東日本大震災当日。
Romi覚書。翌週の3月3連休に御蔵島へ行く予定だった。この日、午前中は御蔵島へ送る荷物を準備していた。荷物送付後、御蔵前にもプールへフィンキックの練習に行くかもしれない。プールで使うフィン・水着・ラッシュ以外の、ウェット・スノーケル・マスク・水中カメラ・フードベストを段ボールに詰めた。それから寝巻替わりのジャージも入れた。御蔵島の宿の御主人と飲もうと、仕込んであったどぶろくも500mlのペットボトルに詰め2本入れた。もう少し搾れたので、まな板の上の500ml炭酸ペットボトルに1本どぶろくを絞りいれた。最初の2本を送付用段ボールに入れた。御蔵島へ送る荷物を車に積み込んだ。ふと、車に積みっぱなしの水を入れた2Lペットボトル2本が目に止まる。「いつの水だっけ?」と入れ替える。地元の小さな泉郵便局で荷物を下ろした。この郵便局は、この前まで入口が重たいガラスドアだった。それが最近、自動ドアになって、大きな荷物を持って入るのが楽になった。段ボール箱を受付に渡しテーブルで送り状に住所を書いている時、地震が来た。かなり大きい。これが初期微動だとすると、もっと大きな揺れがこれから来るっ!?既に初期微動とは思えないほど揺れているっ!この地震、遠くて大きい!と直感した。小さな郵便局にお客は私ともう一人主婦らしき女性。郵便局員も女性が2人。誰も悲鳴はあげなかった。主婦らしき女性が『自動ドアを空けておいた方が良いですよね?』と近くに居る私に同意を求めた。答えを考えてるRomiを横目に、その女性が自動ドアを開けた瞬間、主要動が来た!すぐに停電!カウンターから色々な物が落ちた。パンフレットの入った入れ物、壁の釘にかかっていた木のBOX、陶器で出来た郵便ポスト型貯金箱、陶器の色々な物がカウンターから遠くへ落ちて割れて弾けた。自動ドアを開けた女性が蛍光灯を見上げて『外へ出た方が良いかしら。』と今度は少し動揺している。オンボロ郵便局の建物の天井と壁の角を見上げると、明らかに直角じゃなくなって揺れている。しかしRomiは、揺れている最中に外へ飛び出すとガラスや瓦が降って来る話や、あわてて車に轢かれた話を思い出していた。郵便局の目の前はすぐ道路だ。外では激しいクラクションの音が鳴り響いていた。考えているだけのRomiだったが、自動ドア前に居た2人とも外へ飛びだせなかった。手をかけた机と一緒に激しく揺さぶられて歩ける状態ではなかったのだ。カウンターの向こうでは倒れそうな大きなキャビネットを女性局員が抑えていた。いや、つかまっていたのか?!あらゆるものが机やカウンターから落ちた後、揺れが収まった。すぐに局員の女性の1人が片づけ始めた。割れた陶器を拾ったり掃いたり。陶器の破片はテーブルの上まで飛んでいた。もう一人の女性局員がRomiの送ろうとしていた荷物のサイズを計り始めた。Romiも宛先の続きを書いた。郵便局に来ていた主婦らしき女性は家が心配らしくすぐに帰って行った。しかし、また余震。やや大きい。外では車のクラクションが鳴っていた。Romiは余震の中、1人で家に居るのが嫌なので帰りたくなかった。停電してると家では携帯が圏外なので、登録してある震源地メールも受信しずらい。それにしても震源はどこだろう?ツイッターで気象庁の地震速報をフォローしてるので携帯でモバツイを見たがまだ何も無い。遠そうな地震だったのに、緊急地震速報も来なかった。地震計が壊れる程の地震だったんじゃぁ(;へ;)?心臓がドキドキして何をして良いのか分らなくなった。それでも淡々と仕事を進める女性郵便局員の方達につられて、余震の中、私も書きかけの宛名表を書き上げた。停電してるので郵便局の端末が使えない。しかし、さすが田舎の郵便局員。あわてることなく冊子が出て来てページをめくり料金が分った。『停電してるから領収証が出ないけど。』と控えをくれた。そして郵便局の応募用の葉書にスタンプも押してくれた。ちょうどティーセットに応募出来たのでその場で葉書を書いて応募して来た。ドキドキして手が止まりがちな私と違って、郵便局の女性2人はテキパキと片付けと業務をこなして行く。しかし私を含めて口は止まらなかった。結構大きな余震の中でも、しゃべり続けた。『栃木県民は災害が少ないからのんきなのよねぇ。』『災害の備えが出来てないとか聞くわね。』『さっきは入口のお客さんの所に車が飛び込んだらどうしようかと思ったわ。』『宇都宮へ会議に行った局長は大丈夫かしら。帰って来れるかしら。』 『あ、電話も通じないのね。』しっかり者の女性局員も業務に支障が出そうな事には少し慌てているみたいだった。『これで震度はどの位なのかしら?』『これで震度4とか言われたらショックねぇ。』「気持ち的には、5とか6ですよね。」と本当の気持より控えめに言って見るRomi。そんな中、ウェザーニュースの地震速報メールが届いた。「震源地は、宮城県ですって!震度は大田原で震度6強ですっ!」「ここでこんなに揺れてるのに、宮城県はどうなっちゃってるんでしょう?」言い残して帰ろうとする私に郵便局の女性2人が『気を付けて。』と声をかけてくれた。私も「地震の時に1人で家に居るんじゃなくて、郵便局にいて良かったです。」 と、家路に着いた。途中、大谷石の塀があちこちで倒れていた。写真を取るのは不謹慎かなぁ。とスピードを落として走ってると、下から突き上げるような揺れ!車を路肩に停めた。今から思えばあれが茨城県沖が震源の地震だった。いつもなら突き上げる揺れには「直下型かな?」位思うのに、何にも考えられなかった。それでも揺れが収まると倒れた塀の写真を撮ったりした。途中、倒れたり傾いたりしてる家は無かった。どんなにか散乱しているだろうと思いながら帰った家の中は大した事は無かった。流し上の棚に置いてあったボールやザルが流しの中に落ちていた。冷蔵庫の上に並べていた空の炭酸ペットボトルが全部落ちていた。台所の窓の縁に置いてあった水筒は手前のカウンターの上に落ちていた。でも食器が棚から飛び出したりはしていなかった。びっくりしたのは、まな板の上にあった濁酒のペットボトル。蓋をし忘れた状態で、まな板の上にそのまま立っていた!肝が冷えたのは、反射式灯油ストーブ。耐震装置が動いて無かった。芯が出たまま灯油が無くなって消えているっ┛)"0"(┗!昨夜寝る前に灯油が無くなって消えていたのだ!大~変っ危なかったが、家は大したことは無かったようだ。気を取り直して、停電対策。栃木県北部は夏の雷停電で、停電には慣れっこである。停電すると井戸モーターが動かなくて水が出なくなるが、井戸モーターに残った水圧で20L位の水はまだ蛇口から出るはずである。落ちたペットボトルを拾い集めて水を詰めた。冷蔵庫に磁石でくっついてるヘッドライトの電池を確認。ガス台の火が付くかも確認した。停電中トイレの水はおふろの残り湯をバケツで流すので、バケツも探して残り湯を汲み洗面台の中に置いた。完ぺきであるっ。←自画自賛(^^;次は通信網。停電で光電話は使えなくなった。携帯は圏外だがdocomoの外付けアンテナを携帯に繋ぐとアンテナが2本位立った。メールはボチボチ入るので無事メールを出した。地震メール以外のメールはレスポンスが悪かった。でもツイッターは動いていた。暇なのでモバツイをしていると、宮城が津波で大変と書いてる人がいた!慌てて携帯のワンセグを見ようとしたが電波が悪い。2階の窓辺に移動するとやっとワンセグでTVが映った。とんでもない光景があった。日本じゃないと思おうとしたが、津波に流される家々は紛れもない日本家屋だった。疲れきるまで小さい画面でニュースを見た。身体が冷え切った。我が家の暖房は深夜電力で蓄熱ボードを温めて、それが24時間放熱する床暖房だ。床暖の上に掛け布団を広げて潜り込んだ。異常に興奮していた。非常事態にアドレナリンが全開って感じだった。とにかく日が暮れる前に夕飯にしようと思った。何故か今朝、いつもの3倍の量を作った味噌汁を温めた。停電で冷蔵庫が冷えないから、痛み易い物から肉野菜炒めにした。日が落ちる前に帰って来た旦那は、我が家に居れば食べ物と水の心配はなさそうと安心したようだった。旦那と御飯を食べ、ワンセグのニュースを見た。どうやら長い停電になりそうだと悟った。寝よう。寝不足だと気持ちが暗くなる。寝れば前向きな気持ちで物を考えられるはず。。。翌日の停電中、御蔵島のドルフィンスイムの船長さんからイルカの絵葉書が届いた。地震に遭ったのも御蔵に荷物を送る時だったので不思議な気持ちだった。我が家の停電は地震から24時間で復旧した。思ったより早かった。地震の前日話になるが、私は車のガソリンを満タンにしていた。いつもなら20L以上入れないと割引券をもらえないので、1/4メモリ減っただけではガソリンは入れない。しかし何を思ったか16L入れたのだった。しかも前の人が忘れた割引券もGetしていた。やはり地震前日には、思い立って髪の毛も切っていた。停電すれば井戸水も出ないので、お風呂が沸かせない。短い髪は便利だった。