りれこのワンダーランド

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自宅出産への道

ラインベビ

<自宅出産への道>

皆さんはお産に対してどんなお考えをお持ちでしょうか。

私は医療の介入しない、自然なお産を望んでいました。
自宅出産はその理想をかなえる一番の方法。
でも、世の中の主流は病院でのお産。
家で出産するなんて、原始的な感じもします。
不安もいっぱい。
でも、健康な出産なら、家は素敵な産院になるのです。

なぜ、私が自宅出産をのぞみ、実現するにいたったか・・・
長~くなりますが、よかったら、読んでみてください。


【私自身が生まれたときのこと】

私自身は総合病院で生まれ、
そのとき流行り始めの促進剤を使われた母は、
促進剤をつかわれたにもかかわらず、放って置かれたそうです。
母はお産の前に祖母から
「私はお産が早かったから、あんたも早いと思う。気をつけるように。」
といわれていたので、それを医師に告げていたそうですが、
初産ということでまだまだ生まれないだろうと無視され、
分娩室にひとりでいたそうです。
促進剤の効果もまだはっきりとわかっていなかった
時代だったのかもしれません。
結局私はどんどん生まれてきてしまい、なんの補助もないまま、
バリバリと母の会陰を破って生まれてきたそうです。


促進剤を使われた理由も、
医師の勘違いだったとか・・・
翌月の6日が予定日だったにもかかわらず、
当月の6日と勘違いされ、25日を過ぎても生まれないのはおかしい・・・
と促進剤を用いたそうです。

今の時代なら、立派に医療過誤。
でも、そのころの医師や病院というものの権力は絶大で、
若かった母は心も体も傷つけられたまま、
「ひどいお産」を受け入れざるをえなかったようです。


こんな話をきかされた私はお産というものを、
恐怖の対象としてとらえていました。
痛さへの恐れも大きなものがありましたし、
病院でのベルトコンベア式お産にも抵抗があったのです。
出産なんかするものか・・・子供なんていらない。
若い頃の私は平気で思っていました。


【自宅出産という方法との出会い】

ところが、あるラジオ番組を聞いて、
私のお産観はガラリとかわりました。

それは、ある方の助産院での出産の話でした。
助産婦さんによる、出産。それは、自然で医療の介入のない、
素敵なお産だったのです。

病院お産でのお約束3セット、
女性にとっては屈辱的な〔浣腸〕・〔剃毛〕・〔会陰切開〕
そんなものがなくてもお産は立派にできるということがわかりました。
産婦さんを大切にしたお産。
検診につきものの、内診さえもほとんど受けずにすむ・・・

それが助産婦さんによる出産だとわかりました。

同じ番組に出ていた上条恒彦さんのお奥様は自宅で出産されたとか・・・

出産の場所として、
「自宅」というものが私の中で大きくクローズアップされました。
自分が一番くつろげる、自宅でのリラックスした出産。

いつか、出産するなら自宅で生んでみたい。

当時すでにそんなに若くもなかったけれど、
結婚相手どころか、
ステディな彼氏さえもいなかった状態・・・
単に、漠然とした夢でした。

でも、その後、どうにか結婚・・・
2回の個人医院での出産を経て、
3人目を生むとき、私も自宅出産をすることができたのです。


【それでも病院を選んだわけ】

最初の子供を妊娠したとき、
自然出産をのぞんでいたにもかかわらず、
私はやはり近所の病院にいきました。

一応助産婦会の発行していた
「全国助産院マップ」という本や、電話帳で
助産婦さんを調べてみたりはしたものの、
どうやってアプローチしていいかもわからず、
助産婦さんの知り合いもいなかったし、
本で知った開業助産婦さんと
相性があわなかったら・・・
などと先走って考えたりしてしまったからです。

その病院は、私の従兄弟も何人か生まれた、
このあたりではかなり有名な産婦人科メインの総合病院です。
特に無痛分娩が得意で、昔から、このあたりに限らす、
近郊からも、お産しに来る人が多く、
地元の友人もほとんどここで出産していました。
キリスト教系なので、命を大切にしている姿勢や、
スタッフの方が親切なところなど、素敵な病院です。

妊娠判定はとりあえず、そこに行ってみました。
でも、私にはしっくりきません。


私にとって、人生最大のイベントである出産が、
先生やスタッフにとっては、単なる日常の「仕事」でしかない・・・
というのが、一番しっくりこない理由でした。
採尿のために入った個室が
前の人の残り香でクチャかったというのも、不運でした。
しかも、下半身を出したままで(寒かった・・・)
30分近く待たされたあげくに、
ようやく現われた無痛分娩の権威のドクターが
「待たせて悪かった」の一言もなく、にこりともせず、
おめでとうでもなく、
淡々と妊娠を告げたことも、
ここじゃないな。って思う大きな理由になりました。


【どこで生もう!?】

1ヶ月後の検診にむけて・・・産院探しが始まりました。
幸い、私の住む地域には、歩いていける範囲に、
もうひとつの総合病院。
↑の病院のOBがやっているSY産婦人科。
先代が亡くなってジュニアが分娩取扱いを再開しようとしているA医院。
の4つの分娩可能な施設がありました。
そして、歩いて40分くらいのところに、助産院。
そして、同じ区内には、
関西で産婦人科医院を開業している伯母が懇意にしている
産み分けで有名なSU産婦人科もあります。


まず、考えたのは助産院。
でも、当時は車を運転していなかったので、遠さが気になりました。
何より頭では自然出産と思っていても、
初めてだし・・・30過ぎてるし・・・
不安が先立ち断念しました。

かわいがってもらっている伯母が産婦人科医なのに、
病院外出産をするということにも、少し遠慮がありました。

総合病院と、SY産婦人科は考えませんでした。

残るは↑のE病院とA医院、SU産婦人科。
そこで、私は伯母に手紙を書き、どこで生むのがいいか相談しました。
里帰り(?)出産を自分の産院でするようにと、
お達しがくることも覚悟のうえでした。

ところが彼女のお奨めは意外にも自分の医院でも、
懇意のSU産婦人科でも、E病院でもなく、
近所のA医院だったのです。理由は、


近所なら何かがあったときにすぐにみてもらえる。
先生にとっての、10人目くらいまでの患者のことは、
一生覚えている(であろう)。
悪い評判がたたないように、真剣に診る。


などと、開業医の立場からアドバイスしてくれたのでした。


【1号2号を生んだ医院】

たずねてみると、A医院は建物のセンスもよく、
分娩費用もE病院に比べてリーズナブル、
先生や助産婦さんのかんじもよく、
当時は自然なお産をサポートする。という考えを前面に出していたので、
ここで出産することに決めました。

結局、私の出産は分娩取扱い再開後2番目のお産になり、
第一号のお産の時に先生とけんかして
助産婦さんがやめてしまっていたので、
出産のとき、先生が最初から最後までついていてくださったり、
入院していたのが、私一人だったということもあり、
産後のケアにも先生がかなりかかわってくださったり・・・
と望みどおりのもの。
しかも、その時点では、私のイベントが先生にとってもイベントとなり、
覚えていてもらえるお産になったという点でも、満足できるものでした。


【かわってしまったA医院】

そして、2人目・・・1歳7ヶ月しかあかず、
A医院の赤ちゃん交流会などにも通っていたので、
あたりまえのように、ここでの出産になりました。
でも、分娩取扱い量が増え、システムが構築され、
助産婦さんや、看護婦さんも増え、
医院の様子は随分かわってきてしまいました。

特に分娩の時にいきなり、
初めて会う助産婦さんがやってきて、
介助に入ったのには驚かされました。
入院期間も5泊6日から4泊5日に短縮され、
すべて込み込みだった分娩料金も
時間外だの、深夜だの、別料金が加算されます。
しかも、次男が生まれたのは23時31分。
それでも、1日扱いです。
産後、私が39度の熱を出し、ふうふう言っていても母児同室で、
主人が赤ん坊の世話をしている状態。

3人目をここで生むことはないだろうな。と思いました。


【次こそ自宅出産】

もし、3人目が出来たら・・・今度は自宅出産にトライしてみよう・・・

A医院がかわってしまったことも、その決心を後押ししてくれたのでした。


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ラインベビ


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