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2024年05月19日
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カテゴリ:音楽
過日、買い物ついでに本屋をぶらぶらしていたところ、連れ合いが「鍵盤の天皇—井口基成とその血族」(中丸美繪著、中央公論社、2022年)という分厚い本を見つけ、「面白そう」とお買い上げ。毎週末ページをめくっていましたが、この週末についに読了とのことで、亭主も気になっていることが書かれていそうな見出しの部分をパラパラ読んでみることに。



気になっていることとは、他でもない表題の楽譜についてです。亭主のような昭和のピアノ学習世代にとって、井口版の楽譜は全音版、音楽之友社版のそれと並んで最も手近な「実用楽譜」である一方で、他の2社と違い校訂者名が前面に出ていることや、「箱入」という装丁である点が高級感を醸し出していました。

ところが、15年ぐらい前に自己流でハープシコードを弾き始め、バロック以前の音楽について色々調べていると、海外で出版されたクリティカル・エディション(いわゆる「原典版」)に掲げられている「校訂」に関する情報が、井口版ではほぼないに等しいという状況が大いに気になっているところでした。

例えば全6冊にまたがるJ.S. バッハ集についても事情は同じで、譜面の前後に校訂に関する記載は一切なし。あるといえば、譜面の中で所々で先行する出版譜との異同についての記載があるだけです。

そこで、前述の中丸さんの著作をめくると、第五章「戦犯から在野へ」の中の最後、第9節「毎日出版文化賞・春秋社『世界音楽全集・ピアノ篇』」で、出版の経緯についての出版社側の関係者の証言が出ていました。

それによると、戦後間もない1946年に春秋社の編集者が井口の自宅を訪ね、音楽愛好家の需要に応えるべく、「とにかく早く必要な楽譜を出版したい」という意向を伝えたのが始まりだったとのこと。取材に応じたのは春秋社の高梨公明氏(1979年入社)で、彼によると、同社では戦前も似たような楽譜集(門馬直衛編集、全90巻、別冊5巻)を出していたものの、著作権という概念のない時代の代物だったので、これとは全く別の形での出版を考えていたそうで、そこで出てきたのが「校訂版」というアイデアだったとか。高梨氏の発言を孫引きすると「こうして前任者が井口先生を訪ね、先生の手によって膨大な作業が始められることになりました。〈井口版〉といわれるようになるこの楽譜は、教育的配慮のある、日本人による新しい原典版といってもいいものです。オリジナリティーの高いところで作り上げられており、それは井口先生の卓見ですね」とあります。

(うーん…それでなくても、〈井口版〉バッハではいわゆる原典(手稿譜など)にはない強弱やスラー、クレッシェンドといった演奏記号がてんこ盛りなのに、なんでこれが「原典版」なの、とつっこみたくなるところ。)いずれにせよ、高梨氏がこの全集に関わったのは、功なり名を遂げた井口最晩年あたりの2年間で、同時代の証言とは言い切れないのがやや残念なところです。

とはいえ、あの膨大な量の音楽を本当に1人で校訂したのか、という疑問がどうしても拭えません。それについては以下のような記述があります。
「さて、校訂の作業では、既存の楽譜を書き写すことが必要な時代である。それには家族の手を借りたこともあった。
 長女の渡辺康子は、『大学一年から三年ぐらいまで、写譜を手伝っていました』と回想する。康子が慶應義塾大学在学中のことである。
『私は音楽はできないけれど、音符をまずは同じように書くだけでいいというので、父の脇で作業を手伝ったものです。その頃は幸せな時代でした』」
 基成は、家では校訂作業に打ち込み、自宅を訪ねてくる弟子のレッスンに向き合い、さらに斎藤秀雄や巌本真里らとの室内楽演奏会に出かけて行った。」(「鍵盤の天皇」、pp.258)
ここで問題なのは、渡辺康子さんが書き写したという楽譜がどういう由来のものだったかです。

そこで、試しに〈井口版〉バッハの平均律クラヴィーア曲集の楽譜を眺めると、異同について脚注で言及されているのは主にツェルニー版、ブゾーニ版、ペータース版といった19世紀以降の出版譜ばかりで、中でも多いのがツェルニー版です。(第2巻、22番の脚注では「バッハの原稿」という記述もありましたが、それには従わない旨の記述になっていました。)

これから推測されるのは、井口が行った「校訂」とは当時参照可能だった他人の校訂になる出版譜をかき集め、その公約数的な楽譜を作り上げる作業だった、ということです。(しかも、言及の頻度から見て、演奏記号などは主にツェルニー版をコピーした可能性が大。まぁ、これは実際にツェルニー版と比較してみればわかることですが。)こうして出来上がった楽譜を「原典版」と主張するのは、今日的な基準ではなかなか難しいと思われます。

春秋社版の楽譜については、中丸本の最終11章「次世代に託す」でも言及があり、「東京オリンピック以降、簡単に留学が可能になると、悪し様にいう声も聞こえてきた。海外でマスタークラスに参加すると原典版を使用するため、『原典版でなくてはいけない』といわれて愕然として帰国し、井口版を批判しはじめるのである」とあります。これに対し、著者は井口を擁護するために関係者の一人、末永博子氏の発言を引用しています。曰く「…春秋社版は先生のライフワーク。輸入による外国版しかなかった戦後、初めて日本人の手による楽譜を出された功績は評価されるべき。もちろん芸術作品はそれぞれの時代、それぞれの人間によって解釈も違う。解釈は時代によって違うものの使いやすさは定着しました」。さらには、タチアナ・ニコライエワがこの春秋社版を高く評価したという話(出所は未記載)を付け加えて擁護しています。ニコライエワといえば、1950年の第1回国際バッハコンクールで優勝し、ショスタコービッチにあの「24の前奏曲とフーガ」を書かせた演奏家ですから、バッハの譜面を見ての感想かも。

さて、戦後の何もない時代に〈井口版〉の楽譜が果たした役割が大きなものだっただろうことは、亭主も大いに同感するところです。(実際、亭主もピアノをやっていた時代には〈井口版〉に一方ならずお世話になりました。)

問題は、〈井口版〉が本人や出版社の意図した「当座の用」という役割、またその賞味期限を遥かに超えて命脈を保ってしまったことにあるのではないか。そしてその原因は、日本のクラシック音楽界において戦後も長らく舶来上等意識と権威主義が風靡したことによるのではないか。その点を問題にすることなく〈井口版〉の功績を讃えるのは、やはりある種の思考停止ではないだろうか、というのが亭主の偽らざる感想です。

ちなみに、春秋社はようやく、というかついに〈井口版〉から卒業するようで、一昨年あたりから[新版]と銘打った世界音楽全集を刊行しはじめたようです。









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最終更新日  2024年05月26日 21時54分25秒
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