2007/03/10(土)21:19
『心即太陽』
【心即太陽】
・苦難あっての歓喜
・停滞あっての成長
私の中に少しずつ芽生え始めているこの事実。
私は最近の日記の中で、【流れを観る】ということを書きました。
その【流れを観る】と言う時、本当に大切なものがあります。
それが【ものさし】です。(誤解されやすいので追記します)
ここでいう【ものさし】では、【流れを観る】には直結しません。
まず、【ものさし】=【メトロノーム】で自分のリズムを修正します。楽器でいったらチューニングですね。
(本来の自分=自然の法則=宇宙の法則との「ものさし」であり、他人との比較の「ものさし」ではありません)
このチューニングや、リズム合わせをしないままでは、何も観えないような気がします。いや、観えません。
それをせずに【流れを観る】とか、【流れに乗る】では、狂った波長のまま、楽器を弾いたり、リズムがめちゃくちゃな音楽に身を任せることになると思うのです。
だから、一度、調整がいるし、もしズレがあれば呼吸合わせ、チューニングがいると思います。
そういった意味で自分自身が自分自身のその【ものさし】をもっていれば、その【自分自身の軸】がブレることはないと信じています。。。
自分のその【ものさし】さえしっかり持っていれば、希望を失うことはない!
前回の日記で神経症的競争心を抱えている人が多いことを書きましたが、そういったマイナスの波動に対してもその【ものさし】さえもっていれば、きっとそれが見えてくるはずだと思います。
イチロー選手の話で、彼は仮に結果的にヒットが出ても、自分自身が思った通りのスイングや当りでなかったら、決して満足しないと聞きました。逆に仮にアウトになっても、それが本人が思った通りのスイングで、しかも芯で捉えることが出来た時は、仮にマスコミに叩かれようが本人は納得しているとも。。。
振り返って、私たちの日常でのいろんな場面で、調子がよかったり、悪かったりといろんな状況がある中で、その結果だけみて、調子が良い“つもり”になる、調子が悪いと落ち込む。。。そんな時があったような気がします。
でも自分の【ものさし】をもって、しっかり【自分の軸】をもっていれば他人から見えるものとはまた違った風に見えてくるものがあると思います。
そんな風に考える私は、「停滞あっての成長」という言葉がとても共感するのです。
今日に希望をもとう。明日に希望をもとう。前途にようようたる希望をもとう。仕事に、研究に、又身体に、日に月に新たな希望に燃えていこう。
うまく行かぬから、望みを失うのではない。望みをなくすから、崩れて行くのである。みかけがよく見えたり、悪しく見えたりするのは、ただの表面の変化であり、一時のきまぐれで、かえっておもしろいことである。それは、すでに大きく伸びるための一時の屈曲であり、高くのぼるためのふんばりである。
望みをなくさない方法、それこそが、自分だけの【ものさし】の確立かなぁ…と思います。。。
これってやっぱり【自分との約束】の積み重ねですね。
希望は太陽
悲観は雲
憂いは霧
【自分との約束】を積み重ね、自分の「ものさし」をもって自分自身の軸を確立しよう!!!
そうすれば、きっとどんな状況でも【希望=太陽】を失うことはないのだから。。。
『太陽』
胸で燻っている声を
また叫べずしまい込んでいく
太陽よ顔出してこの胸を捜してよ
もし挫けそうになっても
鬱ぎこむよりも空を見上げて
太陽よこの胸をいつまでも温めて
太陽に向かって走ろう
自分に負けそうなことを
破って未来を描いていこう
走り出せたら悲しみや
今すぐ忘れたいことが
あったから今があるってきづこう
運がいいとか悪いとか
自分の明日に悩んでるなら
この胸に訪れた温かさ信じて
この胸に訪れた温かさ信じて
太陽に向かって走ろう
信じ切れないその理由を
砕いて未来を創っていこう
走り出せたら苛立ちや
あの頃恐れてたことが
あったから今があるって笑おう
空をひとり見上げてるよ
君もどこかで見上げてるかい
太陽よどこまでも僕たちを照らして
太陽よどこまでも僕たちを照らして
詞:徳永英明