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カテゴリ:散策
京都では豊臣秀吉がらみの遺跡が沢山あります。
万里の長城の小型版で京の町を囲っていた御土居、街づくりの為散在していたお寺を当時の町はずれに纏めるように移転させた寺町、伏見城に大仏殿、今の智積院も元は秀吉が3早逝した愛児鶴松の為に建て祥雲寺であったし、伏見城に今は跡地しか残っていませんが大仏等など枚挙にいとまがないですが・・・・ 昨日御池高倉にある京都市役所の分室に行くことになったのですが、アポイント時間より早く着いたので木陰で休憩がてら、ふと見ると・・・ これは昨年の台風21号の爪痕のよう・・・。 地下鉄工事の時御池通りのこのケヤキ並木が伐採の話も合ったのが、惜しむ声で工事期間他所に移植して置いて、工事完了後元に戻したと聞いた貴重な木なのに台風にではどうすることも出来ないなあ・・・まあ枝が折れただけで良かった・・・・なんて思いながら・・・ 横にある通り名の案内板を見ると・・・通り名の由来が詳しく書いてあるのです。 日頃何回この御池通りを通ってもこんな標識は通り名は見る事が有っても下に書いてあることなんて見た事無かったのです。 「なるほど秀吉の功績にに関連しているのか・・・と思ったのですが・・・ このあと役所での用件を済ませて東へ向かって歩いて、日頃関心のなかったこの案内板を順番に見て行くと・・・・全部が全部に秀吉の名前が出て来るのです。 秀吉贔屓の身ではありますが、寺町以外こんなことは全く知りませんでした。 因みに東西の通り名を憶える ♫まるたけえびすに おしおいけ あねさんろっかくたこにしき・・・♬は有名ですが、南北の通りというと・・・ 私は「てらごこふやとみやなぎさかいたかくら」と憶えているのですが・・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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