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テーマ:ひとり言・・?(16659)
カテゴリ:思想
メルロポンティは、時間も愛も、言葉(観念)がなければ起こらないと表現したが、私たちの身体は時間によって確実に変化しています。つまり、その様相こそが時間なのではないでしょうか。時間の観念がない社会で生を営んでいたとしても、ヒトは直感的に今と昔を、からだの「差異」を通して捉えるのではないでしょうか?
昨日と今日の区別がつく、10時と11時の違いが分かるのは、社会通念という観念の賜物ですが、私たちはそれにずいぶんと縛られている気がします。特に女性に置いては、年齢が生(性)に直結することもあり、観点を変えると性=時間と考えることはできないでしょうか。産む性を持っていなければ、私たち女性はもっと自由な時間の捉え方ができただろうと考えるのです。つまりは、実態のない「時間」という一瞬一瞬の連続は、実は身体的変化として実感することができるのではないでしょうか。 愛については、いまだよく分かりません。が、これはやはり観念に左右されると思います。例えば男女間の恋愛。これも友情と愛の境界・情愛を表現する手段の固定観念(常識、良識、倫理と呼ばれているもの)がなければ悩まされなくて済む問題のような気がします。ただし、愛という言葉が存在しない動物間にあっても、一生涯を共にするつがいの話は少なくないし、その純粋さに心を打たれたりします。人間観であっても、こうした概念や理屈を超えたつながりがあるというのは神秘的であり、ある意味救いでもあります。相手を選ぶ基準が身体的な特徴に基づくという説がありましたが、それ以外にも五感や六感など、言葉にするのが困難な理由によってヒトとヒトはつながっていくのかも知れません。 この場を借りてMさん、異性であっても、友情であっても恋愛であっても楽しい時間を過ごすことはできると思うんだよねえ・・・リアルな時間の共有がなければ恋愛にも友情にも発展できないのではないでしょうか。Mさんと話してから頭の中で繰り返し流れているのはjanet jacksonの"Let's Wait Awhile"。今聴いているのはビセンテ・アミーゴの「魂の窓」。7月は最低でも2度はライブに行くつもり。 と、最後は私生活の報告にて締めくくり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.05 01:45:26
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