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「陽の沈む国」を目指した男たち

2005年12月11日
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日本の使節としての支倉一行が
ローマに入府した際は、
白馬に乗った豪華絢爛なパレードだったそう。

沿道はローマ市民で埋め尽くされ、
スイス衛兵が祝砲を打ち鳴らす。

テベレ川の橋の上では楽団が音楽を奏で、
広場には騎士や貴族が待ち受けて、
最高の盛儀で迎えられたとのことです。

その後、紆余曲折を経て7年後に帰国。
支倉常長のその後の人生を思うと、
ローマでの華麗なパレードは彼らにとって
一世一代の檜舞台だったわけです‥


※写真後方がバチカン。
 支倉一行のパレードはこの大通りを通って。






最終更新日  2010年02月26日 00時31分26秒
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スペインに上陸した支倉一行は、滞在中に
バチカンを訪問して、ローマ法王にも謁見しています。

スペイン国王から伊達藩への色良い返書を心待ちしていた
支倉は、ローマ法王の力添えも欲しかったようです。

それに、支倉と随員の数名は洗礼も受けたキリスト教徒。
バチカンに続く道は、彼らにとっても外すことが出来ない
巡礼の道だったと思われます。

のちに法王庁から「ローマ市公民権証書」まで貰っています。

※写真は法王身辺と法王室を守るスイス衛兵たち。
 人口約800人の小さな独立国バチカンに軍は存在しません。
 この衛兵の他に市国警察が警備に当たっています。
 (公用語はラテン語、業務用語はイタリア語とのこと)






最終更新日  2010年03月04日 20時29分36秒
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2005年12月10日
太平洋を渡り、アカプルコからメキシコ横断し
その後、迎えの船に乗り換えて、
大西洋を渡り、イベリア半島に上陸した支倉常長の一行。

アンダルシアを流れるグァダルキビール川が大西洋に
注ぐ河口の町「サンルーカル・デ・バラメーダ」に
辿り着いたのは、出航からおよそ一年後のことです。

近くの「コリア・デル・リオ村」には、今でも
ハポン(日本)さんの姓を名乗る人たちが大勢住んでいて、
彼等は、日本に帰らなかった支倉一行の末裔だと言われて
います。

ついでに、私の好きなシェリー酒は、
この町と「ヘレス・デラ・フロンテーラ」それに
「プエルト・デ・サンタマリア」の三つの町を結んだ
三角地帯で作られたものだけをシェリー(ヘレス)と
呼ぶことが許されているのです。

あのヘレスの人々と出逢ってしまったら、
日本に帰らなかった人たちの気持ちが
ほんの少し分かるような気がして‥
近いうち、この「コリア・デル・リオ村」を訪ねる予定です。

※写真は仙台にある「支倉常長の銅像」
「コリア・デル・リオ」にも同じものを贈ったそうです。
 






最終更新日  2010年03月04日 20時27分48秒
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「月の浦」から目立たないように、
ひっそりと乗り出して行った
「サン・ファン・バウティスタ号」

見送りの人影も無い静かな船出だったそうです。

青い満月が照し出す夜の海に浮かぶ帆船が、
黒いシルエットになって、だんだん小さく
やがて点になる‥

こんな情景が目に浮かびます。
遠ざかる故国を見つめた男たちの胸の内に
どんな思いが去来したのでしょう‥

※写真は宮城県「月の浦」の夕暮れです。






最終更新日  2010年02月26日 00時15分19秒
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今から400年くらい前のことですが‥。

宮城県の牡鹿半島「月の浦」から
スペインに向かって出航した500トンの帆船
がありました。
「サン・ファン・バウティスタ号」です。

乗っているのは、伊達政宗が送り出した、
世に言う「慶長遣欧使節団」の一行で、
仙台藩・支倉常長を団長に総勢およそ200人の
乗組員たち。

1613年といいますから、「関が原の戦い」から
13年くらい後の話しです。

正確な航海計器もなく、羅針盤、天測儀、砂時計くらい。
あとは船乗りたちの観察と経験だけが頼りのこの時代に、
はるか「日の沈む国」スペインを目指した男たちの
勇気に、心底、感服してしまいます!

※写真は平成5年に宮城県と仙台市が中心になって
 復元した当時と同寸の
 「サン・ファン・バウティスタ号」






最終更新日  2005年12月14日 15時58分52秒
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