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未音亭日記

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未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) tekutekuさんへ これまた情報ありがとうご…
tekuteku@ Re:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) ジョゼフ・ペインのライナーノーツに関し…
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未音亭@ Re[1]:セバスティアン・デ・アルベロ「30のソナタ」(01/15) Todorokiさんへ コメントありがとうござい…

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2021.07.11
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カテゴリ:音楽
大変残念なことに、橋本英二先生が今年1月14日に亡くなられていたことを知りました。数年前から健康が優れないとのお話を伺っており、ある程度心の準備はしていたものの、現実となるとやはり大きなショックです。(訃報に接するまでに半年近い時間が経過してしまったことにも寂寥感が増します。)

亭主が橋本先生の知遇を得ることになったのは2008年頃、電子メールのやり取りからでした。(その後2011年の東日本大震災でパソコンのHDDが破損し、メールの正確な日付や内容は失われてしまいましが...)当時、カークパトリックの著作「ドメニコ・スカルラッティ」について思うところがあり、スカルラッティの研究者として名前だけは知っていた橋本先生に連絡を取ろうと思い立ったところから話が始まります。そこでメールの宛先を調べるためにネットで検索したところ、シンシナチ大学のホームページでそれらしいアドレスを発見。とはいえ橋本先生は既に退職されている(名誉教授)ということで、このアドレスが有効かどうか、今ひとつ判然としませんでした。そこでさらに調べていたところ、橋本先生個人のホームページ(http://www.eijihashimoto.com/)に行き当たり、そのサイトに連絡先として記載されていたメールアドレスに恐る恐る送信。英語ネイティブのパソコン環境で日本語メールが読める保証はないので、英文でメールを書いたことを覚えています。

さて、メールは送れたものの、何の伝手もない未知の相手からのメールなので、スパムメールと取られて捨て置かれることはあっても、読んでもらえる可能性は高くないと想像されました。実際、初めひと月ほどは多少の期待を持って待っていましたが音沙汰なしで、ふた月、み月と経つうちに「やはりスパムメールになったんだろうな...」と諦めていました。ところが、半年ほど(?)経ったある日、橋本先生からの返信が(しかも日本語で)届いているのを見つけてびっくり。先生曰く、ウェブメールはあまり頻繁にチェックしていなかったので最近になって気づいたとのこと。(しばらくイタリアに滞在していた時期とも重なったという風なことが書かれていた気もします。)また、末尾に「メールは日本語でどうぞ」とあり、それから日本語でのやり取りが始まったことを今では懐かしく思い出します。

長く米国におられたせいか、橋本先生は(功なり名遂げた大家であるにもかかわらず)メールの文面を見る限り権威主義的な感じが全くなく、一介の素人である亭主に対しても気さくに相談に乗って下さいました。(これは「反知性主義」という米国の精神的風土に由来する「反権威主義」というポジティブな面の表れかも知れません。)また、話題は私的な事柄にも及び、亭主がつくば在住であることを知ると、自分が中学・高校と同級だった石田友雄君がそちらで「バッハの森」という私塾をやっており、そのホールが1985年に完成した際にはシンシナチの楽団を連れて来日し、柿落としの演奏会をやったことなどを披露されました。(1985年といえば、つくばでは科学万博で盛り上がっていた頃ですが、古楽愛好者にとっては言うまでもなくバッハ、ヘンデル、スカルラッティ生誕300年というスーパーアニバーサリー年です。)

それにしても心残りなのは、一度シンシナチをお訪ねして直接その謦咳に接する機会を持ちたいとの長年の望みをついに果たすことができなかったことです。多忙にかまけて先延ばしにしてきた報いをこのような形で受けることになるとは誠に斬鬼に耐えないところですが、これも分相応ということなのかも知れません。人生の短さに改めて思いを馳せつつ、橋本先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます(合掌)。


以下、今年1月20日にシンシナチ大学音楽院(College Conservatory of Music, CCM)のホームページに掲載された橋本先生の追悼記事を亭主訳で引用させて頂きます。




    *     *     *     *

追悼: CCM名誉教授 橋本英二
1968年から2001年までCCMの教員として活躍した橋本氏、2021年1月に逝去


シンシナティ大学は、1968年から2001年までチェンバロの教授であり、在職チェンバロ奏者であった橋本英二CCM名誉教授の訃報を慎んで報じる。同氏は2021年1月14日に89歳で逝去された。後には、妻のルース・ハシモトと、3人の子供達、クリスティン(カーク)・メリット、ケン(アリソン・デュビンスキー)・ハシモト、エリカ・ハシモト、そして5人の孫娘達(キャサリン、エリザベス・メリット、スカーレット、サビーナ・ハシモト、ナオミ・ハシモト)が残された。後日、追悼式を行う予定である。

国際的なコンサートアーティストであり、バロック音楽の研究者でもある橋本氏は、アメリカをはじめとする世界各地で公演を行い、高い評価を受けた。ソリストとしては、50回以上の海外公演で聴衆を魅了し、数多くのCDをリリースしている。また、18世紀の鍵盤音楽の校訂出版譜も高く評価されている。

1931年、東京に生まれた橋本氏は、幼少の頃から音楽に親しみ、1955年に東京芸術大学オルガン科を卒業した。フルブライト奨学金を得て渡米し、シカゴ大学大学院で音楽学と作曲を学び(1959年に修士号取得)、イェール大学音楽学部ではラルフ・カークパトリック氏のもとでチェンバロを学んだ(1962年に修士号取得)。

帰国後、桐朋学園大学で教鞭をとっていたが、1967年にフランス政府の招きで半年間フランスで研究生活を送ることになった。

橋本氏は、CCMに33年間在籍した間、積極的な演奏活動とレコーディングを続けた。その間、多くのCCMアンサンブルと共演し、夏にはCCMのイタリア・ルッカ・オペラ・シアター・プログラムで指揮をしたほか、シンシナティ交響楽団や五月祭でも演奏した。

また、橋本氏はCCMの「18世紀音楽アンサンブル」を結成し、1988年には日本、1993年にはメキシコ、そしてアメリカの多くの都市でツァーを行っている。1993年11月、橋本氏がCCMの「18世紀音楽アンサンブル」と共演した際には、メキシコ・モンテレイの新聞「エル・ポルベニール」が「彼らは来て、演奏して、征服した」と報じた。2001年、橋本氏の当時の同僚(現在は名誉教授)であるクレア・キャラハンは、シンシナティ大学新聞に「英二は私たちのバロックの試金石であり、18世紀オーケストラでの彼の献身的な活動は、学生にも教員にも当時の音楽で人々が楽しんでいたことを感じさせた」と語った。

1978年と1981年には、東京でのリサイタルで日本政府から優秀賞を受賞した。1984年にはカリフォルニア大学のリーベシュル賞を受賞している。また、オハイオ・アーツ・カウンシルのソロ・アーティスト・グラントを受賞したほか、1988年から89年にかけてのアーツ・ミッドウエスト・パフォーミング・アーツ・ツーリング・プログラムに選ばれ、1990年にはケンタッキー州から特別な功績に対して贈られる最高の栄誉である「ケンタッキー・コロネルズ名誉勲章」をケンタッキー州知事から授与された。また、ロックフェラー財団から研究助成金を2度授与され、イタリアのベラージオで学術的なレジデンスを行った。





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Last updated  2021.07.16 23:16:53
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