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カテゴリ:音楽
以前にこのブログで、亭主がラモー「和声論」の邦訳を探したものの見つからず、やむなくその英訳本を手にしたことや、その400ページを超える物量に恐れをなしたことなどを紹介しました。調べてみると、もう5年も前(こちら)のことのようですが、何と最近になってついに邦訳が出版されたことを知り、怖いもの見たさにゲット。
![]() 例によってヒヨリ気味の亭主、今のところパラパラめくる程度で済ませていますが、訳者である伊藤友計氏が冒頭に付けた20ページほどの解題が面白く、これを読むだけでもポイントを多少分かった気になります。 その1は、原題にある「ハーモニー」という言葉が、それ以前には和声や和音ではなく、旋律の持つ音程の好ましさ(訳をつけるなら「調和」とでもすべき?)を意味していたということで、複数の旋律の場合に起きる音が重なって生じる和音も旋律の結節点としか見なされていなかったということのようです。つまり、ハーモニーという言葉を和声、和音という今日的な意味で明示的に使ったのは、ラモーのこの論考が最初だったわけです。ここで「それ以前」として引用されるのは、16世紀の音楽理論家ザルリーノの著作なので、200年足らずの間にハーモニーの意味が変化した、というわけです。 とはいえ、これを読んだだけで、18世紀の音楽論で用いられている言葉の意味が、今日の同じ言葉のそれとは必ずしも一致しないであろうこと、またそれに伴う訳語の選択の困難という問題を直ちに暗示します。実際、訳者はラモーが用いる「バス・フォンダマンタル」という最も基本的な言葉からして、これを「根音バス」などと訳せば著作全体として大きな混乱を招く事情を明らかにしており、邦訳が一筋縄では行かない作業だったことがよくわかります。 このような事情は、第5節「『和声論』内のキーワードについて」で、より詳しく解説されていますが、ここで特に亭主にとって新鮮だったのがmodulationという用語についての記事で、これを単に「転調」の意味に取ると、場合によっては大きな読み違いをする可能性があることを知りました。端的にいうと、この言葉の元であるmodeとは旋法、つまり「一オクターブの音階をどの音から始めるかによって変わる、全音(ピアノでドとレのように黒鍵を挟む2つの白鍵の間隔)と半音(ミとファのように黒鍵を挟まない2つの白鍵の間隔)が現れる順番」を指し、modeが変わることもmodulationの意味の一つだったと推測されるようです。 いわゆる調性音楽(長調と短調という2つのモードしかない)を前提にしたクラシック音楽から眺めていると、18世紀音楽がそれ以前の旋法的・非調性的な音楽と境を接していたことすら忘れがちになり、「転調」についても無意識のうちにその枠内で理解しようとする(したつもりになる)、というわけで、これだけでも亭主にとっては目からウロコの記事でした。 それにつけても、このラモーに限らず、フランス人は何事につけても抽象化・理論化が大好きな人種だなと改めて感じさせられます。 亭主の仕事に関わるところでいうと、例えば最近「キログラム原器」に代わる新たな重さの定義が定まったことで話題になっている「メートル法」がいい例です。よく知られていることとして、「メートル法」以前の常用単位は全て人間を尺度にして決められていました。例えば長さの単位では1インチ=人の親指の長さ、1フィート=ひざ下の足の長さ、といった感じです。また、補助単位も十進法ではなく十二進法を用います(1フィート=12インチ)が、これは12が分割に適した数(簡単に2、3、4、6等分できる)だからです。 ところが、メートル法ではこのような人間中心の定義を廃し、(人の五感とは何の関わりもない)地球の赤道全周の4千万分の1が1メートル、という人工的な物差しを決め、しかもそれを世界中で共通の基本単位として使うことを推進しました。これに対する反発は特に米英でいまだに根強く、これらの国では日常的にはほぼ使われていないといっても過言ではありません。 その他、かの国で神学、哲学、数学といった学問が栄えているように見えるのも、フランス人の抽象好きの為せる技ではないか、と要らぬ妄想する亭主でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年11月18日 21時32分29秒
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