千夜の本棚 ネット小説創作&紹介

2013/05/02(木)02:40

ギレイ――290 1秒前

本棚  ギレイ(516)

 儀礼はベッドの上にいた。 柔らかい、高級な宿のふかふかなベッドの上。 どさりと飛び降りるように着地しても大きな音もしなかった。 真上の天井には、人がやっと一人通り抜けられるほどの穴が開いており、その上は先程まで儀礼たちがいた、『花巫女』の取っていたスイートルームと呼ばれる部屋だ。 「……なんで、私が攫われてるのかしら?」 くすりと、儀礼の腕の中で『花巫女』が笑った。 「それとも、この状況は襲われてるのかしら?」  ベッドの上でネネを抱きしめるようにして寝転がる二人。 「……騒いだら眠らせようかと思いまして。」 儀礼は上の部屋を煙で満たし、壊れた壁や、扉から逃げ出したかのように見せかけて、実は、『花巫女』を抱え込んでベッドの下に逃げ込んでいた。 そこから素早く床に穴を空けて、下の階に着地したのだ。 この真下の部屋に宿泊していた客も爆発騒ぎに逃げ出したらしく、騒ぐ者は誰もいなかった。  騒々しい上の階の声が聞こえては来るが、宿泊客は皆逃げ出した後らしく、もう下の方の階に騒ぎはない。 もう間もなく、町の警備兵や管理局の係りの者がこの事件の処理に駆けつけてくるだろう。 あの男達に、この宿の全てを探している時間はない。 「確かに、この薬は返してもらいましたよ。」 ベッドの上から起き上がり、儀礼は昨日ネネに奪われた小瓶を手に持って見せる。 「っ、いつの間に。」 驚いたように、ネネは自分の服のポケットを探る。 「すみませんね、僕も手癖は悪いんです。」 にやりと、いたずらな少年の顔で儀礼は笑う。 「それと、あなたの持っていった情報についてですが。対価を払えば真実を与える。それが『花巫女(あなた)』だ。」 不満そうにベッドの上から儀礼を睨む花巫女を儀礼は真っ直ぐに見つめる。 「僕のもらえる真実は何です? あなたは、何を知っている?」 鋭い、全てを見通すような目で、儀礼はネネの瞳の奥を探る。 一瞬、儀礼から視線を逸らしたネネだが、すぐにその目線を儀礼へと投げ返す。 「私が知っているのは、あなたに影が迫っていること。聞いたわよ、『赤い武器』あの武器屋の店主に売らせたんですって? 何年も手放さずにいたのに。」 くすりとネネは笑う。力ない微笑みで。 「悪しき物をあなたは持っている。」 儀礼の見つめている中、ネネの桃色の瞳が、段々と力を持っていくような錯覚を覚えた。 「あなたは、多くのものに守られていながら、本当に護られるべきものがいない。」 ネネの桃色の瞳がその虹彩を大きく開く。 まるで、儀礼を見ているようで、別の何かを見ているかのような焦点の合わない瞳(め)。 「あなたの影を強めるその呪い、解ける者がいる。」 一度ゆっくりと瞳を閉じると、ネネは真っ直ぐな瞳で儀礼を見た。 「その者の名は神官グラン。今のあなたを救う、唯一の者。」 縋るような切ない瞳が、儀礼を見た。 「けれどそれは一時に過ぎない。逃してはだめ。あなたの頼るべきものは影ではない。光ある仲間たち。恐れることはない。あなたより強い者たちを。傷付く心持つものたちを。」  長い、時間を掛けてゆっくりと語られるネネの、『花巫女』の託宣。 惹き込まれる、美しい桃色の瞳。 優しい声音。甘い、懐かしい香り。甘い、甘い……。 (しまった。) と儀礼は思う。けれど、それはもう遅かった。 儀礼の脳はしびれいている。まともな思考が利かなくなってきていた。 「さぁ、私は全てを話したわ。今度はあなたの番。あなたの知る全てを私に話して。」 優しい、懐かしい声色が、儀礼の心に訴える。 「何を苦しんでいるの? 一人で背負うことはないわ。私たちは家族だもの。助け合ってこそ生きていけるの。あなた一人が苦しまないで。あなたの苦しみは、私の苦しみ。」 美しい金の髪、優しさの溢れる深く青い瞳。天女と褒め称される美貌の持ち主。 そこにいたのは、儀礼によく似た姿の、儀礼の母、エリだった。  儀礼の警戒心は揺らぐ。 ここに母がいるはずがない。けれど、優しい声、優しい言葉。 それが何よりも、本当に母によく似ていて、儀礼の心は大きく震える。 しかし儀礼にしてみれば、母が今、儀礼のそばにやってくるのは時期的に危険だった。 なぜなら、白がいる。  命をギリギリまで削って逃げ延びていた、母にそっくりな少女が、すぐそばにいるのだ。 母と同じ国から来た、エリと同じ精霊を見る瞳を持つ少女。 遠からぬ血を引く、命を狙われる少女が、儀礼には、よく母に重なって見えるのだ。 「あなたはまだ子供よ。どれだけ大きくなったとしても、私たちにとっては、いつまでもこども。あなたが世間でどう言われ様とも、どのように思われようとも、あなたは一生私たちの宝。」  この目の前にいる母が、幻覚か本物か、少し悩んだ儀礼だったが、ぼんやりとする頭に本物の母のように優しく話しかけられ、心が甘えそうになる。 「母さん……逃げて。ここは危ないんだ」 泣きそうな顔で儀礼は語る。幻の母の肩に手をかけて。 「あなたは、何を知っているの?」 母に、不安そうに問われて、儀礼はついに答えそうになった。 『花巫女』の占いに、儀礼には暗い相がはっきりと現れた。 けれど、母がここにいるはずがないと、儀礼は必死で心に言い聞かせる。 「話してしまいなさい。そうしたらもう、苦しまなくていいの。全部、私に話して、儀礼。もういいから、一人で苦しまなくていいから。私に、託して。」 心に響く温かい声と共に、気付けばネネの手が、儀礼の両頬を優しく包んでいた。 「……どうして、君が泣くの?」 ぼやけた儀礼の視界の中に桃色の髪と、瞳が鮮やかに映し出されていた。 その麗しい双眸から大きな涙の粒を流して。 ←前へ■ギレイ目次■次へ→ 小説を読もう!「ギレイの旅」 290話この話と同じ内容です。 NEWVEL:「ギレイ」に投票 ネット小説ランキング「ギレイ」に投票

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