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カテゴリ:散策
三十三間堂の前を通りますと・・・向かいのいつも色々催しのある御白河法皇ゆかりの法住寺にまたまた派手な看板が立っていました。
討ち入りの日は確かに元禄15年12 月14日(1703年1月30日)の事ですが、このお寺と赤穂義士との関係がもうひとつはっきりしません 後白河法皇と覇権を争った平清盛に関連した行事なら分かるのですが・・・ 検索して見ると・・・そう言う事かと分かりはしたのですが・・・何とも評論は差し控えます。 ここに書かれているのですが・・・ 前にも同じ様に調べた気もするのですが、印象に残らなかって、記憶にないのかも知れません。 大石内蔵助が蟄居していた山科で義士祭りが行われるのはきっちり記憶に有ります(笑) さて、いつも書いていますこの法住寺の真向いの三十三間堂の土塀の回りの枳殻(からたち)ですが この季節葉も無く棘ばかり剥きだし状態で鉄条網の比ではありません。 これなら犬矢来も全く不要、大変合理的です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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