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2020年06月28日
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カテゴリ:音楽
このところバッハの初期作品に興味津々の亭主、ロバート・ヒルによる「第3旋法によるプレリュードとパルティータ 」ヘ長調BWV833(2月のこのブログでご紹介)の驚異的に素晴らしい演奏に接し、さらには彼の演奏でカプリッチョ「オールドルフのヨハン・クリストフ・バッハを讃えて」ホ長調BWV993を聴くに及んで、これはもう彼の音盤を手に入れるしかない、とネットで中古CD(第II巻、2枚組)を前の週末に注文。数日後に到着したのを聴き始めるなり完全にハマってしまいました。




まず、何と言ってもそのサウンドの素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがあります(「第3旋法…」で受けた衝撃を改めて追体験!)。これほど芳醇なハープシコードサウンドはこれまでにまでに聴いたことがない、と言ってもよいぐらいです(興奮のあまり鼻血が出そう…)。ライナーノートを調べたところ、楽器はキース・ヒル製作によるタスカン・1769年モデルのコピーとありますが、その鈴のような音色に亭主の脳髄はトロけそうです。

もちろん、それに勝るとも劣らないのが演奏の素晴らしさ。これを聴けば「バッハの若書きの作品」という言葉が想像させる何か未熟なもの・初歩的なものとは全く無縁の新しい世界、「若々しいバロック音楽の輝き」と言ってもよい音響世界が広がること請け合いです。(このような音楽的邂逅は、おそらくセンペが奏でるルイ・クープランのCDに出会って以来。)

以下、ロバート・ヒル自身によるライナーノートのイントロ部分を亭主訳でご紹介。
「多くの単独の組曲、トッカータ、フーガなど、...これらは重要でまた様々な価値を持つものの、若年期の作品である。」バッハの伝記作家ヨハン・ニコラウス・フォルケルは、1800年頃にこのような言葉でヨハン・セバスチャン・バッハが青年時代に残した鍵盤音楽作品の状況を簡潔に要約している。バッハの初期の鍵盤作品は、長い間彼の成熟期の鍵盤音楽の影に隠れていた。それらが無視された理由は様々だが、とりわけ重要な理由として、成熟期の作品との間に感じられる質的な相違にあったことは確かである。バッハの作曲の腕が訓練によって上達したことは明らかだろう。

一方、我々はそのような相違の本質を理解する必要がある。というのも、この相違は少なくともある程度において、我々の耳が彼の初期の様式(諸様式と言った方がよいだろう)に馴染んでいないし訓練されてもいない、ということと関係するからである。 若いバッハは絶えず実験を行っていたので、彼が取り組んでいたお手本と比べてその大胆さに驚かされないような初期の作品はほとんど見当たらない。このような新奇さゆえに、これらの作品は様式的には完璧に洗練されているとは言えない。フォルケルから現代に至る批評家にとってのさらなる問題は、バッハ自身の後期の音楽に浸ることによって培われた耳で初期の作品を判断することである。さらに遡るとまで行かなくとも、少なくとも過去1世紀、ほぼすべての古典的に訓練された音楽家は、主にバッハの成熟した合唱作曲を模倣することから声部書法、声部進行、和声進行の感覚を発達させてきた、と誇張なしに言えるだろう。

バッハの後期の鍵盤作品のかなりの部分は、過去200年間にわたり容易に入手可能な版で印刷されて流布していた(1830年代の「バッハ復興」は彼の声楽作品への関心を呼び起こしたが、鍵盤音楽が完全に忘却されることはなかった)。我々のバッハ観がこれら後期のお馴染みの作品群によって規定されているがゆえに、17世紀後半から18世紀初頭 -- 旋法から調性への移行の時代、転調が一般化される前、平均律により全ての調を使えるようになる前の時代、ヴィヴァルディの作品3でイタリアのコンチェルト-アレグロ様式が発達する以前 -- という時代の感性に順応した耳、あるいはおよそ1720年以降の完全に発展したバロック様式にそれほど馴染んでいない耳で彼の初期の作品を判断する、ということが困難であるのは当然のことである。
実際のところ、亭主ももしこの演奏を10年前に耳にしたとしても、「後期の鍵盤作品に規定されたバッハ観」から自由であるはずもない亭主にとって、ここまでビンビン来ることはなかったでしょう。ヒルがこの演奏を録音したのは前世紀の終わり近い1999年。それから亭主の手に届くまでの20年、古楽の世界を気の向くままに遍歴した時間は、まさにこのような出会いのために必要な時間だったというわけです。

このCDに収められた作品、どれも大変興味深く面白いのですが、今亭主が弾いてみたいと思っているのが「パルティータ付きサラバンド」BWV990です。(これはもしかするとスゴい名曲ではないかと妄想中。)

なお、今回亭主が手にしたのは第II巻ですが、あのもう一つのカプリッチョ「旅立つ親愛なる兄弟に寄せてBWV992」の衝撃的な演奏で始まる第I巻の音盤は国内に適当な出品者がおらず、やむなくスイスの業者から手配中です。 (今から大いに楽しみ…^o^)









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最終更新日  2020年06月28日 22時07分50秒
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