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2013/08/21
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カテゴリ:Professional baseball

東京カブス

幻の球団首脳陣及び選手名鑑
球団社長 河野安通志
球団代表 小泉葵南
監督 竹内愛一(朝日)
投手 木下博喜(名古屋)、龍ケ崎(元力士)、林直明(一宮中)、片山栄次(大和)
捕手 倉本信護(金鯱)、鈴木秀雄(産業)
内野 佐田岬(元力士)、鬼頭政一(朝日)、木下政文(大和)、柳澤騰市(ライオン)、猪子利男(南海)、銚子灘(元力士)、高橋吉雄(大和)
外野 小松原博喜(大和)、杉江文二(大和)

1945年12月10日に河野が鈴木龍二を訪ね、申請書類を手渡していた。
1946年1月22日に連盟へ加盟を認めなくなった。河野自身が理事会開催の9日前の1月12日脳溢血で急逝している。幻と終わった。

残った選手達は他のプロ球団へ移籍したり、プロへ復帰しない選手もいた。
竹内愛一は1946年中日監督就任するが7月に解任。
林直明は1946年中日。兄は1942年、年間最多投球回数を記録持つ林安夫。
鈴木秀雄は1946年中日、この年限り引退。
鬼頭政一は1950年西鉄へ復帰。兄は1940年首位打者を獲得した鬼頭数男。弟は近畿日本の鬼頭勝治。
木下政文は1946年中日、この年限り引退。
小松原博喜は1947年巨人へ復帰。
杉江文二は1947年中日へ復帰。

高橋吉雄、小松原博喜、片山栄次は1946年3月に苅田久徳が音頭を取って結成されたノンプロのいすゞ(自動車)野球団に入団した。
倉本信護はノンプロの広島鯉城園チームに参加。その後、川崎市の鈴捨工業などノンプロを転々とし、45歳になる1958年頃まで職を変えながら現役選手を続けた。

1946年12月13日、広島で巨人7-6グリーンバーグ 
巨人:中尾碩志、近藤貞雄-多田文久三
グリーンバーグ:柴田一三、林直明-門前眞佐人

 

プロリーグ参加はあきらめず、1946年8月、元プロ野球選手だけではなく大相撲の力士経験者なども参加して、将来のプロ化を目指したセミプロ組織として結成。社会人野球チームとの練習試合をこなし続けていた。当初、竹内愛一監督で結成された東京カブスは後楽園で披露試合が終わったころから、選手たちの竹内氏に対する不満が膨張し、結局竹内氏が退任すると共に球団も空中分解。そこでかつてのタイガースを作り上げた石本秀一氏が竹内氏の後を継いで、ごたごたを一掃し新しく監督として登場、内容充実を計りその傘下に濃人渉、倉本信護、田部輝男、林直明、門前眞佐人、奈良友夫と力士の佐田岬、龍ケ崎、銚子海などを擁し、球団名もかつてのデトロイト・タイガースのホームラン王ハンク・グリーンバーグ(1938年に58ホームランを記録)にちなみ、グリーンバーグと変えて再出発した、ということのようである。1947年に球団名も結城ブレーブスと改めた。第2リーグの国民野球連盟の発足に伴って加盟した。同年末、国民野球連盟を解散と共に球団は解散した。







Last updated  2013/08/21 10:09:32 AM
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