授業で子どもを追い込む、って?
今日、研究授業&検討会があり、その席上で「子どもを追い込むことってだいじだよね~」という話が出ました。そのことについて、頭がとっちらかり気味なので、ここに書き留めてみます。「授業で子どもを追い込む」というのはどういうことかというと、例えば、友達の発表を聞いていない子に対して、「聞いていないとだめでしょう」と注意するのは、追い込んでるようで追い込んでいない。そうではなく、「今の話、どう思う?」と尋ね、聞く必然性をもたせる、というような感じ(かなあ…)ポイントは、必然性を感じるためのしかけをつくること。もちろん、しかけによらず、その子自身の動機による学習が一番効率いいんだとは思います。たとえば、「入院したおじいちゃんに手紙を書きたい。どう書いたらいい?」というような、生活に密着した必然性がもてる学習だったら、子どもたちもすーっと入っていけます。得ることも多いでしょう。でも、いつもいつもそれができる訳じゃない。初任の頃、それにこだわりすぎて、授業が広がり過ぎてしまったり、身につけさせるべき内容がカバーできなくなったりして立ち往生…ということが何度もありました。日々の授業を支えるのは、もっと浅いレベルの必然性なのかもしれない、と今は思っています。話を振られる→聞いていないとマズイ、とか、ひとりで読む・書く→丁寧にしなくちゃとか。ただ、これもなかなか難しくて、学習に対するプライドが表に出てきやすい子とそうでない子の差の問題もあります。(これについてはまた後日考えよう…)まあ、こんなことごちゃごちゃ考えなくても「乗せ上手」な先生は自然にできてるのかもしれないなー。今日の席上でも、「あんまり考え過ぎると止まってしまうよ」とアドバイスされましたの。と、考察好きなあまり、行動にブレーキがかかりがちな自分の一面にも気づいたところで、また次回~