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2015.08.07
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カテゴリ:散策

京都新聞の記事で44年間一度も使われなかった清水焼の窯が五条坂の陶器市の日程に合わせて公開されるというので行って来ました。

何故使われなかったのか??                                                     それは昭和46年の公害防止条例施行により京都市内で登り窯を焚くことができなくなったのでした。

登り窯では松の薪を焚きますので黒い黒い煙が出るのです。子供の頃そんな煙が立ち上る光景を見たものです。

窯は共同のものが多く、窯を焚くことを専門にする職人さんがアチコチの窯を焚いて回っていたものです。

写真: CIMG8685

清水焼の本場・五条坂周辺には20基以上の登り窯があったのですが、焚くことが出来なくなって、窯は山科など当時の郊外に移ったり電気窯に転換されたりして、登り窯は順次潰されて今は殆どその姿を見なくなったのです。                                                 

その中で残っていて44年間一度も焚かれることがなかった窯が今回発掘・調査されていて                                                       今はその発掘・調査の途中ですが、陶器市に合わせ一般公開されることになったのです。 

 

これが現地でもらったパンフレットの表と・・・写真: CIMG8677

その文字部分の拡大で・・・                     写真: CIMG8676

裏には・・・こう書かれていました。                      写真: CIMG8678

この窯の44年間を知るもののひとりとして見に行ったのですが、今までホコリまみれの物置になっていた階段式の窯の建物の中がびっくりする程きれいになっていたのす。 

それは・・・調査発掘に携わって、こんな資料を作られている・・・                  写真: CIMG8680

これらの大学の先生や生徒さんが人海戦術で掃除をされたらしいのです。写真: CIMG8681

この窯はトタン屋根で覆われているのでこの暑さの中、大変なことだったと思いますがさすが若い人の力、大したものです。

写真: CIMG8683

ここまで貰った資料の写真や説明と私の記憶だけで書いて来たのですが・・・・それには訳がありまして・・・・

実はこんな大事な日にカメラを持って行くのを忘れたのでした。

どうすることも出来ず貰った資料を自宅に帰って撮って添付している次第です。

今までのホコリまみれの物置から綺麗になった姿を撮るためもう一度行って見ようと思っています。

 

 






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最終更新日  2015.08.07 22:19:15
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