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poco a poco~くららんびより

主婦の独り言

壇ちゃん、あなたは美しい…(2005.7.9)
スカイステージで、星組娘役トップスター壇れいちゃんのサヨナラ公演を見る。

私はどーーーしても、湖月わたるさんに浸ることが出来ず、湖月さんがトップになられても、星組を見る気にならなかった。
「アイーダ」(正しくは「王家のナンタラ」とかいうタイトルだったと思うんだけど。)さえも、安蘭けいさんのアイーダ見たさに、ビデオを見始めたけれど途中で挫折というていたらくである。
良い作品だという評判も高いのに…うーん、やはり出演者によるんだよねえ~~。すみません。
あ、「1914」だっけ?は見ました。だから星組の壇ちゃんはこの作品でのみ語ろうと思います。無謀か?

ちなみに私の場合、星組は、娘役トップだった白城あやかさん(現在中山秀征の嫁。なんでや!)が退団された時点でほぼ終わってしまっていて、
でも、その後娘役トップになった星奈優里さんも大好きだったんで、とりあえず麻路さきさん退団までは見て、
稔幸さんが星組トップになってからは全く見てません。食わず嫌いです…
あ、稔幸さんがオスカルをやった「ベルばら」(←稔さんの退団公演)は見ました。
私が見た歴代オスカルの中で、榛名悠梨(字あってる?)に継ぐ、きちゃないオスカルでした…
うわ~~!毒吐きまくりだ!ファンの方が読んでないことを祈る!!

さて、話を戻して壇ちゃん。
壇ちゃんは、芸名「壇 れい」さん。娘役。1992年度入団。入団当時成績は、正真正銘の最下位。べった。
べったからトップになったのは、昔、花組トップ高汐巴の相手役だった秋篠美帆さん以来かな?多分。
宝塚は、序列は人気関係無しの、学年(入団年)順、また入団時、および2年に1度のテストで決まる成績順である。(最近はパンフレットに載る写真の順番や写真の大きさはそれだけではなくなったが)
そのテストは、詳しくはまーったく知りませんが、演技・ダンス・歌など芸のテストであって、勉強の出来る出来ないは関係ありません。多分。
で、壇ちゃんはべったでした。成績べったの人がスターになることはあまりなく、役もとりあえず、最初の頃は、縁故や凄いバックボーンがない限りは、普通成績順につくみたいです。
べったに近いほどチャンスはなかなか巡って来ず、数年でいつの間にかやめてるパターンも多い。

しかし、壇ちゃん、ここまで上り詰めました。凄い人だ。
確かに成績べったなことはある。歌っても?、踊っても??、芝居しても???
しかし、しかーし!!
この人には物凄い武器がある。それは美貌でございます。
立ってるだけで美しいんである。素顔も美しい上に、宝塚メイクするとさらに美しい!
海外公演で中国・北京で舞台に立ったときなど、中国の新聞だったかが、
「楊貴妃の再来!」と絶賛したんだとか。(あの中国がですよ?)

まあとにかく、まず月組で真琴つばささんの相手役としてトップになった壇ちゃん。(私は雪組で轟悠の相手役になるんだとばっかり思ってたのに、丁重に月組に戻されてきた。美しくても相性ってあるんだろうねえ…)
びっくりしました。歌っても踊ってももひとつなのに、色気むんむん。立ってるだけで匂い立つように美しい。
ほんと、立ってて歩いて喋るだけで「もう充分です…」とひれ伏すほどに美しい。(大げさじゃないです)
そして、壇ちゃんは、自分の唯一の武器を充分に理解してた。
だんだんオーラが強く出るようになって、銀橋を歩く姿も貫禄たっぷり。

その後、真琴つばさが退団して、紫吹淳さんがトップになったら、なんと壇ちゃん、専科に飛ばされてしまう。
紫吹さんが選んだ相手役は、かなり下級生の映見くららちゃん。可愛かったです。
しかし、専科時代に、宝塚を出て外部の舞台を経験するなど研鑽を積んで、
星組で湖月さんがトップになるときに、壇ちゃんも一緒に星組に組換えして娘役トップに。
美貌一本でトップに返り咲いた、史上まれな娘役トップになったんである。

しかし、残念ながら、ほとんど壇ちゃんの作品は見てないので、あまり語れないんだけど、数少ない観た作品での壇ちゃん。
美しい…(そればっかりだ。)
美しいだけでなく、歌も芝居も頑張ってるなあというのがひしひしと伝わってきた。(ダンスは殆ど未見。)
思いっきり憶測でここから書いていくのだけれど、壇ちゃんはかなり頭のいい人だと思う。そして努力の人だと思う。
美貌一本でのしあがった、とひどい書き方をしたけれども、勿論それだけでは、成績べったからトップになれないだろうし、2度もトップになることはないだろう。
確かに美貌でまず歌劇団(のおじちゃんたち)側から注目されたんだろう、「育て」られたんだろうけれども、そんな大きな期待を背負って、何も出来なかった壇ちゃん、すごく努力したに違いない。
お芝居をみると、その努力の影がひしひしと伝わるのだ。
そんな努力の影が観る側に伝わってどうする?と言われてしまえばそれまでだが、宝塚のシステムを熟知していて、入団頃の壇ちゃんの使えなさを知っているファンにとっては、「壇ちゃんが10年間頑張ってきた姿」というのは、とても重要なポイントだったりする。(同じことが大和悠河さんにも言える。)
だからこそ、みんなから愛される壇ちゃんとして、今の地衣に上り詰めたんだろうなって思う。

んで、さよなら公演。
大劇場における、壇ちゃん唯一の主役ステージとしてのサヨナラショーを、スカイステージで観た。
相変わらず歌は?ダンスは…という感じでしたが、やっぱり壇ちゃんは美しかった。
めちゃくちゃ美しかった。
態度もL…いやいや貫禄たっぷりだった。
専科出演の轟悠の挨拶は寒かった。いやそれは関係ない。
最後の壇ちゃんのあいさつは、壇ちゃんの気持ちがいっぱい詰まっていて、見てる私のほうが泣きそうになった。(私はファンだったのか?)

最後の花の道のパレードでは、壇ちゃんファンクラブの中に、タカラジェンヌのファンクラブとしては珍しく、おっちゃん含む男性の姿がかなりあってびっくりした。
このことだけでも、私がしつこく「壇ちゃんは美しい」と書きまくったことが嘘ではないこと、分かっていただけると思う。


名前は出せないけど応援してました。(2005.7.9)

私の中学・高校時代、1年下に、そりゃあもうものっすごい美人の女の子がいた。
肩で切りそろえた髪は、20年以上前からなぜか茶髪。元々茶髪だったのではなく、中学入学してからどんどん茶色くなっていったので、脱色を重ねたんだと思う。
うちの学校は中・高一貫教育で、自分で卒業しておいて言うのもなんだが進学校だった。メガネちゃん。坊ちゃん刈。おかっぱちゃんの多かった我が中学で、彼女の存在はかなり異質だった。
(ちなみに、一貫教育だわ、入ってしまえば中はユルユルだわで、坊ちゃん刈とおかっぱは、入学して約1~2年で消滅するのだが)

彼女はとにかく背が高かった。他の女の子よりも頭1つ分くらい高かった。
そしてほっそりとしていて、茶髪なだけでなく、サイドにパーマをかけていて、
当時としてはちょっとおしゃれだった。
目が大きくて美人だった。
しかも、勉強も良く出来た。お父さんがお医者さんで、多分そっち系を目指してたんだろうと思う。
そしてクラブは陸上部。背面跳びの姿がまたかっこいい。
そして、何よりも、性格が本当に良かった。
学年が違って何で知ってるのかと言うと、うちの学校は小規模だったんで、1~2年違いくらいなら顔と名前は8割かた一致するんである。
彼女と喋ると、本当にすれてないというか、お嬢様なんだなあというのがひしひしと伝わる。
当然、うちの学年でも大人気。注目の彼女だった。

その彼女が、春休み、突然高校を退学するという噂が、春休み中で部活に明け暮れていた私たちの音楽室にまで伝わってきた。
「今、学食に彼女きてますよ!」
と彼女と同級生の後輩に誘われて、部長だっつーのにクラブほっぽらかして、学食にダッシュ。
「どうしてやめるの?」
と聞くと、彼女は華やかな笑顔で
「宝塚に合格したんです。」
「ええ!!!」
そりゃあもうびっくり仰天。
当時、特に宝塚に興味がなかった私ではあるが、大ファンの母に連れられて、物心つくかつかずの頃から観劇はしていた。
そして、私の学年にも、宝塚大好き少女が梅雨学を卒業してから毎年受験している。(正直、アンタにゃ無理だ)
その宝塚に、1発合格したという。
「おめでとう!でも寂しくなるね…。握手してくれる?将来自慢したいから!!」
なんちゅー先輩なんだ私は。
でも、そのときの彼女の握手の手のぬくもり。嬉しかったです。

ちなみに、彼女に「退学することにします。」と告げられた当時の担任の、非常に気弱でシャイで意志薄弱と噂の通称ミラーマンは、
びっくりして滝汗を流し、必死でひきとめながら「何かつらいことがあったのか?」と泣きそうになっていたそう。「宝塚に合格した」と聞いて一気に全身脱力だったらしい。

そして、音楽学校2年を経て、首席で入団。
あれよあれよとスターの階段を上っていきましたが、結局トップになることはなく、
私にとってもファンにとっても、納得の行かない状況で彼女は退団しました。
でも、彼女はスターとして、とびきりの笑顔ときれいな涙で、誇り高く輝いて、最後のステージを終え、退団していきました。
現在、芸能界で舞台を中心に頑張っている彼女。
ほんとは、ここに名前を出して、宣伝したいし応援したい。
しかし、彼女の名前を出すと、おのずと出身校が知れて、私の個人情報が危うくなるので、出せません…

でも、これからの活躍をとっても期待してます。
頑張ってね!!!


浮気オフィスラブ未遂の思ひ出(2003.5.8.)

すでに今のオットと婚約していた時の話。

オットと付き合う前から、入社当初の上司からよく自宅に電話がかかってくるようになっていた。
その上司は40代独身。それだけだとぎょっとされるかもしれないが、顔が福山雅治似のナイスなルックスなんである。
入社した時から3年間、直属の上司で、仕事のイロハを厳しく教えていただいた。
私もそのご指導のおかげで仕事が面白くてたまらなくなった時、その上司は異動で全く違う部署に行ってしまった。
随分お世話になったので、かなり悲しい気持ちだったが、私自身も所属プロジェクトが本格始動していたので、そちらに夢中で「それじゃあバイビー!」という程度でもあった。

でもって、その直後から、机の内線や自宅に、時々電話がかかってくるようになっていた。
話の内容はまったくたわいもないこと。私もその上司のことが好き(好きにも色々あるけれど)だったので、電話で喋るのは楽しかった。
しかし、その頃私は、今のオットと出会っており、
「将来この人と結婚するのかも!」とすでに運命を感じていたので、その上司とは電話で話す以上のことにはならなかった。

しかし、私の両親はかなり心配していた。
ひんぱんにかかってくる電話は、くららんの会社の上司で40代独身。妙にいい男でもある。怪しい…ヘンな男に引っかかったのではないかと…
オットとつきあっていることをまだ知らない両親は、オットとの長電話も、例の上司だと思い込んでいたようだ。

だから、私が「あのさぁ、家に連れてきたい人がいてんねんけど…」と初めて打ち明けた時の、母の第一声は、
「あかん!あかんあかんあかん!!」
だった。(笑)
「何考えてんの!そんな40過ぎて独身の男はだめ!」
まだ何も言わないうちから反対されて、ポカーンとしていた私は
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。誰やと思てんの?」
とあわてて尋ねると、
「え?だから上司の福山(仮名)課長やろ?」と…(笑)
「んなわけないでしょ!!」
というわけで、母も険悪な顔をしていた父も一安心。
順調に今のオットとの婚約も整いましたとさ。
めでたしめでた…

おっと、宝塚である。
11月一杯で寿退社しようという段取りを考え始めた、夏のことである。
お盆期間で、交替でオフィスに出ていた。
その日は私とその他2~3人しかいなかった。私は自分の机でお留守番をしながら仕事をしていた。
そこへ電話が鳴って、出ると例の上司だった。
「あのな、宝塚のチケットが手に入ってん。S席で1階やねんけど、どう?」
「え!まじっすか!」
「車出すから、一緒に観に行こう。」
うわ~~~~~!!
初めてのデートのお誘いだったが、これが宝塚じゃなかったら、即お断りしていたはずだった。
ど、どうしよう!あー、どうしよう!席の番号を聞いたら、何と前から3列目でほぼ中央だった。わ~ん、どうしよう!
ぐらぐら揺れまくった。

しかし、その次の瞬間、私の気持ちは固まったのだった。
その上司はこう言ったのである。
「えーと、演目がね。『虹のナターシャ』やって。」
…今やってるやつだった。実はこの『虹ナタ』、初日が開けて1週間くらいのときに、宝塚大好き友達と一緒に観に行って、
「な、な、な、なんじゃこりゃ~~~!!(←松田優作ふう)」
「金返せ~~!!」
と怒りまくった、という、とんでもなくしょうもなさすぎる作品だったのだ。

私は、会社では誰にも話さなかった、オットとのことを正直に打ち明けた。
「実は私…結婚するんです。」

もしも、これが『虹のナターシャ』ではなく、『エリザベート』だったら…
いや、『エリザベート』に限らず他の作品だったら…
私は行ってしまっていたかもしれない。宝塚のチケットにつられて…おいおい。
だから、私は『虹のナターシャ』を作ってしまった植田先生に感謝せねば。
ありがとう!植田先生!おかげさまで、今は幸せな結婚生活です。


母はいったい…(2003.5.3.)

私の母は標準日本人の顔をしている。
背が低めで、小太りで、卵形の顔の、加藤登紀子に紗をかけたような(?)ショートカットのおばちゃんである。

「世界に自分と全く同じ顔の人が3人いる」とはよく聞く話である。
私自身は、今まで同じ顔についぞ出会ったことがない…と思っていたら、おちびの幼稚園でおちびと同じクラスの女の子が、私の子供時代とそっくりな顔をしていた。(おちびが「似てるんだよ~」と言うので、マザコンなやっちゃ、と思って見てみたら、ほんまに似ていてびっくりした)

ところが母の場合、大阪府内だけで少なくとも3人、同じ顔がいるようなんである。
まず、私が昔住んでいた地区の中学の英語の先生。母が商店街を歩くと「うわ~~!先公が来た~~!」と、非行に走っていた中学生達がクモの子を散らすように逃げたらしい。
そして、母の職場の同僚。お客さんには、全く見分けが付かないらしい。
大阪だけで3人はいるのだから、都道府県全部合わせて、いったい何人の「母」がいるのだろう?

さて、話を戻して宝塚である。
私が宝塚にはまり出したのをキッカケに、母もまた再び宝塚に通うようになった。
母は某トップスターの大ファンで、ファンクラブにも所属していた。
そりゃあもう、お気に入りの公演など、1ヵ月半で18回も観に行ってしまったつわものである。

その頃から一時期、宝塚において、母の周りで奇妙な現象が起こるようになった。
なんだかすれ違うタカラジェンヌさんが、にっこり笑って会釈してくださるらしいのである。
母は感動し、「さすがはしつけの行き届いているタカラジェンヌ。ただのおばはんでも挨拶してくれるんだわ!」と、自分もペコペコ挨拶していたらしい。

ところが、会釈してくださるのは下級生の方たちだけではなかった。
な、なんと、当時の花組の娘役トップスター、ひびき美都さんが、にっこり笑って会釈してくださったのである。おつきのかたが怪訝な顔をして母をチラッと見たらしい。
その時、初めて母は「おかしい!」と気付いたらしい。(早く気付けよ!)
「もしかして、誰かと間違われているのでは!?」

きわめつけは、宝塚大橋のたもとで、紫苑ゆうさんとすれ違った時である。
向こうから紫苑(シメ)さんがおつきのかたといっしょに歩いてくるのを見て、
(シメさんだ!)と母はめっちゃ緊張した。
するとシメさんも「ん!?」という顔をして、母を凝視し始めたのである。
2人の間隔はどんどん縮まる!(歩いているから)
シメさんはますます目を細めて母を凝視する!
母、なぜそこまでにらみつけられるのか分からない!
双方の間隔50センチ!
の瞬間、シメさんはスイ!と視線をそらし、すれ違っていってしまった…
緊張の瞬間は過ぎ去った…

どうやら、母は歌劇団関係者と間違われていたようだ(推定)。
ここに母の顔写真を出せば、誰に似ているのかはっきりするだろうが…
でもあれから10年くらい過ぎて、母も10年分年をとった。
今は、宝塚を歩いても誰も会釈してこないそうである(笑)
そのそっくりさんとは、違う年のとり方をしてしまったのか…。


紫苑ゆうさんの思い出(2003.5.2.)

OLの頃の私は、土日が休みではなかったので、平日に、当時大学院生でまだ比較的自由な時間があった悪友と一緒に、宝塚に通っていた。
お互いに、「タータンがいい!」「朝海ひかるちゃん、絶対スターになるで!」なんて言いながら、花の道を歩くのが楽しかった。
公演を観るだけでなく、必ずスターの入り待ち、出待ちもした。
入り待ち・出待ちとは、楽屋入りをお迎えしたり、公演後の楽屋出を待ったりする事で、これは宝塚でなくても、色んな劇団や、たとえば舟木一夫オンステージなんかでもファンならすることだから、そんな説明はいらないだろう。

さて、新・大劇場になってからのことである。
それは花組公演の出待ちをしていた時だった。
新・大劇場の楽屋口の前で、花組の各スターさんのファンクラブの方が前の方で待ち、私と友人のように、一目スターさんにお会いしたい!と思っているその他のファンたちは後ろの方で背伸びして待っている。
また花の道のほうにも、沢山の人が待っていた。

ふと、私は花の道のほうに目をやった。
すると、そこに…花の道の前、楽屋口からまっすぐ行った建物の角のところに…
なぜか当時星組のトップスターさんだった紫苑ゆう(シメ)さんがたってらっしゃったのである。
シメさんをおみかけしたのは、決して初めてではない。星組の入り待ち・出待ちも何度かしたことがあるので、よくお見かけしたことがある。
でも、その時のシメさんは…
白いヒラヒラしたブラウスに、黒か紺のぴったりしたパンツスタイル、そしてブーツをはいて腰に手を当てて立っていらっしゃった。
とても足が長くて…花の道を背にして立ってらっしゃるその姿は、まるで後光が射しているように見えた。
これで髪がブロンドやったらまじでオスカル様だよ!
あまりの美しさに、私は硬直してしまった。
私と友人がシメさんの姿を直視してあぐあぐしていると、誰かが
「あー!!シメさんだあ!!」と悲鳴のような声をあげた。

その瞬間信じられない事が起こったのだ。
そこらへんの人たちが皆、シメさんに向かって突進して行ったのである。
スターを追っかけて大勢が走るなんて、ムラではあんまり見かけたことがない。
だいたい普段は大勢のファンクラブ幹部さんたちがしっかりガードしているし、ゾロゾロ後をついて歩く事はあっても、追っかけてドドドド~~!っと走るなんて!

と言いつつ、実は気がつくと私も友人も、その最後尾について走っていた(自爆)
なんとその時シメさんは単独行動だったのだ。
ところが、シメさんはその瞬間、身を翻して走ってその場を逃げ出した。
早い早い!ほんまに早い!
しゅたたたた~~!!と走って、止めてあった、車に乗って、さーっと行ってしまった…

ほんまにその間1分くらいか…夢だったんじゃないかと言うくらい、あっと言う間の出来事だった…
でも、私はとにかく、あの時のシメさんの美しい立ち姿が、今でも忘れられない。


「宝塚おとめ」を読んで(2003.4.30.)

2003年3月4月は殆んど寝たきりだったので、なかなか観れないでいたビデオを見たり、刊行物を隅々まで読んだりして、久々に宝塚にどっぷりつかって過ごした。
(普段は子供相手で大忙しで、ちょっと疎遠になっていた)
特に、普段はそうそう見ない「宝塚おとめ」2001年度、2002年度版を、ほんま春日野八千代様から研一の席次が最後のかたまで、熟読してしまった。
(かなり暇だったことがうかがえますな)

ちなみに、「宝塚おとめ」というのは、歌劇団団員のメンバー紹介本である。
タカラジェンヌを全員顔写真入りで、誕生日、初舞台公演名、好きだった役、やりたい役、趣味、特技、好きな花、集めているもの、愛称などなどを、成績順に紹介している。
ファンになったら、まずは「おとめ」でチェック!好きな花を見てその花を差し入れたり(東京宝塚では花の差し入れは禁止らしい)、集めているものを見ては、プレゼントしたりするんだろうと思う。
私はやったことないんだけど、もしも誰かのファンになったらきっとするかな♪

さて、「おとめ」を熟読しているうちに、1つ気がついたことがある。
同じ組で同期入団(音楽学校で同級生だったということ)同士で、趣味や特技、やってみたい役、好きな食べ物なんかを、しめしあわせて同じことを書くことが、特に下級生で流行っているようである。
たとえば、やってみたい役をとあるアニメの登場人物でそろえてみるとか、好きな食べ物を同じ店のお菓子でそろえるとか。
たわいもないことである。
中学生感覚とでもいおうか。

まあ、それはいいとして、読んでいくうちにイヤー感じの箇所にぶつかった。
どこの組とは言わないけれど、下級生で、同期で「趣味」の欄を同じ内容でそろえているのだが、明らかに1人だけ、関西弁で言うところの「はみご」にしているのである。
明らかに、彼女には内緒にして皆で示し合わせたに違いないという“一致”なのだ。(だって趣味の欄にそんなこと書くか~という内容で、皆で相談しないと書かへんやろ~、と思わずにはいられないのだ)

まあ、女の園やし、お互いにライバル同士だろうし、みんなお手手つないで仲良しの世界だとは思わない。普通の女子高だって、いじめたりいじめられたりがあるんだもの。芸事の世界ならなおさらだろう。
宝塚は音楽学校で2年間学んでから入団し、入団後も団員のことを「生徒」と(どんなおばちゃんでも)呼ぶのだから、皆、学生感覚が抜け切らないところもあるだろう。
イジメだって横行してるかもしれない(想像)。

でも、こうやって一般の人が読む刊行物に、こういうあからさまな意地悪を平気で書くという彼女らの神経が、分からない。
ぶっちゃけた話、仲間内でやってくれ!と言いたいのである。ファンの目に触れさせるな!と…

まず、気付いてしまったので、私は単純にめっちゃ不愉快な気分になってしまった。面白いはずがない。
また意地悪された彼女の家族は、これを見てどう思ったのかな?と余計な事まで考えてしまう。
また、ファン心理としては、「同じ釜の飯を食って、同じ苦労をしあった同期生同士は、熱い友情でつながっていていつも励ましあってるんだ!」という幻想をいだいているもんである。ぶち壊しだ。
彼女らの中には、下級生ながらバウホールや新人公演などでいい役がついている人もいるのだが、「こういうことを笑って出来る人なのか…」と思うと、「なるべくスターになって欲しくない!」とまで思ってしまう…。極端か…
もう子供じゃないんだから、そんなくだらないことやめへん?と誰か思わないのかしら…

こういうのを「イメージダウン」っていうのね。

まあ、一部のタカラジェンヌの話だけどね。




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