バーニー先生、トリノの次はミラノへ向かいます。おそらく7月16日の午後に到着し、25日の朝に出発するまでの9日間滞在しており、日記体の文章からは毎日あちらこちらの教会や音楽会、さらには図書館などをエネルギッシュに訪ね歩いている様子が分かります。
![burney2](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/89/0001097689/18/imgcbac902czikczj.jpeg)
この節で一つ亭主にとってなぞが解けたのが、この時代の記事に出てくる「アカデミア」という用語。バーニー先生によると、「イタリアでは私的な音楽会のことをAcademiaと呼ぶ」とあります(pp.91)。以前、カークパトリックの著書に引用されていたロージングレイブとスカルラッティの出会いの場面についての記事(本書中)で、二人が「ヴェネチアのとあるアカデミアに招待された」とあるくだり、アカデミアをどう訳したものか悩んだ挙げ句、「芸術団体」と訳した記憶があります。こうして見ると、正しくは「私的音楽会」とすべきところなのでしょうが、上流階級の多少スノビッシュな雰囲気を醸すという意味では亭主の訳もまぁ悪くはないかも?
もう一点面白かった記事は、「やまびこ(エコー)」で有名なパラッツォ・シモネットという住居跡についてのもの。当時旅行者の間で有名だったらしく、物見高いバーニー先生はわざわざミラノ市街から1~2マイルにあるこの廃墟に出向いて、みずから実験を行っています。無人で誰でも出入り出来る建物は周囲に何もなく、反響の原因がこの建物の構造にあることは明らか。くだんのページにはコの字型の見取り図が描かれていて(下図)、どの窓から音を発し、どの窓でよく「やまびこ」が聴こえるか、またそれがどの壁からの反射か、などを図示しています。亭主はここを読みながら、その昔日光東照宮を訪ねた際に体験した「鳴き龍」を思い出しました。(観光名所って、どうしてこうも似ているんでしょう...)
![simonetto](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/89/0001097689/23/img934acffczikazj.jpeg)
この後、バーニー先生はアンブロジア図書館でペトラルカやレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿で目の保養をし、ブレスキアへと出発。さらにヴェローナ、ヴィチェンツァ、パドゥアを経由してヴェネチアへと向かいます。