聞を見て思いだした。私は参加したことがないけど、どんな辺鄙な村に行っても必ず小さなバールがあって、時として村の人達が当番制で営業していたっけ。
車イスのおじさんも楽しそうな笑顔でカードゲームを店先でやっていたし、助け合い精神が根付いていると感じたものだった。


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ウンブリア州・アメリアのバール (撮影:勝山稔)
この「恩送りコーヒー」が世界で静かなブームとなっている。
気軽に参加できる善意のリレーは少しずつ形を変えながら、日本でも広がっているようだ。たとえば、世田谷区・珈琲店の「恩送りカード」に書き込むのは、
コーヒーを12杯飲んでスタンプをためた客だ。
1杯のコーヒーを贈りたい人の特徴をカードに書いて壁に張る。条件に合う人が代金を払わずに1杯ごちそうになり、同じカードにひと言、感想をつづる。
同じ1杯でも、そばやうどんを贈る店も現れた。
北海道の飲食店、600円の天うどんを食べれば残りの400円は見知らぬ人の掛けうどん代になる。
「だれかにゴチする飯」から「ゴチメシ」と名付けた。恩を受け取るのは主に地元の中高生だ。「これは誰かの善意なんだよ」店主はそう伝えている。 (朝日新聞)

ふーむ、日本でやると、なぜかこうなっちゃうのよね〜
コーヒーを12杯も飲まないとダメだし、店主の説教?らしきものを聞かないとダメだし‥しょんぼり
善意のリレーと謳うからには、もう少しサラっと粋にやって欲しいのよね〜
気軽に参加できて誰かの役に立つ、何か良い方法がないかしら?






最終更新日  2016年02月29日 01時26分27秒
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