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テーマ:詩と詞(ことば)(500)
カテゴリ:カウンセリング・心理学
12月10日。私は朝からとても感情的になっていて、クライアントさんの持ってきてくださったシュタイナーのカレンダーを利用したとても美しいお札入れに勝手な意味づけをして大きく感動し、おまけに涙ぐんでしまうという失態を犯して大きく反省、アドラー心理学のオープンカウンセリングに参加するため横浜駅に向かう途中の駅ビルで、いつも買い物をする洋服店で大きく衝動買いをして、脱いだ服が入った(ほぼ丸ごと着替えた)膨らんだ手提げ袋に舌打ちしながら電車を乗り継いで西日暮里に向かう。身体のサイクルの変化は、時として私の行動を適度な範疇から逸脱させる。女性ならばわかっていただけるだろう、このどうしようもない行動の意味を。
アドラーは有意義だった、なぜその人の考え方のクセは手に取るように傍観者には見えて、本人には見えないのだろうか。アドラー心理学では、その人を判断することはしないし、その人がその人となった過程を重視しない。問題が起こったときは、それを科学的に見ようとする。つまりは、まずは観察する→検証する→ライフスタイル(その人の思い込み)を変えるための方法を見出し、適応し、そして結果を見る。いままでやってきたことの一部をよく観察してみて、間違いが起こる場所を指摘する。具体的に説明すると、思い込みに基づいた行動に注目させ、その行動を起こさせる原因となる「考え方」が本当なのか思い込みなのかに気づかせる。思い込みのようだと気づいたところで、「違うやり方」を適応してみる。その結果がどうなるかで、新しい方法が「役に立つ」か「役に立たないか」の判断材料とする。心理学は目に見えないものを扱うと考えられがちだが、とんでもない。行動が変わるならば、それは目に見えないものを扱っているのではなく、実際に観測できるものを扱っていると考えてもいいかと思う。 もうひとつ、観察するというのは、考えるのをやめる、ということである。たかだか自分なぞの考えることなんかは、自分というちっちゃな井戸の中でぐるぐると回っているようなもので、問題解決になどなりはしない。考えて考えて出した結果は、より自分の認知枠が強く働いているのであまりいい結果にはならない。観察をやめるのには瞑想がいいらしい。そして音楽。音楽は理性を介さずに、ダイレクトに感情に届くからだそうだ。 さて、メインのテーマだった「地図」について。(ばう犬のブログをご参照ください) 私たちは成長する間に、3つの学習をする。学習1:自分の範囲を知る(身体感覚の部分)。学習2:必要に合わせた生き方を知る。これは学校教育の範囲で、たとえば数学の公式を覚えるというのがこれ。マニュアルに沿った生き方と言えるかもしれない。学習3:地図を場に合わせて考える。この(3)が重要であり、その時々に柔軟性を持った対処の仕方が必要であり、そのためには路線地図、住宅地図、水道が埋まっている場所の地図などなど、地図を使い分けることが必要なのだそうだ。この(3)こそが生きる知恵なのだろう。マニュアル世代の私たちには適応が難しいのだろうが・・・。 アドラーは、いい。昨日の私と今日の私が違っていたとしても、それを不都合なこととは考えない。他人に迷惑をかけない限り、私は私を表現することが許される。 東京アドラーのオフィスは窓の3方が大きく開け放たれていて、すっかり風邪っぽくなりつつばう犬とMSaitoは中野に向かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.11 23:12:40
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