からだを変化させる快感
自分の体を変化させることによって、自分のアイデンティティを変える試みが日常的に行なわれている昨今です。コントロールすることは、快感です。自転車に乗れるようになったり、上手に踊れるようになったりというのも、ある種のコントロールです。対人関係において、コントロールが行なわれることもあります。自分をコントロール/変化させる試みはさまざまに行なわれています。ボディピアスやタトゥー、奇抜なメイク。コスプレ。つまりは外見=形式から入って自分を変えようとしています。ダイエットもこれに当たります。私自身は、こういった試みに対する嫌悪感はありませんし、否定もしません。むしろ、積極的に楽しんでしまうこともあります(適度に、ですが)。根源のところで私たちが求めているのは、コントロールがもたらす満足感や達成感なのではないでしょうか。からだは、自然のものです。それは、完全にはコントロールできません。「身体という自然が示す『生老病死』は、もはや日常ではない。それはどんどん排除される」と養老孟司氏は言っています。これまでは、老いていく人々がひとところで介護を受けながら集団生活することもなく、したがって日常的に病や死が存在しました。『生老病死』は自然なことで、制御不可能です。痛みは不快感などは無いに越したことはありませんが、そこだけにひっかかってしまったり、追求しきれない原因究明をしても、建設的ではない気がします。治療ではなく、上手く共存するための手助けをするのが、ボディワークの試みではないか、と思います。