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カテゴリ:美術
日伊国交樹立150周年記念にあやかったイタリア美術展が切れ目なく続いていますが、その第3弾は国立西洋美術館で開催中のカラヴァッジョ展です。
とはいえ、カラヴァッジョという画家の名前を聞いてすぐピンとくる人は日本ではそれほど多くはないかもしれません。亭主にしても、大昔にヨーロッパの美術館を巡っていた頃に彼の作品を幾つか目にした覚えはありますが、当時はルネサンス美術と16世紀のマニエリスム美術で頭が飽和状態だったこともあり、あまり気に留めていませんでした。 ただ、その頃読んで大変面白かった「薔薇のイコノロジー」の著者である美術史家の若桑みどりさんが、著作の中で自らを「カラヴァッジョの専門家」と紹介し、彼の作品にもしばしば言及していたことから、いつかは作品をまとめて見てみたいと思っていた画家でもあります。 というわけで、会期末になって混み合う前に、と上野まで足を運びました。連休初めとあって上野公園は家族連れなどで混み合っています。 展覧会はテーマ別に7つのセクションからなり、カラヴァッジョの手になる11枚の作品を中心に、カラヴァッジェスキと呼ばれる彼の追随者たち、あるいは同時代の画家たちの作品を配しています。 カラヴァッジョ(1571〜1610年)が活躍した16世紀末から17世紀初頭は、音楽で言えばちょうどモンテヴェルディのマントヴァ時代と重なっており(ヴェスプロの作曲は1610年)、フィレンツェではカメラータ・デ・バルディのメンバーによって最初のオペラらしきものが試みられていた頃です。いわば来るべき新しい芸術を準備した時期とも言えるでしょう。 先週も書きましたが、この当時の絵画芸術は単なる写実を超えて何か「異常に大きな、また小さなもの、極端に珍しいもの、風変わりなもの、異形、グロテスクな、あるいは飛び抜けて美しいもの」を追求していました。(その意味で、おそらく「歪んだ真珠」という原義を持つバロックという言葉を文字どおり体現しているように思われます。) そのような表現の一つが代表作「エマオの晩餐」における光線についての扱いで、レブラントやラトゥールが多用する、あの光路に沿って明るくハイライトされた部分と影になった部分との明暗(キアロスク〜ロ)を極端に強調する表現は、どうやらカラヴァッジョがその鏑矢であったということのようです。 そのような流れの中でこの展覧会の白眉となったのが、今回世界初公開となった「法悦のマグダラのマリア」という作品。この現在も個人蔵とされる作品は、2014年に初めてカラヴァッジョの真筆と判定されたものですが、おそらく死の淵にあって恩寵の法悦に浸るマリアの表情は恐ろしいまでの迫力を持ち、見るものを圧倒します。カラヴァッジョはこの絵を死の直前まで肌身離さず持ち歩いていたとのことで、レオナルド・ダ・ヴィンチに取ってのモナリザと同じような作品だったことが伺えます。(それにしても、よくぞ公開されたものです。) その他、いわゆる静物画を主要な画題として取り上げ始めたのもカラヴァッジョであった等、彼が17世紀絵画の潮流に大きな影響を与えた画家であったとことを教えられた実に興味深い展覧会でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 1, 2016 08:57:48 PM
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