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カテゴリ:アンデルセン
毎年内容を少し変えて行われる 今回は、アンデルセン童話のイラスト原画、公園所蔵の53点などが見られる イブ・スパング・オルセンの水彩原画53点、 ラース・ボーの版画(リトグラフ)10点、 早野コレクション資料多数、アンデルセンの屏風(複製)など、 アンデルセン作成の切り絵の複製など本人や アンデルセン童話に関する子ども美術館の所蔵品を展示。 子供の命を助けたくて、死神の居所を教えてもらうために 最後は両目まで捧げて 助けようとする母親の物語 衝撃を受けた童話です。 残念2枚しか写真が入れられません まえにブログで綴った再録 アンデルセンの童話の世界観、生と死の場合 死に関する童話が圧倒的に多い。 それが翻ることはない・・・ラース・ボーの版画の 人魚姫は、これらの挿絵をみると大人向けです。 ダークな色合い 裸身で寝てる王子と婚約者・・・姉たちの髪の代償に手に入れた ナイフを手にする人魚姫も裸身 見守る短髪の姉人魚たちも怪しく色っぽい どちらかを殺さないと泡と消える・・・ それが「マッチ売りの少女」など、どの作品も一貫してる。 これをディズニーアニメは 明るいハッピーエンドにしてしまった。 実写では 色白の人魚が褐色になるようだ。 神聖な原作を行き過ぎた平等主義で めちゃくちゃにされてるようで辛い。 ハンス・アンデルセンは 1805年靴職人と洗濯婦の間に産まれた。 父親は「神は自分たちと同じ人間だ。悪魔は自分の胸の中にいる以外にない」進歩的思考です。 ハンスのために人形劇の舞台を作ってくれ、ハンスは人形の洋服を作り、話を作っては楽しんだ。 美術館には、「すずの兵隊」「親指姫」のセットが常備され 申し込むと即興で子供たちが扮して舞台を体験できるコーナーがある。 孫の「すずの兵隊」みたいなあ 11歳の時 父が亡くなり母は再婚 15才の時オペラ歌手になりたくて上京。 デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍していた。 関係者から可愛がられ援助され大学進学、文献学と哲学を学んだ。 1833年4月から翌1834年8月にかけて欧州を旅行した。 1年以上も・・・なんと羨ましい~ デンマークに戻って、1835年に最初の小説『即興詩人』を出版。(10代の時読みました。) パリではバルザック、ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ父子、 ラマルティーヌ、ダヴィッド、ハインリヒ・ハイネ、などの有名人多数と交友 70歳で死去するまで170編の童話を創作、30国も海外旅行してる。 生涯独身だったが 多くの人に愛され葬式はすごかったらしい。 生れは貧しかったが、愛のある親、学問、仕事、人間関係、旅 憧れるような生涯だと思いました。 アンデルセン公園は、花だけじゃないデンマークとアンデルセン本人に敬愛のある公園です。 関連日記 「白鳥の王子」昭和30年代の絵本、大好きなアンデルセン童話 | 熟年離婚で 幸せ家賃込み10万円UR団地生活 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 恋愛・結婚(離婚) ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.17 19:01:45
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