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昨日の続きです。
時々聴講する妙法院の仏教文化講座ですが、今回は50年に及ぶ長い期間をかけて行われた、1000余体の仏像の修理が完成し、国宝に指定されたことを記念しての講座なので、これは絶対に聴かなければと手帳の予定表に書いておいたので忘れずに出席出来ました。 講師のこの先生はずっと携わってこられた方でした。 レジメはこうなっていたのですが・・・ 私事ながら、今読んでいる吉川英治の新平家物語は、色々の本を挟んで読むので2年に渡って読んでいるのですが、いよいよ全12巻の12巻目を読み終えようとしているのです。 その新平家物語の主役平清盛、後白河上皇、そして当ブログにいつも書きます地元の法住寺などが出て来るのでついつい吸い込まれてしまいました。 今回修理が完成して1001体の仏像が重要文化財から国宝の指定替えなったのですが、元々国宝でなかったことを今回初めて知ったのですが、同じく三十三間堂の風神雷神像、二十八部衆立像などは前から国宝だったのでした。 50年の長きに及ぶ期間を要したのは、手間がかかるからなのは当然ですが、修理費用を負担するる国の予算枠により制約があったようで年度20~50体づつ修理がなされたようでした。 ずっと続いて来た修理ですが、文化庁から年に150回以上立ち合いがあり、都度東京から出張されて来たのが、今回の文化庁の京都移転で、出張で無くなり、デイリーワークになるので監査の目は厳しくなるなんて冗談を話されていました。 下は修理のbefore&aftewです。 一見どこを修理したの??? と言う所ですが・・・ 修理したところが分からない様に修理するのが「修理」らしいです。 そして下の写真 左が修理開始した時の仏像(写真はモノクロです) 右が最後の修理仏像とのことでした。 今回の50年に及ぶ修理でびっくりしましたが、上の資料にも書いてある通り、歴史上長きにわたり、修理は絶えることなくなされて来たようです。 昔々には薪にされたため腕の無い仏像が多くあったので腕の補充も修理だつた時代があつたとか。 修理の主な仕事は本体の木の部分が経年で縮むのに、塗ってある漆は縮まないので剥離が起こっているのを細かくアクリル樹脂で接着することらしいです。 面白い話として聞いたのは・・・修理は埃の除去から始まるのですが、1001体の仏像の左の方(南側)に並んでい仏像の、層のようになっている埃の下の方にはスス(煤)が多かったとか。 何故かと言うと、三十三間堂の南、直ぐに走っているJR東海道線がSLだった時の名残だったとか。 色々の説明を聴き、これらの仏像を新たに見たくなったのですが・・・・毎年の様に見ているので急ぐこともなく、無料になる1月の楊枝のお加持か3月の春桃会まで待つことにします(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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