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カテゴリ:カウンセリング・心理学
来月は、3週連続で埼玉カウンセリングセンター主催のカウンセリング講座がある。この講座は埼玉、東京、神奈川、静岡から13名の出席者が集う。年齢も様々で、自分のために勉強がしたい方や仕事に役立てたい方、単位取得が目的の方と、モチベーションもいろいろだ。
この講座で得た単位は、日本カウンセリング学会認定カウンセラーの資格取得試験の対象単位となるため、毎月埼玉まで通っているのである。認定カウンセラーの道は2つ。第1方式は、すでにカウンセラーとして活躍している方が承認を受けて認定カウンセラーとなる方法。第2方式は、学会所属者が筆記による技能試験を受けて合格する方法で、私が目指しているのはこちらだ。第1方式は、学術論文やその口頭発表があるコースで、私はこの口頭発表に恐れをなして第2方式で行こうと決めたのである。現在論文は、ばう犬と共同で執筆中なのだが、一番大変な内容の記述はすっかりばう犬任せで、私はデータ係となってしまっている。ばう犬は慣れているから、という勝手な理由で面倒な部分を押し付けていると言えなくも無い。これでは、第1方式で認定を受けたとしても内容が伴わない認定カウンセラーになってしまう。 カウンセリングの勉強をする、というのは、自分の生き方を変えていく作業にもなり得る。真剣にカウンセリングを学ぼうと考えてからは、自分の反応を見逃さず、不適当な考えや信じ込みに気づき、それを改めていく行為を行おうという意思が生まれてきた。私はずっと、白黒つける生き方が潔くカッコいいと信じ込んで生きてきたのだが、曖昧にして生きる人が大半だろうという話を聞かされて、とても(本当にとても)驚いたのである。多数決で言えば、少数派の私の生き方では「生き難い」のであるが、生き易いか否かよりも、不便である。不便と言えば、人が何かを決めるときに多いのは「好悪」の感情に基づいて、だけれども、便利か不便かを基準にしたほうが、ずっと効率よくすっきりと生きられることに気がついたのも、カウンセリングの効力だといえるかもしれない。好悪に基づくと、自分の行動範囲を狭めてしまうからだ。 現在、私の拠り所となっているのが、論理療法である。アルバートエリスが提唱した楽に生きられるようになる方法なのであるが、ばう犬がこの方法を取り入れて以来、人が変わったように怒らなくなり、彼が敵対視していると思えた人物に対する評価が変わったからだ。その秘密は何であったのか、現在探求中である。 Walk on the wild side改め、中庸で行こう、がモットーの今日この頃。もっと生き易くなるだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.26 22:52:29
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