昭和の政治家の田中角栄邸消滅
「目白御殿」とも言われた田中角栄邸800㎡が2024年1月8日に一本の線香から燃えてしまった。角栄氏が在宅の時は陳情団の長い行列ができたと伝説の目白御殿。角栄氏が亡くなった時に敷地の4割の3000坪を物納したそうだが、それでも大きな敷地の中の大邸宅には娘の田中眞紀子氏が家族と住んでいた。1日能登地震、2日羽田空港航空機事故、3日北九州市小倉市場の火災、そして8日の田中邸火災。日本を揺るがす天災や事故があまりにも続く、2024年の年明け。昭和の文化や芸能関係代表する方々の訃報も多い令和6年の年明け。昨年の11月18日のNHK「ブラタモリ」で目白を探索したタモリさんが、角栄さんのモノマネをしたら、アシスタントの野口アナウンサーが「角栄さんなんて知りません」と言っていたので、(えっ!新潟県出身の報道関係者なのに)とビックリした。日本を愛し、新潟の地元の人たちや神社の階段数まで知っていた政治家。料亭の豪華料理よりも奥様のみそ汁と目刺しが好物で、自宅の池の鯉に餌をやるのが楽しみだった角栄さん。目白の田中邸には連日陳情者が押しかけて角栄氏に陳情していたと言うことは、国民の声を聞く姿勢や耳をもった政治家だったのだろう。(門を開けて邸宅内で陳情者に会って話を聞いていた)コンピューター付ダンブカーと言われた、政治力も実行力もあった政治家だった。 山崎豊子作「不毛地帯」で、主人公の壱岐正が日本国の防衛のためを考えて、商社マンとして政府に話を持ち掛けても無視されて、話を聞いてくれる政治家と教えられて、ダンボールに雉のエサ(札束)を詰めて、(角栄氏らしい)大臣に陳情して話を聞いてもらえて防衛の話が進展できたくだりが思い出される。(ロッキードのずっと前の話だと思う)清濁併せもっても聞く力と政治力と実行力を兼ね備えた稀有な政治家でした。 米国と一評論家とマスコミに誘導されて政治の舞台から降ろされた気がしてならない。今、政治家たちは国民の真の声をきいてくれているのだろうか?角栄さんみたいな陳情団の声に耳を傾けてくれているのだろうか?政治家を取り巻く大企業や票を持つ団体の思惑には効く耳を持っているのかもしれないが、庶民たちの本音を聞く姿勢を感じられない。陳情団たちが長蛇の列を作った田中邸のような光景はもう見られない。戦後の発展を築いた政治家たちの力を望むのは無理なのだろうか?今、日本の国民たちは政治家たちに何を期待して選挙するのだろうか?大災害と、歯痒い対策、昭和に活躍した文化人たちの訃報が続く中で、そして急速に進む少子化の流れに、日本の未来が心配になってしまう。天才 (幻冬舎文庫) [ 石原 慎太郎 ]田中角栄がいま、首相だったら [ 田原総一朗 ]