2005/06/23(木)03:24
20050609お葬式(2)
人って、いつか必ず死ぬじゃん。
そんなこと、わかってる。
おばあちゃんは、晩年だったから、覚悟もしていた。
でも、わかってるんだけど、
どうして、いざそうなると、こうも悲しんだり、へっこんだりするのかな。
―――――――
ひとつは、もう、一生、絶対に会えないんだ、って思うこと、
が理由じゃないかな、って思う。
けどね、僕はね、正直、一年に一回しか会ってないし、
晩年はね、おばあちゃん、半分ボケちゃってて、会話になってなかったよ。
―――――――
嘆き・悲しみ・不安、
その感情の原因の、本質を一つだけ挙げるとしたら、
「おばあちゃん、という存在そのもの、が消えてしまうこと」
なんだろうと思う。
―――――――
おばあちゃん、ってなんだろうか。
絶対的に、心配してくれたり、
絶対的に、100%、何があっても、僕の味方になってくれたり、
多分、刑務所に入っても、おばあちゃんだけはくるよ。
僕の言い分がよくわかんなくても、絶対的に100%、味方になってくれる。
絶対的な利益相反のない人。
僕の味方にに立つことが、全部の利益喪失になるとしても、
絶対に味方になってくれる。
そんな人。です。でした。
お母さんがいなくなって、
今日、おばあちゃんがいなくなって、
僕達を包んでくれる人が、また一人いなくなっちゃった。
―――――――
別に、もう立派に一人だちしてるからさ、
別に、不安じゃないじゃん。
仮にクビになっても、絶対、もう一回、社会に出てくるし。
仮に刑務所に入っても、絶対、出てくるし。
誰かに甘えて、何とかしてもらおう、って、
これっぽっちも思ってないんだよね。
誰かに裏切られても、それはあり得るかもしれない、って、
心のどこかで覚悟してるし。
晩年のおばあちゃん、って、
多分、僕のことを庇護できる能力ゼロだったよ。
でも、ああ、もういないんだな。。。
もう、これで、完璧に、完全に、一人だっ!!!!
っていう、その喪失感。
その孤立感。
もう、絶対的な存在は、この世にいない。
(あと一人、お父さんがいるけど、男親ってチョット違う・・・)
これが、多分、キツさの根源じゃないかな、って思う。
以上