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カテゴリ:音楽
ジャン=フィリップ・ラモーのことを調べているうちに、未音亭にあるK. ギルバートの演奏を入れたCDはラモーの鍵盤作品のすべてをカバーしているわけではないことに気がつきました。
そこで、まとまった録音をネットで探しているうちに、ベルダーのCDがあることが分かり早速入手。週末はベルダーの「ラモー演奏会」です。 ここで聴いてみて気がついたことを二三メモしておくと、まず1724年のクラブサン曲集の中の有名な作品、「ソローニュの雛鳥」の第一変奏、右手で三連音符が続くところで、左手の二連音符はイネガル奏法のように2対1に長さを割り振り直して演奏する(ギルバートもそうしている)のが普通のようですが、ベルダーは何と律儀にも譜面通りに弾いています。 スカルラッティのソナタ全曲録音でもそうでしたが、ベルダーさん、これに限らず演奏では何かしら「独自のしかけ(解釈)」を滑り込ませるので、いつもワクワクさせられます。 (ところで、この曲の題名、場合によっては「ソローニュのバカ者」と訳されているようですが、これはniaisというフランス語が英語のchickenと同じような二重の意味の使われ方をすることから来ているようです。) もう一つ、これはベルダーの演奏だからというのではないのですが、「新しいクラブサン曲集」の中程にあるガヴォットと6つの変奏曲、どこかで聞いたことがあるなぁと思ってライナーノートに目を落とすと、これがヘンデルのハープシコード組曲第3番(ニ短調)の中にあるエアと5つの変奏とそっくりであることが指摘されていました。確かに、変奏のやり方までも含めてヘンデルのそれをなぞっているように聞こえますが、解説者(Clemens Romijn)によると、ラモーは(特に最後の三変奏曲で)ヘンデルを超えるヴィルトゥオージティを示そうとしたのでは、と想像しています。 ところで、Romijn氏はライナーノートの冒頭で、ラモーを賞揚するドビュッシーの記事を引用していますが、どうも文脈がよく分からないので「音楽のために(ドビュッシー評論集)」(杉本秀太郎訳、白水社、1977年)を引っぱり出して探してみると、元ネタを発見。1903年6月28日付けの「ジル・ブラス」という雑誌に掲載された「1903年音楽決算」という記事(pp.188-192)で、その中のオペラ・コミック座に触れた文章の中にありました。 どうやらそのシーズンの出し物に相当ご不満だったドビュッシー先生、それを発散するため(?)に当時の音楽監督アルベール・カレ氏をいじり回した挙げ句、「ラモーの作品でもやればいいのに」と、ラモーが歴史の作為によって不当に忘れられた偉大な国民的作曲家であることを、例のいささかシニカルな文体で語っています。 ドビュッシーはその後、1905年に出版したピアノ曲「映像第1集」の2曲目を「ラモー讃」と題し、ラモーへの敬意を形にしていることからも、その思いが(言葉の軽妙さとは裏腹に)本物であることを示しています。その当時、フランス国民運動」的な気分が盛り上がっていたという時代背景を割り引いても、なお「天才同士の時を超えた共鳴」として興味深いものがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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