まだここで働き始めて一年たっていないというのに、
なんと先日、
二度目の日本出張
を果たしてしまった。
東京近郊に実家のあるわたしは里帰りができるからラッキーであるし、
会社にとっては出張者に本来費やすはずのホテル代が浮くわけだから、
お互いにとって都合がいい
らしい。
主な目的は10月3~5日に横浜の巨大なイベント会場
「パシフィコ横浜」で行われた「世界旅行博2003」への
参加であった。
世界中のあらゆる国々が出展し、旅行に来てもらうのを目的に
地理の案内や文化の紹介をする博覧会で、
3日間で9万人以上を
集めた盛況ぶりであった。
我がホテルもイタリアのコーナーの一角に出展する
申し込みをしたので、
日本語のできるわたしがそこに出向くことになった
のである。
日本へは2週間ぶりの帰国であった。
9月初旬にも、2週間の夏休みを得ていたわたしは日本に帰っていたのである。
再びかの地の人となる。航空会社のカードのポイント
もたまって嬉しい。
さて、旅行博のイタリアのコーナーは、東京の南青山にある
イタリア
政府観光局がお膳立てをしてくれており、
イタリアのいくつかの州や都市も
パンフレットを並べてPR活動に励んでいた。
ホテルはというと、ウチを含めて5社が個々にブースを構えており、
興味のありそうな人々へ案内をする、という仕事内容であった。
特に初日の10月3日は、旅行業者、マスコミなど業界関係者のみへの
開放だったので、
各々が旅行会社との新規契約交渉やお得意さんとの挨拶
に時間を割いていた。
ウチはホテル・グループとはいってもローマに2つしかホテルを持たない
家族経営の小さなモノである。他の4社はというと、
●世界各地に100も200もホテルを持つ巨大な某Cグループ
●ローマのボルゲーゼ公園東部にでーんと構える由緒あるホテル
●アメリカ映画『終着駅』
の舞台となったローマのSTAZIONE TERMINI
(テルミニ駅)近くに数件のホテルを持つグループ
●シチリアを中心としイタリア全土に20のホテルを経営するグループ
といずれも我が社とは比べ物にならない大規模な所ばかりが
日本に営業に
来ているのであった。
気おくれすること然りである。
一番初めに挙げた世界チェーンのグループを除けば
日本人が働いているホテル
などどこにもない。
当然イタリア人の営業サンたちが来ているのである。
さすがに日本語ができる人はいなかった(英語が話せるから問題はないが)。
イタリア国内の同業他社ということでライバルではあるが、
横一列隣々にブースを
構える者同士である。
わたしはこの後者3社のイタリア人営業サンたちと交流を図ることを試みた。
彼らのわたしに対する、
「ローマで働いてるの?」、
「どんな仕事をしているの?」、
「ローマは好き?」などのありきたりの質問からそれは簡単に始まり、
結局は
「マミ、マミ」と呼び掛けてもらえるまでになって、
そのイタリア人特有の
人懐っこさ
が日本で実感できて嬉しかった。
一般公開初日はわたしたちにとっては中日であった。
旅行に何らかの形で興味のある一般のお客さんたちがどんどん入ってくる。
決して安くはない入場料を払っているわけだから、
元を取ろうと、
出展者がPRのために用意してきた品々をすごい勢いで持ち去って行く。
パンフレットや会社のロゴ入りボールペンなどが多かったが、
その国特産の食べ物や、
時代に即してか
コンピューターのためのマウスパッドなんてものも配られていた。
我がホテルはというと、普段宿泊客にプレゼントしている
綺麗な絵葉書数種類を
持ってきていたのだが、
こちらもなかなか好評であった。
博覧会を全体的に見ても、イタリアのコーナーはかなりの人気で、
往年のイタメシ・ブーム
からそれは変わってはいないようだ。
同業他社さんたちのイタリアンな性格を如実に表す行動を
目の当たりにしたのは
この日である。
「Arrivederci, a domani!(バイバイ、また明日ね!)」
という複数の声を耳にして
ハッと時計を見ると、旅行博の終了時刻午後6時には
まだ早い、5時である。
「あれー、まだ終わっていないのになー」と思って左右を
見れば、
全員がキレイにいなくなっている
のだった。
ああ、この人たちやっぱり働くのが嫌いなイタリア人なのね、
と思ってしまった。
イタリアに戻ってきてからも連絡を取り合っているのは、
シチリアの
ホテル・グループから来ていたイラーリアという女の子である。
ブースに客が途切れた時などはお互いの住んでいる街の話をしたり、
近くにあった
ハワイのコーナーに出掛けて行ってはアヒルの人形
をもらってきて
子供のように
はしゃいだりと、唯一の同年代参加者だっただけに、親しくなれた。
ある時、「日本が気に入った?」と訊ねたら「Sì(うん、)」と答えつつも、
「però mi manca mio marito.(でもカレに早く会いたいな。)」
と返してきたのが印象的だった。
既婚者の彼女はご主人を一週間ほどシチリアに残してきたのだが、
その彼が恋しいらしい。
日本人女性の口からはあまり出ないセリフでは
ないだろうか。
正直にこんなことが言えるイタリア人女性がわたしは好きである。
わたしにとって初めての博覧会は、そんなこんなで過ぎ去った。
日本にてイタリア人とともに仕事をしてしまった。
最終日にはラツィオ州
(ローマがある州)から、かなり長い文章を必要とするアンケート
(大きな空欄がそれを物語っていた)を要請されるという出来事もあった。
会社なら手伝ってくれる人もあろうが、どうしても一人で書かねばならず
(まわりの人々はやはり既に帰ってしまっていた)、イタリア語をひねり出す
のに、
そしてそれを間違いのないように書くのに四苦八苦
した。
ホテルの隅っこの事務室で予約を端末に打ち込んだり、
郵便局にて小包を手に、いつ来るとも知れない順番を長蛇の列の最後尾で
待っているような普段の仕事
とは全く異なる経験をすることができたと言えよう。
ホテル代請求しないから、来年も日本出張させて下さい、
と
上司に頼み込む日々である。
(2003年10月)
『終着駅(伊題Stazione Termini / 英題Terminal Station)』
1953年のヴィットーリオ・デ・シーカ監督作品。
ローマの中央駅、テルミニ駅を舞台にアメリカの俳優ジェニファー・ジョーンズ
(代表作『慕情』1955年*ヘンリー・キング監督)とモンゴメリー・クリフト
(代表作『地上より永遠に』1953年*フレッド・ジンネマン監督)を
迎えて撮った恋愛物語である。
ローマ滞在中、イタリア人青年と不倫の恋に落ちてしまっていたアメリカ人女性が
彼を振り切って母国へ帰ろうとするところから話は始まる。
帰るのを止めようと
追ってきた青年と彼女が
別れる別れないの話をしているのがテルミニ駅だ。
デ・シーカ監督については第5話でも少々述べたが、
ネオレアリズモ映画の代表監督である。
アメリカ人俳優を使った恋愛物語ということで異色作ではあるが、
淡々とした語り口と、
駅を利用する人々の撮り方に注目して頂きたい。
やはりデ・シーカ節なのである。
参考文献
柳澤一博「映画100年STORYまるかじりイタリア篇」朝日新聞社(1994)