こんぱすコーチの全方位日記

2010/07/28(水)11:45

「相手の立場に立った考え方」になる方法

生き方・モラル(157)

早い話、「相手の立場に立つ」ことなんですよね。 今朝、職場のMくんとコーチング・セッションをしたのですが、 サッカー好きの彼は、学生時代からずっとサッカーに打ち込んでいて、 今も社会人チームを編成し、暑い中、ゲームをこなしているようです。 その彼が、ある試合でコーチから初めて審判の依頼を受けました。 本来は免状を持っていなければ審判はできないのですが、 「今日は特別に」という言葉にほだされ、笛を持ってピッチに上がりました。 審判員は常にボールの動きを見て、 ボールから離れずに追いかけ、走り続けなければなりません。 サッカーはずぶの素人の僕ですが、 審判員の方がプレイヤーたちよりハードそうだ、 というのは何となくわかります。 果たして初体験のMくんにとって、 審判員のつらさは身に沁みたようです。 と同時に、彼は今の今まで審判に対して行っていた自分の反応に 大いに反省したと言います。 というのも彼は、プレイ中の審判のジャッジメントに不満があると、 猛烈に抗議し、挙げ句に毒を吐き、敵愾心むき出しで 相対していたんだそうです。 常にボールを追いかけて走り込む肉体的疲労に加え、 プレイヤーのファウルを見極めてジャッジをする緊張感。 さらにファウルをとられたプレイヤーからの 猛烈な抗議に耐えなければならないという精神的疲労。 遠慮して、ファウルをとらなければ、 相手チームのプレイヤーから「今のはファウルだろ!」と抗議を受ける。 ファウルをとってもとらなくても、何かと毒づかれる。 彼は審判員の立場に立ったことで、 ゲームが進行するにつれ、どんどん萎縮して みじめになっていく自分を発見したんだとか。 「もう2度と審判員には毒舌を吐かない」 そう心に誓ったんだそうです。 まさにMくんが「相手の立場に立った考え方になった」瞬間でした。 彼のコーチは、審判員に毒舌を吐き続けるMくんに気づきを与えるため、 あえて彼を審判員に仕立て上げ、その立場に立たせたのでしょう。 人間誰しも理屈では「相手の立場に立とう」と思うわけですが、 理屈が理屈で終わってしまうことがしばしばです。 本当に相手の立場に立つ考えになるためには、 その立場に実際に立ってみることが肝心なんですね。 僕は今の勤務先で何度か人事異動を経験しているのですが、 利害の対立しがちな双方の部署でそれぞれ過ごしました。 つまり「相手の立場に立つ」ことを実際に体験したのです。 それによって得たことは、 「相手の気持ちをおもんぱかる」相互理解の能力だけではなく、 お互いの利害を超えた、本質的な課題点を見つける能力が備わった ことでしょう。 「相手の立場に立った考え方」を実践することは、 実は大きな成長のステップを約束するものだと思います。 ただし残念ながら「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的な 発想をする人もいます。 立場が変われば「前の立場だったときの考え方を忘れる」というものです。 そういう人の価値観は、 「その時々で最善の判断を下す」というものなのでしょうか。 それはそれで一理はあると思いますが、 前の立場だったときと真逆のことを言いだしたのでは、 周囲からはその人の本心が見えなくなってしまいます。 となると、周囲からは実質的に相手にされなくなる、という 本末転倒なことが起きてしまう。 このことから、 「相手の立場に立った考え方」を持つ前に、 「関係する人たちとの相互理解の元で、 相手を成長させ、自分自身も成長する」 という軸を持つことが、どうやら肝心なようですね。 自分が変われば組織も変わる価格:1,365円(税込、送料別)

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