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カテゴリ:日々是悶々
結婚した当初は、自分の親が「親というものをなす為に大変な労力を払ってくれていた」と思い感謝の気持ちが湧いてきた。
が。 子供が産まれてからは、「自分の親って、この程度だったのか。なんだ、私並?私以下?」と思うようになった。 人間、追い込まれれば、出し渋っていた能力(というか根性?)を出すものだ。でもカエルの子はカエル。DNAには逆らえない。自分の親が、そんなタイソウナものでもなく、同じ立場になれば、その能力不足な部分に気がついたりする。そして自分が子供だった頃、親の気配りの足りなさに苛立ちを感じた事も思い出す。 そしてきっと、チビ達も同じような事を私に対して思うのだろう。 まったくかーちゃんはよぅ。 仕事がおわんねぇから、晩ご飯が出前だし。 家の中、洗濯物だらけだし。 すぐにぷんぷん怒りだすし。 そのくせ、宿題宿題うるせぇんだよな。 ふ。所詮、私レベルにしかなれないけど、私が昔考えていたガキの阿呆な言い訳逃げ口上なんて容易に想像つきまっせ。しっかりタップリそこんとこ突いて、最低限ラインはクリアしてもらいませう。そんでもって、成人したら(もしくは大学生になったら)ウチから出てってもらいまっせ。ふふふ。 なんかね、親と子はどうころんでも「友」じゃなければ「所有者ー所有物」でもない。所詮、他人。別の人格をもった人間。だけどナマジッカ「似てる」ところを感じさせられるから、溺愛したりスパルタ教育に走ったりするんだと思うんすよ。根底には「自分が可愛い」って感情があってね。可愛い自分が送って辿り着いた人生とは違う人生を子供=自分の似姿を与えたい。でなきゃ、子供の勉強に深夜まで付き合えないよ。だって子供の勉強ってつまんないもん。解答出てる問題解くのってつまんないもん。面白いって感じられるのは、勉強している本人の特権だよ。親くらいの歳になっちまった人間ってさ、もっと違う問題を解く事に面白みを感じているはずでしょ? だからさ。子供の勉強に付き合ってる親の話聞くとさ、うげ~ってなっちゃうの。 ま、単に面倒でイヤンだって言われると痛いけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/06/24 02:44:35 PM
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