一昨日のDVDブック「チェンバロ」の記事で、プサルテリウムやサントゥールを自在に操り不思議な音響世界を繰り出す方々に触れましたが、亭主はあまりに強烈な印象を受けたので早速ネット上で調べてみたところ、ありました、彼らの
ホームページ。さらに、その演奏を入れたCD、「ドックチア」があるのを知り、その日のうちに通販で注文しておいたところ、本日首尾よくゲット。
早速演奏を聴かせて頂きましたが、ここで使われている数十種類ものほとんど馴染みのない楽器群が奏でる響きの何とも新鮮でまたどこか懐かしいこと。ライナーノートの解説記事で江波戸昭さんも書かれていましたが、これらは「古楽器=古びて絶えてしまった楽器」ではなく、「昔からある楽器」、いまだに生きている楽器として十分な存在感があります。
けれども、こういった楽器を前にしてすぐに問題になるのは「これらでどういう曲を奏でるのか?」でしょう。結局のところ、楽器の魅力はそれが奏でる音楽の中にしかなく、それによって天と地ほども違いが出ることは、このような「古楽器」だけでなく現代の楽器群にも当てはまります。(亭主がハープシコードにハマったわけも、結局のところスカルラッティのソナタという素晴らしいレパートリーに出会ったからです。)その点、カテリーナ古楽合奏団が発掘?してこのCDに収めたレパートリーはこれらの楽器の魅力を百二十パーセント引き出していると思います。ここで百でなく百二十と言ったのは、そのアンサンブルの妙がこれまた大変素晴らしいものだからです。(収められた20曲を聴いている間、亭主はずーっと唸らされっぱなしでした。)時には十指に余るヴァラエティの楽器群が作り出す実に幻想的な世界。ある程度「発掘」したものに基づいているにしても、多分楽器の選択も含めた曲の構成はこの楽団のオリジナルに違いなく、その感覚の確かさは見事なものです。
そして、あのプサルテリウムとサントゥールのデュオもちゃんとありました。「愛する人よ」という題名のついた、作者不詳の12世紀フランスの曲。この二つの楽器の響き合いは、現代のそれに例えるならピアノとバイブといったところでしょうか。(いまだ亭主の愛聴盤であるチック・コリアとゲーリー・バートンの「チューリッヒ・ライブ」を連想しました。)ジャズがそうであるように、こういう音楽を「民族音楽」という言葉でくくるのはやはりしっくり来ない気がします。彼らがカテリーナ「古楽合奏団」と名乗っているのも、その辺のニュアンスを感じました。