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里山暮らし、ときどきヨーロッパ・ロングステイ

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葦牙ジャーナル

2017年03月12日
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カテゴリ:葦牙ジャーナル
  浅田真央 NHK杯スペシャルEX「ジュピター~未来への光~」より

六年前の大晦日、私は、突然、脳出血で倒れた。
その年は正月どころではなかった。気が付くとベッドの上。大手術だったそうだ。

 そして‥救急の大学病院からリハビリセンターに移ったばかりの2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源とするマグニチュードMw9の地震が起こった。
ちょうど病院に夫が来ていて、私は車イスで地下の食堂にいたのだが、あまりの揺れにお茶を飲んでいることも出来ず、食堂にいた数人と共に外に避難した。
東北から関東にかけての大地震はその後、大津波を引き起し同時に福島第一原子力発電所事故という人災をも引き起こすことになった。

揺れも治まって部屋に戻りテレビを付けると目を覆うような光景が映し出されていた。
リハビリセンターでの食事は食堂でみんな一緒に食べるのだがここにも大きなテレビがある。入院中の人達は東北の悲惨なニュースを見るのを心なしか嫌がった。
みんな自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で、将来を考えると不安でいっぱいだったからだろう。
正直いって私も、ところどころ記憶がぼんやりとして悪夢でも見ているような気がした。 

 しかし、私にとって仙台は第二の故郷のようなものだ。嫌でもニュースから目が離せない。
私は十代の頃、仙台の国立西多賀療養所(現・仙台西多賀病院)で大きな手術を受けて命拾いをした。
当時、ここは不治の病と言われた結核や筋ジストロフィ、脊椎カリエスといった難病を受け入れる療養所だった。
多くの友人がまだまだ生きたいと願いながら旅立っていった。
私のように奇跡的に社会復帰できた人間はそんなに多くはないだろう。
だから、命の恩人のドクターとは今でもお付き合い頂いている。

 仲が良かった同級生の実家は宮城県七ヶ浜町で、かつて泊りに行ったら家族総出で歓待してくれたこともある。
あの家族はみんな無事だろうか。
また日本とスペインと往復した「慶長遣欧使節団」を乗せた「サン・ファン・バウティスタ号」を見るために石巻市まで足を伸ばしたこともあった。
雄勝湾は古くから「月の浦」と呼ばれており、夕暮れ時の入り江を見つめながら、月に照らされ夜の海に浮かぶ帆船のシルエットを想像したことを昨日のことのように思い出す。

 牡鹿半島の北に位置する険しい谷間と深い入り江。
あの海が‥ あの町が‥ 屈託のない笑顔で迎えてくれたあの人達は‥
ベッドの上で、繰り返し襲う余震に怯えながら、病室でなんにも出来ない自分が歯痒かった。

 テレビが映し出す地元の人達は、なぜか「あっはは、何にも無くなっちゃって、あっはは」と笑っている場面が多かった。どうしてこんなとき笑えるのだろうと不思議に思っていたが、先日、よしだみどりさんのエッセイで『人は、どうしようもない程の悲しみや、極度の恐怖を感じると、笑う?らしい』とあるのを読みハタと腑に落ちた。と同時に、これからの「社会の豊かさ」はみんなが幸福になるための条件を持っているかどうかという、新しいモノサシが必要になるだろうとも思った。

 法政大学総長で江戸文化研究者の田中優子さんは著書の中で『江戸文化の本質は「循環」と「因果」の価値観であった。今のように勝ち負けを基準にすると常にそれを壊し続けるしかない。
日本の各地を歩いてみると、そこには、地に足のついた知恵者や知性がいて、彼らは山を知り川を知り自然を知っているからこそ、祭りや芸能の存在理由も理解し、実践できている。だから江戸学を未来学としてとらえ、人々のかかわりかたを見つめ直せば、私たちは、まだ、間に合う』(未来のための江戸学・この国のカタチをどう作るのか) と提言している。

 もちろん、たとえ望んだとしても私たちは後戻りするのは不可能だ。
それでも、いい空気と水、豊かな生態系が周りにあれば、家族そろってご飯を食べるという人間らしい幸せを手にすることは出来ると思う。 
命は自分のものだけではなくて、過去と未来をつなぐもの。「ああ、生まれて来てよかった」という希望の光を、未来を繋ぐ子供たちに残してあげたい。
この子たちがこれからを背負って行くのだから‥。
そして、未来は、人間も含めた自然との調和の中にしかありえないとも思うから。

 被災された方の中には、苦しい避難生活の中ででもヒマワリを育てたり、地元の祭りや音楽祭を開催したり、手作りの小物を作ってバザーをしたりなど、楽しい企画を考える頼もしい人たちがたくさんいて、病気でなかったら私も参加したかったくらい逆に励まされている。
いつか、自分の目で見て、記憶にとどめて、忘れないようにするくらいしか出来ないだろうけれども、ささやかな感謝の気持ちを届けたい。
そして、日常が突然断ち切られた「あの日」は、いま、東日本大震災と呼ばれている‥。






最終更新日  2017年03月12日 14時02分48秒
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2017年03月07日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
団地の梅1.jpg
(団地の梅も満開で、春よ来い来いと待っている)

【いっそ、マイ・ケアプラン】
介護保険★手づくりの幸せレシピ パート2
 昨年、ひょんなことから始まった私の挑戦(ケアプランの自己作成)は、ちょうど十月で奇しくも私の誕生月だった。挑戦というには少々大げさだが、如何せん、私の住んでいる市では初めてのケースだというし、ためしに県庁に聞いてみたところ、ケアプランの自己作成者は県でも数人しかいないそうだ。昔から「新しモノ好き」なのは父親譲りのせいかもしれない。
 「新しモノ好き」といえば最近、テレビのCMで見たロボット掃除機を買ってみた。半信半疑で使ってみたところその威力に驚いた。さすが無人で戦争をするため武器や戦略を考えるアメリカが作った商品だと、ある種の感動を覚えるほどだ。サイズさえ合えばどこにでも入ってゴミを見つけ出し、仕事が終わればとっとと自分で寝床(充電器)に帰って行く。今では我が家の一員になりつつある。

 現実の掃除やお風呂介助は専門のヘルパーさんに来てもらう。そのためには毎月ケアプランを作らなくてはならない。通常その業務はケアマネージャー(有資格者)が行なっているが、本人や家族がケアプランを作成しても良い事を知った私は、自己作成を始めようと挑戦したのが昨年の出来事だ。(あしかびジャーナルナル126を参照)  
 その自己作成ケアプランのため、我が家で第一回目の担当者会議を開くことになった。
いよいよケアマネージャーを通さないで、自分の人生のデザインは自分でするのだと気負っていなかったといえば噓になる。関係者の皆さんに私の気持ちを説明し、協力してもらわなくてはならない。
 当日、集まったのは、看護士さん、介護事業所の皆さん、理学療法士、介護ショップの社長、私と夫、それに市・高齢福祉課の担当者にもオブザーバー参加して頂いて、総勢十一名が団地の一室に集まった。
案の定、そもそも『なぜ自己作成をしようと思ったのか?』というのが開口一番のテーマであった。やはり、みんなの疑問はそこにあったらしい。
 
 私は管理される側だけでなく、『自分の人生の設計は自分で組み立てたい』と、ずーっとそう思ってきた。
介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識も生まれるかもしれないと思う。 
何かあったらケアマネージャーの代わりに自己作成者(私)が連絡を受ける。ときどき担当者会議を開いて問題があればそこで解決する。今の世の中はインターネット社会になっていることだし事務処理はできるだけ簡素化したい旨もお願いした。
市役所の担当者からは、我が街・独自の「介護保険・自己作成マニュアル」を検討中だとの話があった。
私は大賛成だ!自分で出来る人はやってみた方が絶対良い。生活に張りが出てくるし、何より頭の体操になって楽しい。
 ついでに、私の今年の抱負は、東京から市に講師を招き、「みんなで考える幸せレシピ♪」というイベントの開催を考えている。新しい人との出会いや企画を考えるのは楽しいものだ。
これも私の「幸せレシピ」の一つである。

 ところで、私のFacebook仲間である森田洋之さんが昨年、藤沢市で小規模多機能型居宅介護を実践する加藤忠相さんと共著で本を出版した。「あおいけあ流介護の世界」
これがなんと、目からウロコの「次世代介護スタイル」だ!といっていい。手書きハート
なにしろ、爺ちゃん婆ちゃんが輝いている!
職員がほとんど辞めない。施設で職員同士の結婚式もやってしまう。最期は家族のようにお看取りまで…というから私も藤沢市に引越したくなってしまう。 
辛い・暗いの介護のイメージをくつがえす「あおいけあ流介護の世界」は、私から見れば夢のような介護の世界だ。この取組みは、2012年「第一回かながわ福祉サービス大賞」で大賞を受賞。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された。  
私も毎日一番身近にいるヘルパーさんと、血が通った人間どうしの付き合いをしたいと望んでいるが、規則に縛られてこれがまたなかなか難しい。
ヘルパーさんと一緒に温泉にまで行ってしまう「あおいけあ流介護」が正直うらやましい。
 最後に、「地域を巻き込め!」と著者は提案する。
しかし、お正月の餅つきはノロウィルスのため中止になり、除夜の鐘がうるさいという声や「火の用心」の拍子木の音までもクレームが付くというご時世だ。
「地域」を巻き込むことが日本中の介護の現場で出来るのだろうか‥。






最終更新日  2017年03月07日 21時25分43秒
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2016年10月28日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
秋.jpg

介護保険手作りの幸せレシピ手書きハート
それは、ひょんなことから始まった。    
何気なく私が暮らしている市役所のホームページを眺めていたら、介護保険のことについて自分が今まで考えてもみなかった「あるコト」を発見した。 
介護保険が使えるようになったのは今から十五年前、私のように突然、介護が必要になった場合には有り難い制度だ。利用するためには、まず国に介護度を認定して貰わなければならないが、認定後、受けられるサービス(在宅・通所など)は、ケアマネジャーに頼んでケアプランを作ってもらうことになる。‥と、私も家族もずっーとそう思っていた。 
ところが、市役所のホームページには、『ケアプランは自分で作ることもできますが、作成の手間や事業者との連絡・調整などを考えると、やはりケアマネジャーに作ってもらう方が良いでしょう。(自分でケアプランを作成する場合は市の窓口にご相談ください)』とあった。
なんと、自分のケアプランを自分で作る?そんなことが出来るのか!目から鱗だった。
もちろん、行政のチェックが入るから何でも好き勝手に出来る訳ではない。
それでも自分の人生の設計を自分で組み立てられるというのと、他人であるケアマネジャーを必ず通さなければ何も出来ないというのでは明らかに違う。
セルフケアプランで自分の人生をデザインする。介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識からなる新しい生き方になりえるかもしれない。
そうだ、私もケアプランなるものを自分で作ってみよう!新たな生きるモチベーションが生まれた瞬間だ。
星
手始めに市役所に電話をかけてみる。
「ちょっと教えてください。介護保険を使うにあたって必要なケアプランのことですが。これはケアマネジャーに一任するのじゃなくて、自分で作成したものでも良いとホームページで見たんですけど‥そのことについて分かる方はいらっしゃいますか?」
長い間待たされて、何人かの人が変わって、その度に同じこと言わなければならなかったが、やっと「はい、ケアプランの自己作成の件ですね」と分かっているらしい男の人が出てくれた。
私「その自己作成ですが、前もって市役所に届けを出すのでしょうか?ぜひ自分でやってみたいと思います。その場合の必要書類や申込書はそちらにいけばありますか?」
 担当者「それが‥当市では今まで自己作成の方は一人もいらっしゃらないのです。従って申込書やマニュアルのようなものは用意されていないのが現状でして‥僕も少し調べてみたいので、少しお時間を頂けますか?こちらからお電話差し上げます」
二、三日後、電話を貰い、その後、メールが届いた。
 『先日、お電話でお問い合わせをいただきました件について、ご対応が遅くなってしまい申し訳ございません。
現在、必要書類の準備および自己作成手順を示させて頂く為の資料を作成しております。お急ぎの中、大変申し訳ございませんが、お待ちいただきますようお願いいたします。介護保険担当 T・Y』

 こうして、私は「マイ・ケアプラン」作成の第一歩を踏み出すことになった。
それにしても、インターネットが一般に普及していなかったら、私のケアプラン構想もここまで急には前進しなかっただろう。あちこち、ネットで情報を集めるうちに、「介護保険のケアプランを自分で作ろう」というネットワークも見つけた。
これは利用する人が快適な生活を送るために、生活の根幹に関わる大切なことは当事者が自分で考えよう!という利用者と家族、および賛同者のネットワークだ。 
早速、私も仲間に入れてもらって会員になった。
『全国マイケアプラン・ネットワーク』代表である島村八重子さんとも電話でお話しさせて頂いた。
「2000年3月までは、高齢者福祉のすべてのサービスが税金で賄われていて、受けるサービスの内容も量も行政に決めてもらっていました。今は保険料も利用料も一部利用者が負担するという契約制度という仕組みで回っています。自己負担がある代わりに、自分でサービスを選ぶ自由と責任も私たちのものになったのです。ですから、多少の知識と気力さえあればケアプランは自分で作っていいのです」
 島村さんのホームページからプランを作るためのアプリをダウンロードさせて貰い、いよいよ新しい挑戦が始まるのかとワクワクする。
このアプリはエクセルの表計算機能を使うものだが、最近は何でもワードを使って作っていたので、エクセルやマクロを忘れてしまっている。しょうがなくマッサージや福祉用具の若い人にも教えを乞うて、なんとか出来そうなところまで辿り着いたところだ。年内にはスタートしたい。
 あしかびジャーナルの読者の中にも、介護保険を自分や家族のために利用したり、今後、利用したいと思われている方がいるかもしれない。私の挑戦は、ときどき独占密着?ドキュメントとしてお届けいたしますのでどうぞ宜しく。ウィンク






最終更新日  2016年10月29日 01時02分18秒
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2013年08月21日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
ビューポイント.jpg
食べたいものを‥と言われても、私が愛する秦野のビューポイントがあればこそ‥

嫌なニュースが飛び込んでくる毎日ですが、
今朝の新聞の記事を読んでちょっと嬉しかった。
〈最後のとき、食べたいものを〉
・・大阪のホスピスのリクエスト食・・
病院の食事は味気ないという常識を覆すものだと思うのですが。


[淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)は、
最後の時を過ごす患者の心のケアとして「リクエスト食」を打ち出した。
毎週土曜日の夕飯は患者の希望をかなえたものを出す。
ちらしずし、お好み焼き、パフェ、卵焼き。なんだっていい。
「最後の食事」には、一品が映しだす人生のさまざま思い
がこめられている。]


リクエスト一覧.jpg

[普段の食事も6種類から選べる選択式だが、週1回のリクエスト食は患者が
食べたいものを出す。
「命の見通しが短い患者さんがこれを食べたいという気持ちを大切にしたい」
と栄養士の大谷さんが提案した。
食べるのが好きだった夫を肝臓がんで亡くした苦い思いが、背中を押した。
これまで92人のリクエストに応えた。
厚生労働省の食事療養費の制度内でおこなうが、食材費がオーバーした場合は病院が負担している](朝日新聞 2013.8.21)


さすが大阪、食の考え方が進んでいると思うのは私だけ?
ましてや人それぞれの想い出が詰まっている食卓のある風景。
食べることは生きること‥見守る家族もきっと嬉しいはずです。

プロシュート・デ・メローネ.jpg
私達の好きな「プロシュート・デ・メローネ」サルデーニャ島で食べたものです。

ところで、最後のとき、私は何にしようかな?
その時はきっと、食欲もあまりないと思うから‥
イタリアに行ったとき毎日のように食べていた
生ハムとメロンあたりかな。
(イタリアではスーパーで驚くほど安く買えました)

それに美味しいワインと焼き立てのパンがあれば大満足です。
私が愛するウチの裏山「弘法山」を眺めながら‥

星お知らせです。 今年もまた、恒例の「葦牙」を発刊しました! 
●葦牙 第39号(2013.7) 特集◆総選挙後の日本を考える [単行本]
よかったら、リミンの今年の作品、読んで下さいね。
(アマゾンでも扱っております)






最終更新日  2013年08月21日 20時04分50秒
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2012年10月16日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
箱根.jpg

以前にもご紹介しましたが、
私の家から車で40分も走れば箱根です。

日帰り温泉もたくさんあるし、ちょっとドライヴという時に
ちょうどいいコースです。
ウチの裏山ならぬ我が家の奥座敷といったところでしょうか。

さて、先月の話になりますが、
リミンも編集委員になっているあしかびジャーナル文芸誌あしかび
合評会と、これからの指針を決める会議が箱根でありました。
年に一度の合宿で、勉強会のようなものです。

去年は病気のため、出席できませんでしたが、
今年は、みんなに会えてとても嬉しかったです。
どうやら、私のために会場も箱根にしてくれたらしい。
みんな、みんな、ありがとう。

来年はもっともっと快復してるからね。
それから文筆の仕事もどんどんやるからね。
あきらめないで、リハビリ頑張るリミンの決意です。

私事なんですが、ちょうど今日は私の誕生日。
嬉しいことに、私の2冊目の本が出ることになりました。
タイトルはまだ考慮中ですが、私のエッセイをまとめたものに
なりそうです。

書き下ろしもあるから、6か月位かかりそうだけれど‥
リミン節をお届けできるように頑張ります。
というわけで、誕生日に新たな希望にもえるリミンでした。手書きハート


あしかび合宿.jpg

箱根くり_1.jpg






最終更新日  2012年10月16日 15時49分23秒
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2010年12月15日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
1Q84.jpg
空に月が二つ浮かぶ「1Q84」の世界

ところで、今年、一番話題になった本は
村上春樹の「1Q84」じゃないかしら。

Book1~ Book3まで ぶ厚い全3巻、
どーしようかなー?と思ったのですが、
やっぱり私も読みました。

きっと、人それぞれに賛否両論、
いろんな感想があるだろうなぁ‥と思いつつ
リミンも一応、書評を書いたので良かったら見て下さい。
題して「1Q84はなぜ売れる?!

これは、他の方の感想もぜひお聞きしてみたいです。
ジャーナル恒例の「葦牙ふぉらむ」で取り上げますので、
お気が向いたらフラリとお立ち寄りくださいませ。

・テーマ 村上春樹の「1Q84」Book1、Book2、Book3(新潮社)
・2010年 12月 23日 (祭)
・場所 新宿区立「生涯学習館」3F(JR四谷駅、徒歩10分)
・午後1時半~ 5時頃 (開場1時)

ところで、この本は「メビウスの輪」に
なってるって噂があるの知ってる?

Book1の表紙デザインは緑で栞紐の色が黄オレンジ
       ↓
Book2表紙デザインはオレンジで栞紐はブルー
       ↓
Book3表紙デザインは青紫で栞紐はマロン色
       ↓
とすれば、Book4の表紙デザインは茶色系か?たぶん。

私の団地1.jpg
すべり台のある児童公園

私の暮らす団地です。
「青豆」さんの真似をして
夜更けのココアを飲みながら
冬空に浮かぶ月を眺めてみた。

私の目に映るのは、
やっぱり月がひとつの世界。
2010年が暮れていく‥

詳しいことは言えませんが、
ここんとこ、私は某事件?で超多忙。
更新も、訪問も滞ってますがお許し下さい。

クリスマスの頃には、きっと
新しいニュースをお伝え出来るかも‥です。

そんなわけで、枯れ葉が舞い散る師走の街で、
新たな挑戦(闘い?)に挑んでいます。
またお会いしましょうね手書きハート

私の団地2.jpg






最終更新日  2010年12月15日 14時40分13秒
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2010年10月16日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
芸術村トップ.jpg

秋も深まってくると、なぜか美術館の情報を見たりして、
落ち葉の舞い散る季節はやっぱり「芸術の秋」なのかしらん。

今年は、いつにない酷暑の夏を耐えしのんだせいもあってか、
ここんとこ北海道やら北国に向かうことが多いリミンちです。

で、今回の葦牙ジャーナルの連載ルポの取材も
偶然ですが、やっぱり北へ。直通バスで福島県です。

会津若松駅からレンタカーに乗り換えて、目指したのは
以前「風の翼の歌声が‥」でご紹介しました[西会津国際芸術村]
4年ぶりの再訪問です。


芸術村1.jpg

取材チームのハジメ君の運転で決死の山岳ドライブ、
「東京からの取材陣、会津の山奥で遭難!」なんて記事に
なったらどーしよう?!と言いながら、どうにか辿りつきました。

いまや私にとっても懐かしい校舎が待っていました。
ちょうど「第5回西会津国際芸術村公募展2010」の開催中で、
事務局長をはじめスタッフの皆さん&サポーターズの皆さんが
総出で迎えて下さいました。

芸術村2.jpg

芸術村3.jpg

国際芸術村の内容は過去記事で書いているので割愛しますが、
木造建築が与えてくれる懐かしい安らぎの空間に
「ここまで来てよかったー」と癒される想いです。

芸術村4.jpg

廊下を歩いていると、どこからか
コーラスの練習が聞こえてくるような気がします。
校庭からは体育の先生が吹くホイッスルや掛け声までも‥

芸術村5.jpg

50年前に卒業した母校の昔のままの姿に会えるなんて、
この中学校の卒業生の皆さんは、お金では買えない
すばらしい財産をお持ちなんですね。手書きハート

芸術村7.jpg

木の部屋を生かしたアートのディスプレイも
シンプルでセンスあふれる一見の価値ありです~星

芸術村6.jpg

そして、蘇った木造校舎を支えているものは、
「守ろう」とする熱い想いと、ずうっと変わらずに
手伝いに駆けつけてくれる「人々の手」なんだと思います。

皆さん、お忙しいところお邪魔いたしました。
ありがとうございました。
今回の突撃ルポ「ちょっと、お邪魔します」は
葦牙ジャーナル91号に掲載予定です。

●「西会津国際芸術村」理事長・安藤寿美子さんからのお知らせ
すみこさん.jpg
『芸術村とはいいながら、今まで施設には陶芸窯や版画のプレス機さえ
ありませんでした。
なんとかしてプレス機を手に入れようとしていた矢先、
それを知った著名な版画家・故永瀬義郎氏のご遺族や関係者から、
遺品のプレス機の寄贈&遺作展の開催の申し出を受けました。 
そして今年5月、各方面のご厚意とボランティア支援のおかげで、
大型プレス機は無事に西会津に運ばれて来ました。
感謝を込めて「永瀬義郎 版画遺作展」をご遺族と共に開催致します。 
尚、遺作展は世田谷のギャラリーspace Sでも巡回展として開催予定です。』


【永瀬義郎 版画遺作展】東京巡回展 
  2010年10月23日(土) ~31日(日)
 オープニング 10月23日(土) 午後5時~
 東京・世田谷 ギャラリー「space S」 
 世田谷区等々力5-14-18 TEL:03-3701-1471







最終更新日  2010年10月16日 22時50分06秒
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2010年08月14日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
上原先生を偲ぶ5.jpg

リミンブログ「水道橋の編集室」でご紹介しましたが、
私たちが作っている「ASHIKABIジャーナル」の母体は
「葦牙」(アシカビ)という、わりと硬派の総合文芸誌です。

その「葦牙」本誌、発刊当時からのメンバーである
上原真さんが昨年末に他界されました。

先日、東京で「上原真さんを偲ぶ集い」が行われ
私もウチの彼と二人で出席しました。

上原先生を偲ぶ2.jpg

「偲ぶ集い」の開催場所は中央線・飯田橋で下車して、
水道橋方面に少し歩いたところにある会館でしたが、
奇しくも、まったく同じ駅から同じ道を二年前の三月に
上原さんとご一緒に夜桜見物で歩いたことがありました。

先生と桜の花を観に出掛けたのは、
この時が最初で最後でしたが、
私にとっては懐かしい思い出の道になりました。

その日のリミンの日記です。「桜 満開の樹の下で‥
トップ写真は、そのとき一緒に歩いた道ですが、
夏の日差しを遮るように深い緑のトンネルになっていました。

桜の花はすっかり散ってしまっていたけれど、
会館までの道すがら先生と対話しているような気がして‥
緑の中の15分は、上原さんからの粋な計らい‥贈り物の
ような気がします。
ブランディとシャンソンが大好きで、ウイットを解する
とてもお洒落で粋な方でしたから‥

上原さんは私が初めての本「里山暮らし、ときどきスペイン」を
出版したときに、とても温かいエールの書評を下さって、
この書評に引っ張られるように本は楽天の週間ランキングで
第1位になったこともありました。
今でも信じられないような出来事です。

どんなに拙い作品でも、どこかに良い点を見出してくれ、
温かい眼差しのアドバイスを下さるような方でした。
著者の成長を共に喜んでくれるようなおおらかな人柄が
多くの人たちに信頼され、頼りにされていました。
私もこれからも頑張って書き続けます。見守っていて下さい。

<在りし日の上原真さん(左) いりす編集室にて>
上原真先生.jpg

上原さんが、仲間と一緒に四半世紀以上も
持続する志を持って踏みとどまってきたという世界。
毎年『これが最後か‥』と思いながら‥今年で27年目、
その「葦牙36号」を今年も無事に発行することができました。

今号には、おそれ多くも諸先生たちにまじって、
リミンの本誌デビューともいえるエッセイ
「緑の野菜が意味するもの」が掲載されています。
ご覧になったら、さぞ喜んで評して下さったことでしょう。

●上原真さんが生前お書きになった作品をまとめた
エッセイ集が出版されました。
深夜に紡ぐ妄語の奥底から至言が光る‥「深夜妄語

私にとって桜を見るたび思い出す人が、
母に続いてまた一人ふえました。
先生、初盆なんですね。どうぞ安らかにお休みください‥。

hoshi_1.jpg






最終更新日  2010年10月13日 10時14分35秒
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2010年07月11日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
ゆりかもめ.jpg

ずいぶん前に‘ゆりかもめ’に乗ってから
もう十年は経ったかもしれない‥

梅雨の合間の青空が広がる
真夏のように暑い土曜日に、
ひさしぶりに新橋から‘ゆりかもめ’に乗りました。

ブックフェア1.jpg

めざすは国際展示場正門駅。
東京ビッグサイトで三日間に渡って行われた
第17回「東京国際ブックフェア」に行くためです。

日本最大の本の展示会というだけあって
広い会場は人、人、人‥汗ダクの熱気でした。

しかも出版関連の関係者だけでなく、
乳母車を押したお母さんや家族連れのお客様も大勢来ていて
日本や海外の絵本もよく売れているのに、ちょっとびっくり。

ブックフェア2.jpg

ブックフェアのブースを軽くのぞいて、
その後、本日の目的場所に移動です。
会議棟のシンポジウム会場に取材したい方がおりました。
米子市を本拠地にして「本の学校」を主宰する永井伸和さんです。

葦牙ジャーナルを年間購読している方なら
もうご存じかと思うけど、今年の本誌の新企画、
ジャーナル連載「ちょっとお邪魔します」の取材です。

連載・第4回目の記事として
「本の学校」を取材したいとお願いしたら、
ちょうど折よく東京国際ブックフェアの一環として
「出版を考えるシンポジウム」を主催なさると伺い、
取材陣が突撃?してまいりました。

静かな会議棟で開催された、一見、地味なシンポジウムなのに
驚くほど大勢の参加者の方が集まって、
活字離れなんてホント?と思うほどの大盛況ぶり!

日本の出版文化の行く末を真剣に考える若い人が
こんなに沢山いることに驚くと同時に、
世の中まだまだ捨てたもんじゃないなぁ‥と思った。

そんなシンポジウムのとても大事な日にお邪魔して、
休憩タイムの合間をぬってのインタビューです。

貴重な時間を私たち取材陣のために割いて頂きまして、
永井さん、どうもありがとうございました。

インタビュー.jpg

写真左がリミンとハジメの「新・相棒」でおなじみの
ハジメ君で、真ん中が永井さん。
永井さんはお髭の編集長と都立戸山高校の同級生だそうです。

この日のルポは8月発行「葦牙Journal」(89号)に
掲載予定です。お楽しみに☆

※尚、6月発行「葦牙Journal」(88号)ではリミンが
 ルポ「神田村の小さな出版社の物語」を書いています。
 よかったらご覧になって下さいませ

嬉しい贈り物
果物の宝石・サクランボが北国から届きました。
食べるのがもったいなくて、ときどき冷蔵庫を開けては
ボールの中を眺めています。
さくらんぼ3.jpg
半分はブランディに浸けこんで、
チェリーブランディ3年物を作ろうと思います。
出来たらチビチビとまた3年。
しっぽさん、6年にも渡る幸せをありがとう~☆






最終更新日  2010年08月21日 18時05分04秒
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2010年03月26日
カテゴリ:葦牙ジャーナル
下山事件1三越.jpg
<日本橋・三越本店 上得意用の南口 2010.3.20撮影>
下山事件
昭和24年、下山国鉄総裁はこの南口で、
運転手に『5分ほど待っててくれ』と言い残し
デパートに入ったきり、そのまま忽然と消えてしまった。
南口には今でも運転手付のお客様の車が並んでいます‥

下山事件発生とその時代
日本がまだアメリカの占領下にあった昭和24年におきた事件。
前回の古本屋さん訪問に続く、あしかびジャーナルの取材です。
リミンとハジメの新・相棒コンビが事件の現場を歩いてきました。

写真手前のレンガ色の建物が、
下山事件やゾルゲ事件のキーワードともいえそうな
かの有名な室町にあったライカビルの跡。
       ↓
下山事件3ライカビル.jpg

当時、カメラのライカ代理店のシュミット商会が入っていたので
通称「ライカビル」呼ばれていた。
ここに問題の、謎の亜細亜産業(アジアサンギョウ)があったのですが‥
前方右手に見える三越本店まで、その頃から地下道でつながっています。

亜細亜産業には、GHQの諜報(謀略?)機関キャノン中佐の
プライベートルームがあり大勢の機関員が出入りしていた。

下山事件にも深くかかわっていたという
なにかと曰くの多いライカビルですが、
お江戸日本橋のこの界隈はデパートの賑わいが嘘のように、
今でもまるで別世界のようにみえます‥

IMG_9766.jpg

三越で運転手を待たせたまま失踪した下山総裁は、
その後、なぜか、浅草から東武伊勢崎線に乗って
五反野駅周辺で大勢の人に目撃されている。

下山事件4五反野.jpg

五反野駅では駅員に「この辺に旅館はないかね?」と聞き、
駅から数分にある末広旅館で夕方まで休憩したとされている。

これは末広旅館の女将の証言だが、
作家の松本清張は五反野あたりをうろついてみせた
下山総裁は複数人の替え玉であろうと推理している。

しもやま事件旅館_1.jpg

写真当時の末広旅館はすでに無くなり
現在は不動産屋のビルに建て替えられている。
          ↓
下山事件5末広旅館跡.jpg

旅館は無かったけれど、
お隣にその頃からずうっと住んでいるお宅はあった。
当時は藁ぶき屋根だったとのこと。
古い写真に写っている立木はここの家の木でした。

ちょうど庭を掃除していたのが、この家のおじいちゃま。
今年九十歳になられるそうだが頭も体もテキパキしてる方、
『下山さんの事件の頃は毎日大勢の人でたいへんだったよ。
 当時を知っている家も、今じゃウチくらいだろうね』

下山事件6隣のおじいちゃん.jpg

『あそこに見えるガードをくぐって右に行くと、
 下山さんの石碑があるから、行ってごらん』
事件当時、自分は戦争から帰ったばかりでねと話してくれました。

歩きづめで疲れた私は、よっぽどタクシーに乗ろうよと
言おうとしたけれど、ここはやはり現場百回、刑事の勘、
足であるかにゃ謎解きも閃かないわね‥と、
いつになく張りきって
しかたなく相棒のハジメ君は荷物持ちに。

下山事件9石.jpg

事件現場の線路は今では高架になってしまい近寄れないし、
現場近くに建立したはずの追憶碑もガード脇に移されて
世の中の片隅に追いやられ、事件も忘れられたかのように‥

しもやま事件1jpg.jpg
7月5日の出勤途中、
日本橋の三越デパート本店から消えた下山総裁は、
翌6日未明、JR常磐線で轢断死体となって発見された。

現場となった常磐線は、向うに見える東武伊勢崎線と
お互い大きくカーブしながら交差しているところ。
事件はどしゃぶり雨の真夜中のことだった。


下山事件8線路.jpg
<線路上、電車の位置あたりが現場と思われるが‥ 2010.3.20 苦心の撮影>

自殺か、他殺か、捜査当局、ジャーナリズム、法医学界を
それぞれ二分した前例のない昭和の時代の大事件、
真相は謎に包まれたまま時効成立で迷宮入りとなった‥

新・相棒コンビも残念ながら事件解明につながりそうな
新たな発見は何も無し。

とりあえず紅茶を淹れて、ゆっくり考えよう‥
事件はまだ終わっていない。

【参考文献】
・日本の黒い霧:松本清張全集より
・謀殺・下山事件:朝日新聞記者 矢田喜美雄
・葬られた夏:朝日新聞記者 諸永裕司
・下山事件 最後の証言:柴田哲孝 その他


・当時のモノクロ写真はYahoo画像倉庫よりお借りしました。
 その他のオリジナル画像はすべて2010.3.20撮影






最終更新日  2010年05月28日 20時31分38秒
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