Professor Rokku のワインの日々

2005/09/09(金)17:49

シャドウイング体験談

英語の勉強をする(11)

今日は、Rokku のシャドウイング体験談です。その効果のほど、どれぐらいの時間が必要かなど、目安がわかって便利だと思いますから、それをお話ししましょう。 あれは30代の前半かちょうど真ん中ぐらいだったか、はっきり覚えてはいませんが、今から15年から18年ほど前のことです。その頃はまだ衛星放送なるものがなかったか、あったとしてもとても珍しくて、生のアメリカのニュース放送は大変貴重でした。そこに目をつけた紀伊国屋が、アメリカのCBSイブニング・ニューズをダイジェスト版でビデオテープに録音して、毎週送ってくる有料のサービスを始めたのです。 大学がその予算をつけてくれたので、係の人にお願いしてそれをダビングしてもらいました。この有料サービス、テープは返さなければならないという、エラクご大層なもので、じっくりと聴こうと思ったらダビングして残しておくほかないからです。そのダビングされたテープをよく家に持ち帰っては、ニュースを聴いたものですが、やはりナマの英語に触れる機会が今と比べると圧倒的に少ない時代でしたから、あまりの早口に閉口したものです。そういう時、人間はどうなるかというと、無意識のうちに雑音を消したいと思うのでしょうね、気がつくと寝てしまっている、そんな体たらくでした。 Rokku は留学経験がないので、実際の英語がどれぐらい分かりにくいものか、そういう経験に乏しかったのです。そして当時、それを補う何かいい方法はないかと試行錯誤を繰り返していたのでした。 ケイトとイギリス旅行に行ったのもいいきっかけになりました。というか、その旅行自体も、やはり、英語を教えるに当たって実地の英語の分かりにくさを実体験しておかなくては話にならないな、と思ったからなのです。 事実、本と文学作品からだけ英語の世界を見てきた Rokku にとって、上空から初めてロンドン市街地を見たときは、ああ、これがあの本でだけ読んで知っているロンドンの本当の姿なのだと思うと、言葉では言い表しにくい、何か不思議な感慨が胸にこみ上げてきたものです。(ニューヨークのJFK空港に降りる時にも、また別の感慨がありましたが、この二つは実に対照的なものでした。)そういう感慨をこうやって改めて言葉にしてみると、少し気恥ずかしくはありますが、本当に時代は変わりましたね。 昔、吉永小百合・浜田光夫(この人のこと、名前を知っている人すら少なくなりました。吉永小百合の名の残り方を考えると、これまた感慨深いものがあります)主演、中平康監督の、『泥だらけの純情』という名作がありました。外交官令嬢と、いわゆる札つきの悪(わる)の純愛悲劇物語ですが、中味は大変濃く、素晴らしいものです。ご覧になってない方はぜひ見て欲しい作品の一つです(韓国映画にパクられたのだそうですね)が、その中で、失踪した令嬢を探して歩く刑事が、ちょうど東京上空を通る飛行機を見ながら、お嬢さんも、本当ならあの飛行機に乗っているはずだが、とか何とか、そのようなことを言った後で、「何十年たっても、俺たちが乗ることはまずないがな……」というような述懐を述べるのです。この映画の基調低音となって全体に響いているテーマが、貧富・階級・身分の越えがたい差であることは、見ていただければすぐに分かるところですが、それにしても、本当に時代は変わったのです。いまどき、飛行機に乗ったことがない日本人は、何か別な事情で乗らないことを選択している人だけでしょう。 その意味では、Rokku のロンドン上空での感慨とは、結構、夏目漱石の留学経験と地続きの話ではありますね。 それはまあ、ともかくとして、ニュースで話される英語の速さに驚いた Rokku ですが、ただ驚いているわけにもいかないので、せっかくのこの資料を何とかうまく利用する方法はないかな、と漠然と考えていました。そして、ドイツ語の先生にそのことをボロッと喋ったことがあります。何かいい方法はないかいな、と。そうするとその人が、何でも言ったことをそのまま繰り返すとリスニングにはとてもいいそうじゃない、そんなこと聞いたけどね、とおっしゃいました。実は、これがきっかけだったんです。 そうか、言われてる通り繰り返せばいいんだった。そういえば、大学のときLLでそういう訓練をやらされたのでした。そのとき、前もってテープで流される英語の文を覚えておいても全然繰り返せなかったな。この年になって一念発起、あれをもう一度やってみればいいんだ。そう思ったんです。 さっそく、ダビングしてもらったニュースのテープを家へ持ち帰ってはビデオの前に坐り、ヘッドセットをつけて繰り返すことが日課になりました。日課とは言っても、毎日はとてもできないので、一週間に一回、一時間以上、できれば二時間、まとめてやりました。 結果? そりゃ悲惨です。まったく繰り返せない。第一、自分が何かを言うとテープの音が聞こえない。こんなもん、無理だ。最初はそう思いました。とてもできそうになかった。繰り返すことといえば、ウー……アー……ばっかり! その連続ですから、イヤになります。耳では聴き取れたと思っても、口に出すまでに次の音が耳に入ってきて邪魔をするものだから、繰り返すべき単語を、すでにその時点で忘れてしまっている。なるほど英語の口になっていないはずです。 でもね、そんな事態は悔しくて、あまりに情けないから、一時間以上続けるじゃないですか。そうすると、一瞬なんだけど、ほとんどニュース・キャスターとほとんど同じように、言えることがあるんですよ、ホンの数秒。でも、一時間以上やっていると、口の周り(特に頬)がだるくなって、もう限界、続けられない。泣く泣くやめるのですが、でも、できたときの感触がとても心地よく、楽しくて、ただひたすら、その瞬間がまた来ないかと、それだけを励みに練習するんです。

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