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>反論するにしても、実名を明らかにすべきだと考えている。その点はどうだろうか?
ぼくは、ミクシィの方で本名・所属を公開しており、小谷野さんに対する明示は果たせていると考えました。しかし、この際自分の意見が匿名性という蓑に包まれることで正当性を疑われるのも本意ではないと考え、ブログのほうにも本名を公開します。 >まさに私は憲法14条違反だと言っている。 憲法14条、13条といったものは、一般的法規として、基準がそもそも不明確です。何が平等で何が幸せでどうやってそれを追求できるかは一元的な基準が定まっているわけではないですよね。プログラム規定と称し単なる国家の努力目標に過ぎないとする学説も有力です。 つまり、「~は憲法14条違反だ」「~は13条違反だ」と言う意見は、あまりにも簡単に主張できてしまうので、その分かえって説得力は薄まると私は考えます。 >「クルマ社会を問い直す会」では、クルマの私的所有を禁じるという案が検討されています。 ぼくは車を持ってないし、これからも持つ予定がなさそうなので、その案に反対いたしません。賛成してもいいと思います。しかしその案が国会を通るまで、それと同等、以下の害を放置するというわけには行かないと思います。 >実際に都市部の大気を汚染しているのは排気ガスである。 しかし、ぼくを含め多くの人の現実的な迷惑は、タバコの煙である。 >君ががんばって会社に入らずにやろうとも、多くの人は会社へ入らずには生きていけないだろう。 小谷野さんの論旨は、「タバコが迷惑だと言うなら、酒はいいのか」というかというものだったとおもいます(「すばらしき愚民社会」を見た限りでは)。それに対しぼくは、とくに強要と言った類は、「良くない」という姿勢を示し、及びぼくは迷惑タバコと共にそれに対して戦うことを宣言したつもりです。一方を責めて一方を良しとするなら片手落ちですので、それをもって自身の立場を明確にしたまでです。確かに多くの人は会社に入り、アルハラに苦しまざるをえないでしょう。しかしその人たちに対し「ならタバコもがまんしろよ」というのは間違っていると思います。 >再び「超」だが、これまた事実誤認である。 確かに超という言葉は基準が不明確なので、「欧米に比べて」と直しました。しかし世界的にみて、日本の貧富格差が小さいと言うのは事実誤認ではないだろうと思います。 >私自身は大学に入るまで喫煙はしなかったから、分からない。 >残念ながら知らない。 ぼくは両方知っている。 >本当に諸外国と比較したのか? これは米国マッチョ文化の影響である。 もちろん米国発祥のマッチョ文化はあるでしょう。しかし欧米や、中・韓といった国々は学歴によるそのごの待遇の差が大きいので、勉強できることも幼い頃からの誇りとなりうるのです。小・中・高の半ばまで勉強できることが一種のコンプレクスともなりうるぐらい、「ガリベン」とされ冷遇されるのは日本独特の現象ではないでしょうか。 1>それはあなたの主観である。かつ、ここでの議論は、私の姿勢とは関係ない。 2>前半は同意するが、後半は、「文化系」の意味がよく分からない。多くの文人は喫煙者であったし、現在もそうだ。 3>君は「分煙でいいのだ」の項目を読んだか? 全面禁煙といった措置がおかしいと言っているのであり、再びクルマの話に戻る。 4私はつけていない。 5私がいつそんなことを言ったか。 ここは並べて論じるべきだと思いました。まず、ミクシィ内より、次の小谷野さんの文章が載っていました。 喫煙者が低学歴・低所得層に多いのは歴然たる事実だ。だからこそ高学歴・高所得層の多い東京中央で、歩きタバコへの課金などという条例ができたのだ。競馬場の場内へ君は行ったことがないのか? 下層の者の味方をするようなふりをしつつ実は下層の者を抑圧しているのが現代日本の愚民たるインテリどもなのだよ。 (by「戦いの記録」) この発言をもってぼくが1のように書いたのは、決して主観的な作業ではないと思います。実はぼくが今回わざわざ文章を書こうと思ったのは、ここに危険な匂いを感じたからです。まさに小谷野さん自身が述べているように「多くの文人は喫煙者であったし、現在もそうだ。 」その通りです。それを分かっているなら、なぜ安易に高慢なインテリVS抑圧される下層の者という構図を取るのですか?こういう煽動的な大衆感情に訴える構図というのは、よほど慎重に提示されるべきでしょう。例えばアメリカでは名門大学の生徒はほとんどタバコを吸わないし、ホワイトカラーでもそうだと聞きます。またその人たちとワーキングクラスでは所得の差は大きく、出身を逆転するのはなかなか難しい。そういう社会で「階級格差による喫煙への圧迫」を論じるのは意味があるでしょう。日本はどうでしょう、六大学クラスでタバコ吸ってる人ごろごろいますし、その大学に通う学生とそうでない人の貧富、社会に出てからの実質賃金の差を考えても、そこに欧米、中韓といった大国ほどの階級を認めることはできません。小谷野さん自身、それほど裕福な家でもなく、東大に行き、大学に入ってからタバコを吸い始められるということは、インテリの巣窟の東大にもそれぐらいの環境的な許容性があるということでしょう。確かに日本でも統計的に低所得層の方がいくらか喫煙者は多いでしょう。しかしそれは本当に「階級」をからめて論じられるべきに値する問題かというと、そこには慎重さが欠けていたように思います。 そもそも勉強が出来る、がしかし想像力が欠けて面白みのない存在、もしくはいやみで悪知恵だけが働く存在VS勉強は出来ないが、正義感が強く仲間との協調性に富む存在というのは、インテリと大衆の格差(大学に行ける階級と行けない階級)がはっきりしていて、前者が見なかった頃のマンガの初期的な構造でしょう(呉智英もそれを書いてます。確か「現代マンガの全体像」だったかな)。その時のイメージが延々と残存し、100パーセント近くが高校進学し、50パーセント以上の人が大学に入る時代になっても、勉強ができ、スポーツが苦手の者(←ちなみに、これがぼくの定義する文化系人間像)が、少なくとも中高生期までは冷遇され、下手すると悪者扱い、モテることはまずないという迫害的な状況が今日まで続いてるのに、小谷野さんがこりもせず安易にその二対立構造を持ち出して、あたかもタバコを吸う庶民の味方然とする必要はないように思うわけです。 ***ちなみに小谷野さんは、中高生まで勉強ができスポーツが出来ない文化系人間は冷遇されると言うのはぼくの個人的な体験であると言っていましたが、それは違います。文化系人間がヒーローになる土壌がなく、「ガリベン」扱いされるのは義務教育期における事実であり、それが実は学力低下の一因(勉強できること、するこよへの動機づけが足りない)なのではないかとぼくは考えているぐらいです。 4 について考えたことはそれです。「おれはタバコがうまいから吸いたい」「迷惑になるというなら分煙すればいい」これで十分ではないですか。もっともその3に関してまずぼくが謝るべきです。確かにその項目を見ず、その全ページにある「戦いの記録」を見てむむむと文章を書き始めてしまったわけです。その項目を見るに、小谷野さんの主張が、「嫌煙者の近くでタバコをすわない」だとするならば、ぼくとの見解の相違はほとんどありません。ただ指摘しておくべきなのは、少なくとも「素晴らしき愚民社会」、及び「俺も女を泣かせてみたい」において、小谷野さんは禁煙ファシズムを糾弾する一方で、具体的にこうすればいいという案は出さなかったと思います。前者では「電車の中の電磁波や茶髪なども私は不愉快」とし、後者では電車通勤しない千代田区長の例を挙げ「長時間通勤電車の中でタバコを吸えない苦痛をわかっていない」といっていたので、何かぼくには「電車の中でタバコを吸われるぐらい我慢しろよ」という趣旨に読めていたのも事実です。それはちょっと困るぞというのが同じ電車通学者としての本音です。喫煙車両を設けるならともかく、通学中隣でえんえんとタバコを吸われるのは間違いなく不愉快であり、それは我慢すべき理由はちょっと見当たりません。小谷野さんの主張する分煙の形とは具体的にどのようなものかを知りたいです。 5については、「素晴らしき愚民社会」の終章「『禁煙ファシズム』を斬る」の中にタバコをやめようとはしたが、神経症どうこうで結局うんぬんといった話があったと思います。もし嫌煙の人の前でそのようないいわけでタバコを吸おうとすればそれは自身の都合で他人に苦痛を与えることになり、「甘え」でしょう。小谷野さんにそのつもりがまったくなければ結構です。 >健康に悪い」という論理はとらないそうだが、それなら「嫌ブス嫌」や「嫌馬鹿権」も成立して「話している時に喫煙しないでくれ」といわれれば、「あんたのような馬鹿と話すのは迷惑だ」ということに、なるではないか。 最後に、これについても反論しておきます。ブスは生まれつき、馬鹿は主観的なものであり一元的な判断基準はありません(よね?)。従ってそれと喫煙(自由意志に任せられる行動であり、客観的な行為である)と一緒に論ずるのは無理があるように思います。もっとも個人的には、小谷野さんのこういった時には感情に任せた文章がかなり好きです(皮肉ではなく)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 6, 2005 10:21:49 PM
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