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カテゴリ:音楽
昨年(2021年)暮れにリリースされたアンドレアス・シュタイアーの新録音は、なんと平均律クラヴィーア曲集の第2巻。彼はすでに数多くのCDを出しており、バッハの主要な鍵盤作品も網羅されているものと勝手に思い込んでいた亭主ですが、実際には平均律の録音はこれが初めてのようで(しかも第1巻はまだ)、やや意外でした。亭主はこのところ週末になると第2巻の譜面をよく開くこともあり、大変興味深く拝聴。
シュタイアーは1955年生まれということで、録音時(2020年)にはちょうど60歳代半ばになるところ。ハープシコード奏者として40年以上の長いキャリアを経て、ようやくこの境地に辿り着いたということでしょうか。(65歳といえば、バッハ自身が他界したのもちょうどこの年齢でした。) とはいえ、実際に音盤を一聴しての第1印象は「お〜やっぱり超速弾きじゃん!」 シュタイアー先生、老境などという言葉とは全く無縁、16フィート弦を装備したハープシコード(ハス・モデル)を駆使し、変幻自在なレジストレーションで24曲の前奏曲とフーガを弾きまくっている感じです。(たとえば第1曲、ハ長調の前奏曲の出だしの音でいきなりその16フィート弦の低音がドーンと腹に来ます。)もちろん、明らかに緩徐な曲想の曲はそれなりにテンポを制御しており、トレードマークの速弾きについてもバロック時代によく用いられたとされる「緩急の対比」をより明確にする、という意図があるとも想像されます。 ハス・モデルという楽器の選択自体も歴史的な意味があるようで、バッハが生きていた当時のドイツのハープシコードの特徴はこのような重装備化にあると思われます。実際、同じくハスが1740年に製作した有名な楽器では、16フィートに加えて2フィートも追加された5セットの弦を持ち、鍵盤もカプラ付き3段となって、まるでオルガンのような仕様になっています。(この頃からメカ好きな国民性が現れている?) ところで第1巻より第2巻を先行録音したと言えば、2010年代に平均律をリリースしたクリストフ・ルセも、まず第2巻を2013年に、その2年後に第1巻をリリースという順番でした。ルセのコメント(?)では、ケーテン時代(1722年ごろ)に編まれた第1巻は教育用という側面が強く、ハープシコード奏者にとっては第2巻こそが本命のような曲集なのかもしれません。 CDのライナーノート筆者によると、1740年前後というのはバッハの生涯においていわば分水嶺のような時期で、どうやら創作活動の総括と更なる進化を目指したのか(?)、この頃から若い頃の作品を見直しはじめ、これら旧作を当時の彼の音楽的基準に照らして改作するということを始めていた、とあります。(亭主が以前このブログで披露した見立てでは、雇い主であるライプチッヒ市とのカントルとしての待遇をめぐっての悶着に解決の見通しが立たず、バッハが徐々にクサって行ったと思われる時期でもありますが、それによって彼が越し方を振り返る時間を得た結果とも解釈できます。)この第2巻も、第1巻を眺めているうちにいろいろと不満な点が見えてきた結果、新たにもう1セット編むことを思い立ったという見立てになっています。 第2巻の中には、彼がそれこそケーテン時代に作曲したと思われる作品の改作も混じっており、全ての曲を新しく作曲したわけではない(寄せ集め的な部分もある)ことをもって「成立の経緯が曖昧である」とする見方もあるようです(例えばヘンレ版楽譜の校訂者である富田庸氏)。が、ライナーノート氏に言わせると、これもバッハによる旧作の総括の一部とみなせる、というわけです。(同氏は、フォルケルが伝記中で第2巻をバッハの音楽の粋である、評価していることを紹介して自説を補強しています。) さらに、ライナーノート氏はこの第2巻が全曲を通して一度に演奏されることを、バッハ自身がはたして意図していたか、という問題について議論しています。答えを先に言うと「イエス」で、その根拠として、ちょうど半分の折り返し点である第13曲の前奏曲(嬰ヘ長調)が、付点リズムを伴ったフランス風序曲のように聞こえることを挙げています。(実は、フランス風序曲の使用が曲集の「後半開始」のサインであることについては、以前にご紹介した鈴木優人氏の解説でも触れられていました。) 1つの曲集について前半と後半がある、ということは、全体を1つのまとまった作品と考えていることを意味する、だから通して演奏することが意図されている、というロジックです。 実際、シュタイアーの演奏では左手に16フィートストップを効かせて荘厳な響きを出しており、後のゴールドベルク変奏曲での折り返し点、第16変奏(同じく付点リズムを伴ったフランス風序曲のように始まる)と似たような感じに仕上がっています。(ちなみに、ルセをはじめ他の演奏ではとても軽快な響きになっており、折り返し点の開始、といった特別感はありません。) このような演奏を聴くとそれなりに説得力もあり、もしかすると全曲を(前半後半に分けて)通しで演奏する、ということもバッハの念頭にあったかも、と思わせられます。 もっとも、実際の演奏会でこれを2時間以上も休憩なしにやられると、かなりの聴衆は途中で集中力が切れてしまうと思われます。音楽鑑賞が難行苦行のようになっては、全くもって本末転倒というもの。(権威主義が強いクラシック音楽界では、依然としてそういう演奏家側の御無体な要求がまかり通るところもあるようですが…) まぁ、いずれにせよバッハは「自由の国」。それぞれがこうと思う世界を披露してもらい、聴く側もそれを大いに楽しむということでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 19, 2022 10:07:53 PM
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