再度、悟りを啓く時期なのだろう。
ヒッピーに憧れボロボロのジャンキーだった頃、寺山修司の作品や思想に出会い、深く己を見極めたつもりだった。悟ったはずでした。人を思いやる気持ちが最優先だと思っていました。今でもそれ自体は間違って無い事柄と思うのですが、本当に最優先かと問われれば疑問なのです。今の私の右脳には大量のα波が必要なのかもしれません。今、インディアンヴァイヴスの「MOTHER」を聞いています、次はFTBの「SATORI」。10年ほど前に買ったシタールを引っ張り出し「音」ではなく「共鳴」を脳へ送ってみる。死ぬまでに悟りを啓く時期は一度では無いと思う。僕は今がきっとその時期。シタールでα波を右脳へ伝達させ、アドレナリンを多く出し、「SATORI」が終わったら再度「MOTHER」。それでも新しい悟りが啓ける可能性が見つからない場合は寺山文学の「身毒丸」のようにもう一度母に僕を妊娠してもらうしか無い。