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2021年02月07日
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カテゴリ:音楽
今年の初め、ピアノでラモーを弾くヴィキングル・オラフソンというアイスランド出身のピアニストをご紹介しましたが、その後気になって調べているうちにドイツ・グラモフォンから出ている彼の最近3枚の音盤(フィリップ・グラス、バッハ、およびラモーとドビュッシー)をまとめた限定版CD("Triad")が出ていることを知りゲット。どれも大変興味深い録音ですが、特に面白かったのがセバステシアン・バッハのアルバムです。



まず、収録されている曲の選択が大変マニアック。亭主がこのところ聴いていたバッハの初期作品が中心的なレパートリーになっている上に、後世の様々な音楽家による編曲も含むなど、バッハが主役というよりも、バッハを種にしてオラフソンというピアニストをフィーチャーしたアルバムと言ったほうがよいでしょう。ハープシコードでいえば、例えばジャン・ロンドーの「Imagine」あるいは「Bach Dynasty」のようなコンセプチュアル・アルバム。(オラフソンの前世紀のビジネスエリート然としたビジュアルも、ロンドーとの対比という点で強烈なインパクトがあります。)

バッハに限らず、彼の音盤はこのところ大きな注目を集めているようで、アマゾンでもカスタマーレビューが何百と付いています。そこでも話題になっているのがオラフソン自身によるライナーノート。バッハについても卓抜な考察が散りばめられています。

そこで今日は彼の文章を亭主訳でご紹介しておきましょう。
        *        *        *        *
バッハ随想
「バッハは自由の国だ 。」かなり昔、私が若いピアノの学生で、彼の音楽に自分なりの道を探し始めていた頃、ある賢人が私にこう語った。 この言葉はそれ以来、ずっと私の心に残っている。この言葉は、私がピアノのそばに置いている小さなバッハ像 -- 知恵の化身のようで、謹厳な顔をし、魔術師のようなカツラを被った石膏製のそれ -- に承認のうなずきを得たいと密かに願っていることに気がついた際に助けとなってくれた。 言うまでもなく、その像は決して動くことはない。 それもそのはず、私の本当の信念はこうだ。バッハの音楽はどんな個人よりも、どんな世代よりも、そしてどんな思想の流派にも優っている。 実際、バッハの音楽はバッハ自身よりも偉大なのである。

バッハの楽譜を開くとすぐに逆説が現れる:音楽は信じられないほど豊かであると同時に驚くほど貧弱だ。 音楽の構造は非常に緻密だが、演奏でそれらをどう形作るべきかについての示唆はほとんど見当たらない。 テンポ、ダイナミクス、プロポーション、アーティキュレーションなど、あらゆる要素が議論の対象となる。私たち演奏家は、時代の様式に関する知識と、私たちの個人的で不可避的な現代の感性、作曲家の意図と思われるものへの忠実さと、作曲家が決して予想できなかった音楽の可能性 -- その幾ばくかは現代の楽器によってもたらされた -- を発見する自由とを天秤にかける。これと言う単一の正解はない。音楽史に残る偉大な創造者の一人を前に、演奏家を志す者が共同の創造者のような存在にならざるを得ない:これは不思議と解放的な状況である。 というわけで、私は他人がバッハの作品をどのように演奏しているかを聞くのを好む。彼らが、バッハの音楽に限らずあらゆる音楽をどのように聴き、どのように考えているのかを実に明快なやり方で開示して見せる気がするからだ。

バッハ、我らが同時代人
バッハの鍵盤音楽は、その本来の開放性によって、現代の様々な世代のピアニストにとってそれぞれの時代の嗜好や価値観を明確に反映する音楽的な鏡のようなものとなっている。 ある鍵盤作品が流行したり消えたりする一方で、他の作品は安定した人気を享受しながらも、その理解や解釈の方法は急激な変化を遂げている。一般的に今日のバッハは30年前のバッハとは全く違った響きを持ち、50年前のバッハとはさらに違っている。その意味で、彼の音楽は古典的というよりも同時代的である。それは300年前と同じように、今日も多かれ少なかれ新しいと感じられる可能性を持っている。

私は人生の様々な段階で、バッハ演奏の様々な流派に惹かれ、これが自分の音楽を演奏する方法だ、と一度や二度ではなく自分に言い聞かせてきた。13歳の時にエドウィン・フィッシャーの1930年代の録音を発見し、何かが私の中でピンと来た。それまで抽象的に見えていたものが官能的で詩的になったのだ。 その後すぐにロザリン・チュレックの1950年代の録音を知り、彼女の極めて純粋な対位法に魅了された私は、安易にもフィッシャーの表現は結局は大げさだったのではないかと考えてしまった(私は間違っていた)。その後、ディヌ・リパティの静謐なバッハを発見し、それが私の新しい理想となったのだが、それはグレン・グールドが私の人生を1、2年間支配する前のことだった。グールドとは違った見方をすることが多かったが、彼のユニークなアプローチは全く新しい方法で音楽を聴くことを教えてくれた気がする。1980年のマルタ・アルゲリッチのバッハのアルバムを聴いて、さらなる次元に目を開かれた。これらのアプローチにはそれぞれメリットがあり、特別な美しさがある。なので、たとえバッハが今生きていたとしても彼の解釈が真正というわけでもないだろう。偉大な芸術は常に芸術家を超越するのである。

万華鏡的世界
私はいつもバッハのことを、石や木やステンドグラスで作られたものに勝るとも劣らない、音による印象的な栄光の大聖堂の背後にいる建築家という、およそ極端な見方をしがちだった。 マタイ受難曲やゴールドベルク変奏曲の背後にいた人物が、わずか1、2分の音楽の中で偉大な物語を語ることにも長けていたことは忘れがちである。 小さな鍵盤作品では、バッハの複雑な性格の様々な側面が表れている。 これらの作品には、彼のユーモアのセンス、修辞的な才能、挑発への嗜好、さらには哲学的な深みと精神的な高揚感が表れている。これらの作品は、茶目っ気のある軽快さから、悲しみ、怒り、憤りまで、さまざまな感情を示す。それらを通して、私たちは作曲家バッハだけでなく、鍵盤のヴィルトゥオーゾであるバッハ、即興の達人であるバッハ、そして緻密な指導者であるバッハにも出会うことができる。

このアルバムに収録されている作品の中には、練習曲と呼べるものもある。バッハは生徒のためにインヴェンションやシンフォニアを、また楽器の限界だけでなく、演奏者のヴィルトゥオシティを試すために平均律クラヴィア曲集の前奏曲やフーガを書いた。最高の練習曲がそうであるように、これらの作曲もまた、自律的で楽しい芸術作品、詩や短編小説のようなものである。 だからこそ、私はこれらの作品を、それらが属する大規模な作品群の一部としてではなく、独立した作品として紹介することを好む。

究極の教師
バッハは弟子たちにとって単なる教師ではなかった。モーツァルトからメンデルスゾーン、ショパンからストラヴィンスキーに至るまで、音楽の歴史の中で、自分のためにバッハの作品を発見し、研究することは、非公式の通過儀礼だった。音楽を学ぶ現代の学生、作曲家、演奏家の多くも同じようにバッハと向き合い、バッハの音楽の中に自分の道を見つける時が来るだろう。 バッハの作品は若い頃から私のピアニストとしての成長の一部だったが、私にとってのそれは、ニューヨークでの勉強を終えてイギリスに移り住んだばかりの折で、知り合いもなく演奏会の予定もほとんどない状態の時だった。 20年以上毎週ピアノのレッスンに通い、演奏の重圧に耐えてきた私は、突然教師のいない自由な自分を発見した。 その時、私はバッハの作品に没頭し、少なくとも私の心の中ではバッハの生徒のようになっていた。バッハは私が必要としていた教師であり、自らが教師になることを教えてくれる教師であることに気づいたのだった。

これは偶然ではない。というのも彼の人生のほとんどの間、バッハはまた彼自身の教師でもあり、それは兄の死によって彼の正式な訓練を15歳で切り上げることになったからだった。 バッハは今でも独学者として不滅の標準であり続けている。 彼は子供の頃ですら熱心であった。バッハの初期の伝記作家であるフォルケルは、生前に兄が貸すのを拒んでいた高度な音楽の本を月明かりで書き写すために、彼が夜な夜な兄の書斎に忍び込んでいたと語っている。よく知られているように、彼は数年後、ディートリッヒ・ブクステフーデの演奏を聴くために、アルンシュタットからリューベックまで、400キロもの距離をほとんど徒歩で旅をし、何ヶ月も雇い主に連絡することなく滞在した。ブクステフーデの音楽の原稿を何冊も持って帰ってきたのである。歴史上の他の偉大な作曲家たちと同様に、バッハも書き写すことで学び、生涯にわたって写譜を続けた。

借用の芸術
このアルバムに何を収録するかを決める際に、私はオリジナルとは何か、そして何が借り物であるのかということを考え、原作に加えてバッハの作品の編曲もかなりの数を収録することにした。 ここでも、それぞれの世代が何かを語っている。

ブゾーニやストラダールの編曲版では、ピアノでのオルガンのような豊かな響きが強調されているが、ラフマニノフには黄金時代のピアニズムを持ち込んでジャズ的な要素を取り入れた編曲版がある。シロティ(ラフマニノフの師匠)は響きと質感を追求し、ケンプは演奏者の技術的限界を試した。 私はピアノで私の好きなカンタータの一つとともにアルバムに参加できるかを確認するために、カンタータ54番「いざ、罪に抗すべし」から自身で新しい編曲を作った。このアルバムにはバッハ自身の編曲の例も収録されており、マルチェロのオーボエ協奏曲(BWV 974)の素晴らしい鍵盤アレンジも収録されている。この協奏曲は、マルチェロの仲間のヴェネツィア人ヴィヴァルディによるものと思われていたが、第二次ワイマール時代のバッハに新たな世界を開いた作品群に属する。 ヴィヴァルディとマルチェロの音楽に初めて出会ったバッハは、いくつかの協奏曲を鍵盤のために書き写した。これは、イタリアの様式の旋律的な優雅さと正確さに親しむための彼の方法であり、後に彼自身のイタリア協奏曲や他の多くの作品で使用されることになる要素を吸収した。バッハにとって、他の多くの人と同様に、写譜は新しさへの道を開いたのである。

バッハは自分自身の作品からも頻繁に借用しており、時に対照的な異なる作品で同じ、あるいは非常に類似したモチーフを使用している。多くの点で、私はこのアルバムを耳で聴いてまとめてきたが、そのため時々思いがけないテーマの親しみやすさやつながりを強調することになった。家族のような類似性の例としては、このアルバムの最初の小節、遊び心のあるのんきなト長調のプレリュードがあるが、これはアルバムの最後の作品、悲劇的で実存的なイ短調のファンタジアとフーガの冒頭の小節と同じモチーフを持っている。 目の肥えた聴取者は、他にも多くの繋がり、残響、類似点があることに気づくだろう。

                  ヴィキングル・オラフソン、2018年








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最終更新日  2021年02月14日 22時01分34秒
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